モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

『奥むさし駅伝』臨時電車

2017-01-29 10:01:00 | 西武電車
今日は『奥むさし駅伝競走大会』が、飯能市内⇔正丸附近にて実施されています。
例年の恒例行事で、駅伝の応援の為に、臨時電車も運転されます。
近年は様々な臨時電車も運転され、僅か2往復はやや地味な存在ですが…

2017年1月29日 09:25 高麗駅


下り2本の内、1本は西武秩父行として運転されますが、もう1本は西吾野行と
なります。方向幕(LED)は『臨時』でした。
以前でしたら臨時電車は、2000系で運転されていたのですが、最近では30000系の
増備と2000系の廃車により、こんな姿も恒例となってしまったようです。

ところで、国道299号線が通行止めになるのに伴い、路線バスも迂回走行となり
いつもは入らない、高麗の駅前にも現れます。



前は駅前のロータリーにも入っていましたが、今年は駅前の接骨院前で
バックして折り返しとなりました。『飯能駅⇔木綿沢 通過』表示が
あります。ちょうどレトロ塗装バスでした。

2413F 再び?

2017-01-23 15:20:00 | 西武電車
先週、西武新宿線所属の2413Fと2055Fが池袋線に貸し出され、
金曜日には新宿線に戻りましたが、本日武蔵丘車両基地の
電留線に2413Fと2081Fが留置されているのを確認いたしました。

2017年1月23日 11:08 武蔵丘


今回は飯能方に2連の通常編成です。


伊豆箱根鉄道 クハ70形

2017-01-21 20:13:00 | 伊豆箱根鉄道
初めての伊豆箱根鉄道訪問は、1976(昭和51)年7月15日のことでした。
お目当ては、前年に西武501系が借り入れられ、その後正式に譲渡となった
こと、そして前から気になっていた、2003Fでした。

当時は、オリジナルの1000系が4編成、西武鉄道からの501系の他は、17m
旧型国電型が活躍していました。

1976年7月15日 三島駅 クハ76-モハ56-モハ62


先日の画像の再掲載になりますが、三島駅に到着していきなり、この編成に
出迎えられました。
クハ70形は、西武鉄道経由で入線したものもありました。
ただこの時期は既に廃車になりつつあり、先頭にでているのはこの クハ76
だけでした。

この後、大場工場を訪問する予定で、本社前を通っているとちょうど朝の
ラッシュ輸送を終えた車両が回送されてきました。

1976年7月15日 大場工場(本社) モハ57-クハ75-モハ59




工場事務所にて撮影の許可手続きを終え、撮影に向かうと、先ほど回送
されてきた編成が、良い位置に留置されていました。







画像では判りませんが、隣のモハ63の2両目には、サハ73が入っていました。

この後、西武501系が2編成入り、新型車3000系の登場により、駿豆線からは
国電型の車両は姿を消しました。17m車はその後の大雄山線の車両入替・
1500V昇圧に併せ、50・60形は大雄山線の5000系が増備されるまで活躍
しましたが、20m車は入線できませんので…

不思議な クハ1411形

2017-01-19 18:55:00 | 西武電車
1411形の前に製造された351(竣工当時501)形やその後の501系など、
殆どの車両は連結相手が決まって製造されているのですが、この1411形
だけは連結相手が特定されず、短期間に大量が製造(鋼体化)されて
います。1955年9月~1959年5月にかけて広幅正面ドア(開かず)車が
30両竣工していますが、当時の連結相手は17m国電だったのでしょうか?
意外にも最終のクハ1449、1450が竣工したのはクモハ451形が登場する
わずか半年前のようです。
一時期、連結相手のクモハ451形に併せて番号も1450番台を名乗っていた
時期もあったようでした。

1973年9月1日 西武新宿駅


相変わらず、酷い画像ですみませんが…
西武新宿に到着のシーンですが、方向幕は既に「急行 本川越」に替わって
います。当時は高田馬場に到着の際に、多くの車両は方向幕が替えられて
いました。

