モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

8月も終わりますが… 夏の思い出

2012-08-31 07:17:00 | 小さな旅
今日で8月も終わり、子供の頃は夏休みが終わる恐怖(?_?)でした。
前は8月も後半になるとだいぶ涼しくなり、肌寒く感じる年もあったようですが、今年の暑さは特に厳しいようです。

そんな夏を振り返って… 最近は5年以上、海水浴にも行っていませんが。
以前は6月28日の海開き、8月31日の最終営業日に合わせ、よく鎌倉の材木座海岸に海水浴に行っていました。







材木座海岸は、由比ヶ浜海水浴場の隣、歩いて10分くらいなのですが、由比ヶ浜と比べとても静かで落ち着けるところです。客層も若者中心の由比ヶ浜に対し、地元の方や家族連れが多いです。
逗子マリーナが見えたり、富士山も見えるときもあったり、海も入江のため波が穏やかで、湖のような時もあります。海水も潮の流れにもよりますが、由比ヶ浜よりはるかに綺麗です。

また、海水浴シーズンのもう一つの楽しみとして、海の家の食事もありました。
最近は多国籍・無国籍料理など、ずいぶんおしゃれな海の家も多くなっていますが、私はやはり昔ながらの海の家が好きでした。カレーもレトルトを使うところも多いですが、私が利用していた海の家では、朝からスタッフの皆さんがじゃがいも・にんじん・玉ねぎを切り、大きな鍋で煮ていました。やっぱり手造りの家庭的な味が好きです。(レトルトだったらどこでも食べられるし…)



そしてこの海の家の名物??? が、カレー焼きそば(カレーかけ焼きそば)でした。何でも、お客さんからの珍注文がそのままメニューになったそうです。賛否両論ありましたが、私個人的にはここオリジナルで、好きだったです。



さて、やはり交通費が一番問題なのですが… 多くは「青春18きっぷ」を使っていました。前は「ホリデーパス」も使っていましたが、何となく利用しにくくって。
あと、小田急と江ノ電のフリーパスを使ったこともありました。
江ノ電も随分スマートでカラフルになってしまいましたね。やはり昔ながらの塗装の300形は良いですね。
画像は2000年9月20日の時のものです。





多摩川線 赤電の頃

2012-08-23 22:27:00 | 西武電車
先日の甲種回送のところでも、多摩川線の車両について触れましたが、本線から離れた多摩川線には一昔前の西武線の車両が見られ、楽しいものでした。
それに加え、多摩川線は架線の高い鉄塔がなかなかの迫力です。新宿線の新井薬師前近辺にもこの高い鉄塔があり、なんか懐かしく感じられます。

1983年1月9日 多磨墓地前-新小金井駅間 クハ1576-クモハ575+クハ1662-クモハ461


多摩川線も赤電の中でもハイレベルの571系が集中的に配備されるようになり、そんな中、ガーランドベンチレーターの451形はクラシックなものでした。

1983年1月9日 新小金井駅 クハ1578-クモハ577+クハ1572-クモハ571


新小金井駅、武蔵境の次の駅とは思えないような感じですが、この雰囲気、なかなか好きでした。

1988年1月2日 是政駅 クモハ556


武蔵境からわずか5つの駅の路線の終点です。確か一時は多摩ニュータウンへの乗り入れの計画もあったような… 実現していて田無あたりから武蔵境に路線ができていたら、多摩ニュータウンには新宿から3路線が存在していたのですが。

1988年1月2日 北多磨-競艇場前駅間 クモハ579-クハ1580


1988年1月2日 競艇場前駅 クモハ579-クハ1580


競艇場前駅、かつては2線の交換可能駅でしたが、今は1面1線になってしまったようです。
また、多摩川線は4連化された後に一時期、閑散期などは2両編成化されていました。その後は701系、101系、N101系4連になり、終日4両運転となっています。

多摩川線は、JR中央線と武蔵境駅で別れ、北多磨(現・白糸台)の近くで京王線と交差、終点の是政では少し離れていますが、JR南武線の南多摩駅があります。乗り継ぎが便利だったら利用者の数も変わったような気もするのですが…

甲種回送の不思議(?_?)

2012-08-21 09:37:00 | 西武電車
車両メーカーで製造されたものが各地へ送られたり、また検査により工場から離れた路線への輸送の際には、貨物輸送扱の『甲種回送』が行われます。
西武鉄道の場合は、日立製作所笠戸工場からの輸送や、東急車輛製造への改造入出場、多摩川線の車両の検査のための入替でなど、甲種回送の頻度も多いようです。
伊豆箱根鉄道でも大雄山線の車両の大場工場への入出場の際に、小田原⇔三島間で甲種回送が実施されます。
最近は日立製作所からはるばる営団・東上線・TX線など、関東の各私鉄への輸送もたびたび行われていますが、これにはどれ位の運賃がかかるのでしょうか?

