モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

懐かしい鶴見線

2014-10-22 17:04:00 | 旧型国電
鶴見線には何度も訪問したいと思ったのですが、その後本格的に出かけたのは クモハ12がいよいよ引退となる 1996年3月のことでした。





この直後には武蔵白石駅の線路・ホームも改修され、103系3連化されてしまいました。





こちらは海芝浦駅、20年以上前とも車両が黄色い103系になった以外には、大きな変化は無かったようでした。ホームの短い屋根、ホームのすぐ横は海というのもこの駅らしいです。


1975(昭和50)年2月現在の鶴見線の編成表を弁天橋電車区で書き写したものがありましたので、掲載しておきます。

 クモハ73325+モハ72586+クハ79358
 クモハ73291+モハ72577+クハ79178
 クモハ73029+モハ72686+クハ79356
 クモハ73265+モハ72542+クハ79164
 クモハ73105+モハ72554+クハ79246
 クモハ73127+モハ72538+クハ79202
 クモハ73309+モハ72548+クハ79190
 クモハ73163+モハ72551+クハ79162
 クモハ73255+モハ72688+クハ79224
 クモハ73337+モハ72621+クハ79134
 クモハ73335+モハ72591+クハ79156
 クモハ73245+モハ72970+クハ79130

こちらは1976(昭和51)年2月に鶴見線を訪問したときの、きっぷ です。



当時の初乗りが30円だったのも懐かしいです。大川と昭和は委託販売の売店で売られていたものです。
この時は川崎から横須賀線に乗って鎌倉へ行き、江ノ電の写真も撮ったのですが…
こちらのネガは現像失敗で影形すら残っていませんので…
きっぷ が唯一の思い出の品です。当時は当然硬券が売られていました。都区内まで290円という値段も当時らしいです。



鶴見線の思い出

2014-10-20 20:12:00 | 旧型国電
最近ある方のホームページで昔の浜川崎駅の画像があって、懐かしくなりました。
以前、私がこの Blog をはじめて間もない頃に『鶴見線 73系』として何枚かの画像をアップしましたが、他にも何とか見られる??画像を加工処理できたので…

1976年2月16日 浜川崎駅


当時南武浜川崎支線はまだ17mの2連でした。クハ16+クモハ11です。

1976年2月16日 海芝浦駅


海芝浦駅は改札の外は工場の敷地の為、当時は改札から先には降りることもできませんでした。
ただ当時は鶴見線、日中でも10分おきくらいに走っていましたので、移動にも撮影にも苦労しませんでした。

そんな当時、ネガの殆どが現像失敗されたのは非常に残念でしたが、今のデジタル時代、その何枚かでも復活処理できたのは何よりです。



新性能化開始直前の青梅線

2012-07-06 16:58:00 | 旧型国電
青梅・五日市線が新性能化?されたのは1978年のことでした。それまで中央線の附属編成を用いた101系の運用が一部であったものの、73・72系を中心とした旧形電車でした。
新性能化とは言っても、ATC化準備のため京浜東北線に新製車が投入され、余剰玉突きに発生した中古103系によるものでした。
103系の導入は1976年11月中旬から始まり、この時の訪問は危機一髪?と言った感じでした。