1974年4月28日 新井薬師前駅


1976年11月3日 新井薬師前駅


1978年1月5日 所沢駅




新宿線沿線で生まれ育ったため、やはりクハ1411形と言えば、連結相手は
クモハ451形と言う印象が強いものでした。確かにそれなりに両数も
ありましたので。

1978年10月7日 北多磨車両管理所(北多磨駅ホームより)


クハ1411形が向かい合って連結されるのは、多摩川線の姿ですね。

1979年2月28日 入間川駅附近


駅名もまだ「入間川」だった頃、検査出場仕立てのピカピカな姿でした。

1981年5月23日 南入曽車両管理所


クモハ451形と共に廃車が進む。451形の一部が電装解除されて451形同士で
組まれて、地方私鉄に譲渡されていく中、クハ1411形は多くが解体されて
行きました。こちらはクハ1450 で、3月末に廃車になっていました。

1985年5月27日 小手指車両管理所












意外なのがこの クハ1446 1981年2月に廃車になり、前後して廃車と
なった多くの車両と共に暫く小手指車両管理所の隅に留置されていました。
他の車両が譲渡改造されたり解体されて行く中、このクハ1446 のみは
それから4年経っても単独で留置されていました。
そのクハ1446 が5月の終わりの事、検修庫附近に移動され軸受けが
グリスアップされたと思ったら、クモハ270 と連結されました。
この後はどうなったか確認できませんでしたが、南入曽に移送された
とか噂を聞いたことがあるような?


そんな1411形の仲間として、伊豆箱根鉄道にもクハ70形がありました。
中間に連結され、実質サハになったものもありましたが、このクハ76
は先頭に立ち、美しい姿でした。

1976年7月15日 三島駅


1980年3月ダイヤ改正で

2017-01-18 19:38:00 | 西武電車
1980年3月17日のダイヤ改正はかなり大掛かりなものでした。
優等列車の種別も、これまでの「急行」「準急」に合わせて
「快速急行」「快速」「通勤急行」「通勤準急」が誕生し、この為に
従来の小型の種別札から大型のものとなりました。

車両面でも、N101系が大量に製造され、車両の置き換えが激しくなって
きました。
ダイヤ改正直前には、東急車輌で落成した 245F~253F が小手指車両
管理所に留置されていましたが、竣工日(4月1日付)の為に使用できず
暫く休車状態だった501系がダイヤ改正に合わせて急遽出動になったのには
驚いたものでした。
秩父線の不定期列車の運転再開、球場臨、改正による車両所要増などだった
のでしょう。

1980年3月30日 高麗駅 526-1526-1525-525+514-1514-1513-513










ダイヤ改正前には、大型の種別札の準備の為に、乗務員室境ドア裏に
この種別札受けが取付けられていましたが、確か廃車予定だった
501系には付けられていませんでした。

もう一つの大きな変化、それは 新宿線系統⇔池袋線系統 で大幅な
車両の入れ替えもありました。
それまで、701系グループの冷房改造車は池袋線配属でしたが、これが
すべて新宿線に移動、新宿線にあった101系はすべて池袋線へと
大移動だったようです。101系だけでは両数が合わないためか、551・
601系が池袋線に移り、一部の451-1411形も池袋線に移るなど、すれ違う
車両にも驚きました。

そんな大きな改正も、4月に入ると5編成のN101系が稼動できたので、
落ち着きも感じられました。
まあそれと引き換えに、残念ながら501系は廃車になってしまいましたが。

1981年5月19日 小手指車両管理所


こちらは廃車から既に1年以上経過していますが、譲渡先を待っている
状態でした。左からサハ1514、1513、1512、クハ1446-クモハ465

1981年7月16日 小手指車両管理所


その約2箇月後、サハ1512 が解体されてしまいました。

1982年8月25日 小手指車両管理所


こちらは更に約1年後ですが、左から
クモハ513、クハ1613、クハ1607、クモハ465、クハ1609(全て廃車)
と、大量の赤電が、車庫の隅を埋め、まるで赤電最盛期のようでした。