さて、西武多摩川線もすっかり白いN101系に統一されてしまい、最近は見に行くこともありません。かつて赤電が活躍していた頃は、「北多磨車両管理所」にも良くお世話になり、甲種回送の日程や時刻を教えてもらい、撮影に行っていました。

1982年11月28日 10時56分 武蔵境駅 クハ1471-クモハ472+クハ1661-クモハ462


甲種回送に向けて、連結器が自連に交換されています。
この時は気付かなかったのですが、乗務員室ステップが既に外されています。
もちろん、北多磨からは自力で武蔵境まで回送されます。

1982年11月28日 武蔵境駅 甲種回送準備作業中のクモハ472


到着後は、甲種回送準備が進められ、パンタグラフのロックなどが行われます。

国鉄線上からやってきた車両と『ヨ』を挟み連結されます。

1982年11月28日 武蔵境駅 クハ1578+ヨ6527+クハ1471


その後、国鉄線から回送されてきた車両は『ヨ』から切り離され、北多磨への自力回送に向けた整備の後、北多磨車両管理所へ回送されます。
そして北多磨からやってきた編成は国鉄線上を甲種回送されます。

いつも不思議に感じたことが…
小手指車両管理所⇔新秋津へは電気機関車(電機無き今は263F)牽引によるのに、なぜ北多磨車両管理所⇔武蔵境は自力回送なのでしょうか?
もちろん、北多磨には牽引車はありませんが…
このことを先日武蔵丘車両検修場で伺ったところ、どうやらこれは駅構内の問題のようです。武蔵境駅構内は、西武の敷地であり、長時間の停車が可能とのこと。この為、自力で走ってきた車両をここで整備できるようです。
ただ、新秋津はJRの構内で、停車時間に制約があり、車両整備が行えないようです。この為、牽引車はどうしても必要になるようです。
もし規制などが緩和され、新秋津での車両整備が可能となれば、多摩川線の車両入替の際には263Fは必要なくなるかも知れません。

東急車の乗務員訓練

2012-08-12 15:43:00 | 西武電車
他の Blog や掲示板でも話題になっていますが、来年3月に地下鉄副都心線を介して西武⇔副都心線⇔東横線⇔みなとみらい線の直通運転に先立ち、乗務員訓練が活発に行われています。

2012年7月17日 小手指車輌基地 東急4104F


2012年7月27日 11:55 所沢駅 東急4104F


2012年8月12日 14:23 飯能駅 東急4106F


最初は小手指車輌基地内で行われていましたが、7月下旬からは所沢⇔飯能間の本線試運転がほぼ毎日行われているようです。

さすがに東急車輛製のステンレスボディーは美しいですね。赤とピンクのラインもとても新鮮に感じます。
ただ、個人的には… 東急の車両は未だに先頭車の連結器が自連なのが… 
西武・東上線・営団の車両が皆密連なのに、問題は無いのでしょうか? 確か東上線は有楽町線との乗り入れの際に登場した9000系から密着連結器になりましたね。
国鉄が戦前に一斉に連結器の交換をした後、私鉄各社も多くは密着連結器に順次交換されています。いまだに自連を守り通しているのは、東急・京成・井の頭線くらいですね。何か不思議な気もします。

クハ1446+クモハ270-クモハ269 ??

2012-08-10 08:23:00 | 西武電車
現在は西武の電車の休車留置、解体は横瀬車両基地にて行われていますが、以前は小手指車両管理所や南入曽車両管理所で行われていました。
地方私鉄向け候補の車両が多数留置されていることもあり、所沢工場入を待っているようでした。

そんな中、ちょっと驚いたのがこのクハ1446。
クモハ465と編成を組んでいましたが、共に1981(昭和56)年2月に廃車となっています。運の良い仲間は、クモハ451形は上信電鉄、三岐鉄道、一畑電鉄へ、クハ1411形は上毛電鉄へと第2の活躍の場へ行っています。ただ、そんな車両も一部で多くは解体されてしまいました。
クハ1446も長期に亘って、小手指車両管理所に留置されていました。列車無線アンテナ、尾灯が外された以外はそのままの状態でした。
ところが驚いたことに、それから4年以上も経った 1985(昭和60)年5月27日のこと、何とクモハ270-クモハ269と連結されていました。
西武の場合は、当時は正式な牽引車両は無かったのですが、時々このような連結があったようです。時々廃車により部品(前照灯、列車無線アンテナなど)が所沢車輌工場で取り外され、自力走行できない車両が牽引されていました。
この時の、1446+270-269 は ??? クハ1446の車軸軸受けにはグリスが塗られていたような記憶があります。おそらくもう1本の101系に挟まれて本線を走行したのでは? 行き先は所沢車輌工場か南入曽と思われます。
この日は仕事だったため、その後を確認できませんでしたが、この日以降、この車両を見かけることはありませんでした。













(以前、他の方の掲示板で一部の画像を紹介させていただきました。)

小手指車両管理所での休車留置、解体の画像をまた掲載して行きたいと思います。