
ツアー二日目の最初の観光場所は小倉城で、第一日目の八幡製鉄所が明治からの工業地帯の中心地ならこちらは江戸時代を通じて城下町として栄えた中心部、特に小倉は九州の戦略的な重要地で、徳川幕府は九州の出口を抑える要所として重要視していたので、本格的な築城は細川忠興であったがすぐに譜代の小笠原が入部、以来九州諸大名監視の役目を担った城であった。幕末の混乱で負け組となって自焼してしまったのを、市民の熱意で1959年に往時の5階目が張り出した珍しい唐造り天守閣そのままに復元したとか。城内での展示などの中身では、意外と面白い工夫仕掛けがあって楽しめるようなっていました。そのあとは朝ドラにも出てきた石炭王の伊藤伝右衛門の屋敷にも。
冒頭写真は小倉駅も含めた範囲の地図で、お城周辺では昼過ぎまでと時間がありそうだったから、下のMAPの3施設だけじゃなくいろいろ回ってみようかと思っていたのだが、城の中でも見どころがいくつもあったし、すぐ隣の庭園もでも書院や展示館などと見ていたら最後の松本清張記念館までとなると時間が足りなそうに、とても足を延ばすどころか昼を食べる時間もないと、リバーウォーク内にあったスーパーで弁当を買って次に向かうバスの中で食べることとなってしまった。初めての場所は何かと見たいところが多くなって、要領も分からないこともあって時間調整はできないということですね。
小倉城周辺の観光MAPを貰って、お城まで案内された後は自由行動に
小倉城パンフレット
バス駐車場からお城までバスガイドさんに導かれて、そのあとは自由行動に
規模は大きくもなく小さくもなく、最上階の5階が4階よりも迫り出しているのが珍しい
江戸時代の城下町の模型があって、場内と街の往時の賑わいを朝から夜まで明るさを変化させて面白く見せていた
小倉祇園祭の様子が町人ゾーンに、祇園太鼓の無償松の一生はこの時代じゃないけれど
島原の乱当時の軍議の様子をロボット人形が演じていて、これもよくできています
祇園祭りの山車の一つが展示されて
江戸時代の生活道具と小笠原流の本家だから色々と武士の生活も、武家の食事膳の並べ方の試験などもあって間違うと・・・
駕籠に乗って揺すられて喜ぶという仕掛けが
天守閣から庭園と展示館方面を見下ろす
リバーウォーク方面を、手前は八坂神社
石垣も見事です
庭園入口に
小倉城庭園パンフレット
書院では上段のさらに奥にもう一段の上座が
書院広縁から天守閣を
回遊式庭園
庭園側から書院の建物を
展示館には常設と企画の展示室があって、企画展では千家十職御釜師・京都大西家の釜の展示を「鐡を愛でる」というテーマで開催中、常設展示では小笠原礼法に関するものがこちらでもいろいろと、まぁ行儀作法には無頓着な僕には猫に小判であったが、風習仕来りから作られたものでは郷土玩具だけはよくできていて売っていたら欲しかった。
企画展パンフレット
本膳料理の見本が、これを見て食べたいかというと微妙 八朔の飾り馬、これは面白い
城の売店で売っていた紙ひものキーホルダーに酉があって
紙ひもで作った酉と展示館売店で見つけたお雛様飾り絵の画鋲、こういう手作り小物を扱っていたとは、安くてお買い得じゃないですかね
リバーウォークにもちょっと、簡単に食べられるところがあるかと入ったらスーパーがあって
リバーウォーク内部入口ホール
お城エリアを一周してきて小倉城を裏側から
最後は松本清張記念館に
入口、内部は撮影禁止
小倉城周辺観光の次は少し走って飯塚市にある旧伊藤伝右衛門本邸に、NHK朝ドラの「花子とアン」では嘉納伝助として吉田鋼太郎が好演したことで一躍有名となった石炭王の屋敷で、華族出身の柳原白蓮を再婚で迎えるに際し大規模な増改築をしたという、贅を尽くした日本建築が見どころとなっている。テレビでもその後の白蓮事件をやっていたが、当時はかなり新聞などをにぎわしたらしいが、今では知る人はいなかったと思われるが、あのドラマで有名になったようで、ボランティア案内人が説明できる人数で次々に班分けして邸内をゾロゾロと巡る、説明も板についていましたよ。
旧伊藤邸に向かう道筋にも古い家並みが
その一つに鏝絵が
旧伊藤伝右衛門邸長屋門
表玄関へ
立派な神棚があった
茶室風の部屋
既に雛飾りが並べられていた
本座敷
食堂でこちらは洋風に
水平の天井だが折れて見える こちらは見る方向で凹凸が逆に、水平なのに不思議
部屋ごとに雛飾りが異なる
奥座敷から見た庭園
奥座敷の広縁
奥座敷には白蓮自筆の軸が
主人居間だったかの床の間、木材は銘木で
この軍人の人形は面白い、御殿には大正天皇でしょうか
2階の白蓮の間から
白蓮の間
伝右衛門は白蓮のものをすべて送り返したそうだが、白蓮が使っていたもので唯一この衣文掛けだけが残っているとか、これにある家紋は伊藤家の紋
照明も凝っていて
襖の引き手も同じものはなくて
九州で最初の水洗便所だそうだ
伊藤伝右衛門と白蓮についてのパネル、読んでいる時間はありませんでしたが
最後に戻ってきて応接室を、ここも洋室
庭園側から本邸を
実に見ごたえがありました、こういう屋敷としては新潟の北方文化博物館に匹敵する規模かな、そういえばあちらも伊藤姓だったか、明治の民間人の豪邸屋敷はほかにも各地に残っていて、ウサギ小屋ばかりじゃないと他人のものながら世界に向けて自慢できますかな。