当時の73・72系には様々な形態が存在していたものの、クハ79では63形として製造され無電装だったものも多く含まれていました。

1976年11月3日 クハ79120 立川駅


スマートなクハ79920番台は僅か1両しか配置されず、モハ72920番台は未配置でした。

1976年11月3日 クハ79942 立川駅


駅周辺のデパート、金融機関も名称が違います。駅ビルも周辺の高層建築も無いです。

青梅駅、ホームのリヤカーが時代を感じます。古いクハが多い中、クハ79430がスマートに感じます。

1976年11月3日 クハ79430 青梅駅


ラッシュ時には基本編成4両に附属編成を1~2両繋いでいました。クモハ40は当時の国電区間では珍しい存在でした。こちらは半流の40072

1976年11月3日 クモハ40072他5連 牛浜駅


こちらは切妻タイプの40033.きれいな車体に国労・動労の落書きは残念です。

1976年11月3日 クモハ40033 青梅駅


以下は当日の青梅・五日市線の編成表です。豊田電車区青梅派出所で資料を見せていただいて書き写したと思います。

1976年11月3日現在 青梅・五日市線旧形編成表

  立川←           →青梅・奥多摩・武蔵五日市

基 1 73079+78225+72516+79366     附 1 73515+79372
基 2 73607+78157+72658+79452     附 2 79465+73608
基 3 73017+78146+72675+79184     附 3 79357+73600
基 4 73519+78147+72715+79394     附 4 79421+73162
基 5 73103+79140+72553+79404
基 6 73601+78508+72708+79120     附 1 40072
基 7 73615+78182+72711+79158     附 2 40033
基 8 73609+78155+72850+79430     附 3 40061
基 9 73617+78220+72706+79942     附 4 40039
基10 73505+78502+72714+79398
基11 73207+78185+72718+79148
基12 73603+78216+72540+79166
基13 73503+78380+72633+79478

予備車・その他
    78186 73333 72694 73229 78509 79176 79180 79198
    79122 79467 73134 40073 40071
入場 78210 73137

鶴見線 73系

2012-05-08 19:59:00 | 旧型国電
鶴見線を初めて訪問したのは、1976(昭和51)年の2月でした。
当時は鶴見線の73系は、63形のイメージを残す、半鋼製の3段窓の車両が多かったです。
その後、南武線や横浜線の新性能化により捻出された、程度の良い全金属の車両に置き換わって行きました。

1976年2月16日 国道駅




この国道駅、すぐ下が名前の通り国道で、横には川が流れています。
ホームのアーチ型の屋根も素晴らしいですね。

そしてこちらは大川支線のクモハ12051です。

1976年2月16日 大川駅附近


この頃、南武浜川崎支線にはまだ、クモハ11+クハ16が走っていました。

ところでこの日の写真、残念ながら数枚しかありません。ネガ丸々1本撮影したので30枚くらいは撮ったはずなのですが…
実はこの時、学校の当時の友人と一緒に行きました。友人は以前から白黒の現像・プリントを自分で行っていたのですが、この時が初めてのタンクでの現像とのこと。これが見事に失敗してしまい、ネガは傷だらけになってしまったそうです。その中から数コマのネガを見つけました。
鶴見線の後、江ノ電に乗ったのですが、もちろん何も残っていません。

この時のカメラはやはりこの友人から譲っていただいたもので、トプコン(東京工学)のものでした。

鶴見線、近い割にはその後行く機会も無く…
昭和51年当時は日中も10分おきくらいに走っていたため、日中の電車内は貸切状態でした。その後1時間に1本程度に極端に間引かれてしまったのも、足が向かなかった原因のようです。


日車蕨工場 と 73形

2012-05-07 19:40:00 | 旧型国電
前にも少し触れましたが、西武新宿線沿線で生まれ育ち、家の都合で京浜東北線の沿線に引越しました。
線路から離れたところに住んでいたため、線路沿いの中学に進むまでは一時鉄道と縁の遠い存在となってしまいました。
当時はまだ、京浜東北線には73・72系が103系に混じって走っており、特に920番台はとてもスマートなものでした。
個人的には103系の低いモーター音、コンプレッサーやブロワーの騒音が好きになれず、103系は苦手でした。(103系のファンの方には… ゴメンナサイ)
まだ当時、鉄道の写真を撮ることは無かったのですが、たまたま郷土にある公園や施設などの写真を撮る際に、新幹線を製造している、日本車輛東京支店(蕨工場)を見つけました。タイミングよく、63形の面影を残すクモハ73が通り過ぎてゆきました。

1970年2月 蕨-南浦和駅間


これが私にとっての鉄道の記念すべき1枚目の写真となりました。
その後も日車蕨工場の近くを偶然通りかかりましたが、ウグイス色の103系に遭遇したときには驚いたものでした。

間もなく、日車蕨工場も豊川へ移転となり、また新性能化により茶色い電車も姿を消してしまいました。

1971年4月 ウラ電(浦和電車区) 転出待の73・72系


これより、73・72系はローカルへ転属となります。
南武線や青梅線、房総地区がその後しばらく主力になっていました。
中学生ではなかなか地方までも向かえず、しばらくは見納めになってしまいました。

この頃はたまに電車に乗れるのがとても嬉しかったです。
用事で山手線を利用するとき、高田馬場の駅のホームで長い時間、西武線の電車を眺めていたことを思い出します。
何か西武線の電車を見ていると、落ち着くものでした。