モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

沿線で見かけたレトロな?

2012-07-22 17:38:00 | 伊豆箱根鉄道
最近は鉄道各線も新しいコーポレーションカラーにされた様々な標識などが多く採用され、駅のモデルチェンジなどが行われていますが、伊豆箱根鉄道ではレトロなものが残っています。
まあ、最近はちょっと行っていないので、変わってなければ良いのですが。
そんなちょっと懐かしいものをいくつか紹介いたします。

まずは駅名標。アクリルの貼り付けられた文字に昭和を感じます。






こちらは大仁駅の洗面台。石造りで昔ながらの蛇口、横の『大仁温泉旅館組合』がレトロで良い感じです。




沿線の踏切近くの警告板。『「"とまれ"」よくみてわたろう』の上の電車は赤電。1000系の第1編成の登場時のようです。




こちらはレトロと言うわけではありませんが…
本社大場工場の検修庫入口の看板です。
手造りのモハ3000.なかなか良く出来ていますね。



そう言えば毎年11月のふれあいフェスティバルの時に子供たちを乗せて走るミニ電車(なぜかクモハ7503ですが…)、あれも大場工場の手造りですね。

懐かしい数々、まだ他にも探したらいろいろありそうです。
大場駅の懐かしい昔の機械音の踏切警報機、まだ残っているでしょうか?


3000形の形式詳細

2012-07-21 17:20:00 | 伊豆箱根鉄道
伊豆箱根鉄道の3000形は、先日の記事でも書きましたが製造が比較的長期に亘りましたので途中でモデルチェンジなども行われました。
形式はクモハ3000・モハ3000・クハ3500ですが、その後の変化により形式が分類されています。
第1編成~第4編成は、当初はクモハ3000・モハ3000・クハ3500でしたが、第1編成のモハ3002は車内のセミクロスシート→クロスシート改造(7000系登場までの一時期、快速列車の有料の座席指定車として対応)により形式はモハ3000-02、クハ3501はフランジ塗油器取付により形式はクハ3500-02と変更されました。
ステンレス製となり、ドア・窓配置が変更された第5編成は形式がそれぞれクモハ3000-01・モハ3000-01・クハ3500-01となりました。
更に、7000系の新製を挟んで再度増備された第6編成では、先頭部へのスカート取付、先頭車両への車椅子スペースの設置、LED表示器の取付やモハ3012のパンタグラフの下枠交差方式への変更(7000系と共通)、クハ3506への塗油器取付により形式はクモハ3000-02・モハ3000-03・クハ3500-03となりました。
※ 大場工場車両台帳による

3000形の形態、あまり良い画像がありませんが、紹介いたします。

1984年8月3日 三島駅 モハ3007-モハ3008-クハ3504


2006年3月11日 三島駅 左:クモハ3005,右:クモハ3007


2007年11月23日 大場駅 クハ3505


2007年4月1日 三島駅 クモハ3011


大場工場を伺った時に、ちょうど3000形の検修が行われ、制御装置のカバーが外され、ジャンパー連結器も見られましたのでその画像をアップいたします。(なかなか見られるものではありませんので…)

1992年6月13日 大場工場 モハ3006の制御装置


1992年6月13日 大場工場 ジャンパー連結器(モハ3006)


1992年6月13日 大場工場 ジャンパー連結器(クハ3503)







3000形登場の頃

2012-07-19 09:17:00 | 伊豆箱根鉄道
伊豆箱根鉄道の3000形が登場したのは、1979(昭和54)年12月の事。既に32年が経過いたしました。先日の元西武701系改造の1100系が廃車されて事実上、一番古い車両となりました。
ただ元西武N101系改造の1300系は、1979(昭和54)年より製造されていますので、ほぼ同時期となります。
3000形第1編成は、12月1日には報道関係に公開されていますので、実際の回送は11月でしょう。
ちなみに1300系の西武鉄道でのN101系としての竣工年月日は
クモハ1301(←元西武クモハ284) 1979年7月5日 東急車輌製造
モハ1401-クハ2201(←元西武モハ235-クハ1235) 1979年12月3日 東急車輌製造
クモハ1302(←元西武クモハ292) 1979年7月11日 東急車輌製造
モハ1402-クハ2202(←元西武モハ237-クハ1237) 1979年12月10日 東急車輌製造
 ※ 鉄道ピクトリアル 西武鉄道特集号による
クモハのみは半年ほど前になりますが、他の4両はほぼ一緒、東急車輌でも並んでいたのでしょうね。

3000形はその後整備・試運転の後、12月15日より営業運転を開始しています。

1980年2月21日 大場工場 モハ3001-モハ3002-クハ3501


1980年2月21日 大場工場 左から モハ1012,クハ3501,モハ51


2月に静岡へ行く途中、寄ってみましたが残念ながらお休み中。朝だけの運用だったのでしょうか?「大場」の幕でした。
元西武501系のモハ1012や元西武1311形のモハ51との並びも懐かしいです。

1980年7月5日 大場駅 クハ2003 と クハ3501


7月に行った時には季節柄冷房も良く効き、快適な車輌でした。運良く? クハ2003と並びました。

3000形、車体幅も2900となり広々とし、塗装も前面デザインも斬新なものとなりました。
その後は 3003Fが1980(昭和55)年7月に、3005Fが1981(昭和56)年7月に、3007Fが1982(昭和57)年7月に増備され、更に3009Fが1987(昭和62)年3月に、3011Fが1997(平成9)年3月にモデルチェンジの上増備されています。

3000形、ワンマン表示が付いたくらいで現在も大きな変化などは見られず、主力として活躍中です。




羽田空港 1993

2012-07-16 09:49:00 | ノンジャンル
ここのところ、ちょっとした忙しさや、厳しい暑さによる体調不良でやや投稿が止まってしまいました。

先日は YS-11 について触れましたが、もう一度飛行機関連で。

最近はどこの空港もお洒落に、また観光地化されて以前の空港とは格段の差となってしまいました。
ただ、どんどん巨大化されるのも…
ここ数年は羽田空港も毎年のように変化があり、行くたびに迷ってしまいます。
正直なところ、単なる通過点としての空港を利用する立場からすれば、昔の空港のほうがはるかに分かりやすく便利だったように感じます。

下の画像は1993年9月、ターミナルが生まれ変わり、モノレールの線路も一部切替が行われる寸前です。





こちらは更に遡ること、1976年8月の羽田空港です。





羽田空港の変化に応じて、モノレールもすっかり顔が変わってしまいました。かつてはモノレールの独壇場だった羽田も、京急の便利さ・大量輸送などの利点から利用者はやや後者が優勢のよう。また、モノレールは空港輸送に加えオフィス街への通勤輸送が増え、通勤に相応しい車両へと変化しています。
画像は1993年9月、東京モノレール 600系です。



『航空公園』 と YS-11

2012-07-09 17:46:00 | ノンジャンル
所沢の中心部は『所沢駅』周辺の商業圏と、『航空公園駅』周辺の市役所・郵便局・税務署・警察署などの官庁街があります。
『航空公園駅』は比較的新しい駅で、新しい街づくりに合わせて1987(昭和62)年5月に開業いたしました。新しい街のため、駅前には広いロータリーが、ここからは広い道が続き街路樹がうっそうと茂っています。
駅の名前の通り日本の航空の発祥の地で、広大な滑走路の跡を利用したスポーツなどを楽しめる『所沢航空記念公園』、展示やフライトシミュレーター体験のできる『所沢航空発祥記念館』があります。

駅前にはかつて日本の空で活躍した国産機 YS-11 が保存展示されています。





上の2枚は2010年11月に撮影したものです。

展示の YS-11 正式には 「YS-11A-500R」の JA8732 です。詳しくは下の説明板の通りです。



ジェット機が当たり前になった時代にも、滑走路が短い離島航路などでは最近まで使用されていましたが、残念ながら今はもう日本の旅客機から姿を消してしまいました。私もかつて三宅島へ一度搭乗したのみです。

1994年10月 三宅島空港にて JA8772


航空公園駅、ここ1箇月くらい都合で通うことになりましたが間もなくお別れ、ちょっと寂しいです。