モハ1005ーモハ1006ークハ2003 が 好き

大好きな伊豆箱根鉄道を中心に、思い出の電車のことや、「小さな旅」のことなどを書き綴りたいと思っています。

101系の思い出 Ⅳ (編成の記録)

2014-08-28 07:07:00 | 国電 101系
京浜東北線の101系の編成記録、続きです。
1975年3~4月は変則編成が次々と組み替えられましたが、その後はほぼ落ち着きました。
ただ、同番号で揃えられていたサハ101とサハ100が編成から離れたり、連結位置が逆になったりと変わった編成が見られました。

1975(昭和50)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-9
   +Mc1-51-M'0-63-T'0-52-T1-215-M1-158-M'0-153-T'c0-62
浦33 Mc1-59-M'0-45-T'c0-49
   +Mc1-107-M'0-92-T1-2-T1-283-T'0-2-M1-30-M'c0-18
浦34 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
   +Mc1-18-M'0-106-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
浦35 Mc1-40-M'0-69-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-285-T1-265-T1-52-M1-62-M'c0-67

11月の編成、5編成が揃ったのは最後でしょう。
この後12月12日に浦32編成の6両が南武線に、4両が武蔵小金井に留置されていました。
南武線に行ったのは
   Mc1-51-M'0-63-T'0-52-M1-158-M'0-153-T'c0-62
でした。

残った4編成は浦33~35 → 浦32~34となりましたが、この時
浦33 Mc1-70-M'0-68-T'c0-56
   +Mc1-18-M'0-106-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120
と、サハ101とサハ100が入れ替わっています。(12月20日現在)
そしてこの時点で、浦34編成は12月23日に転出予定となっていました。

更に1976(昭和51)年3月12日にも一編成が転出、20両の小世帯になってしまいました。

1976(昭和51)年11月現在
浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
   +Mc1-70-M'0-68-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120

1977(昭和52)年2月19日現在
浦31 Mc1-70-M'0-68-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-56
   +Mc1-41-M'0-145-T'0-7-T'0-231-T1-7-M1-102-M'c0-120

これらも暫くして京浜東北線の103系統一、南武線の新性能化により101系は転出、1970(昭和45)年11月配属以来の幕を閉じました。

ここからの画像は、南武線での活躍の姿。赤羽線からの転入車もあります。
一部は冷房改造されました。

1987年3月29日 12:43 クモハ101-197 立川駅


1987年3月29日 12:47 クモハ100-182 立川駅


1988年3月19日 12:18 クハ100-56他 矢野口駅附近


1988年3月19日 12:24 クハ100-75 矢野口駅附近


1989年5月3日 11:50 クモハ101-186 立川駅


1989年5月3日 13:20 クモハ101-185  府中本町駅


101系の思い出 Ⅲ (編成の記録)

2014-08-25 19:01:00 | 国電 101系
103系にはあまり興味の無かった私が、京浜東北線に101系が配属され、僅か50両ながらその編成の変化には非常に関心があったものでした。
当時浦和電車区の運転事務所には随分お世話になり、編成表を見せてもらっては書き写したり、時によってはゴム印を貸していただいたりして記録したものでした。

101系の編成記録です。

1973(昭和48)年7月現在
 浦31 Mc1-70-M'0-68-T'c0-9
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
 浦32 Mc1-18-M'0-106-T'c0-7
   +Mc1-51-M'0-63-T1-52-T1-215-T'0-52-M1-62-M'c0-67
 浦33 Mc1-107-M'0-92-T'c0-56
   +Mc1-41-M'0-145-T1-265-T1-285-M1-158-M'0-153-T'c0-62
 浦34 Mc1-186-M'0-240-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-49
   +Mc1-40-M'0-69-T1-2-T1-283-T'0-2-M1-30-M'c0-18
 浦36 Mc1-87-M'0-83-T1-41-T'0-41-M1-84-M'c0-88
   +T1-54-T'0-54-M1-83-M'c0-87
 ※ 浦36編成は関西線用の借入、また同時借入のMc1-88-M'0-83が、Mc1-51-M'0-63の代わりに一時的に組まれました。


1974(昭和49)年6月24日現在
 浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-52-T'0-216-T'0-52-M1-64-M'c0-68
 浦32 Mc1-70-M'0-68-T'c0-9
   +Mc1-51-M'0-63-T1-25-T1-215-T'0-25-M1-62-M'c0-67
 浦33 Mc1-107-M'0-92-T'c0-56
   +Mc1-18-M'0-106-T1-265-T1-285-M1-158-M'0-153-T'c0-62
 浦34 Mc1-186-M'0-240-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-49
   +Mc1-40-M'0-69-T1-2-T1-283-T'0-2-M1-30-M'c0-18
 ※ 31~33編成の間で一部組み替えられています。


1975(昭和50)年3月10日現在
 浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-30-M'c0-18
 浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-49
   +Mc1-51-M'0-63-T1-52-T1-215-T'0-52-M1-62-M'c0-67
 浦33(入場中または予備車でこの編成はありません)
 浦34 Mc1-70-M'0-68-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-9
   +Mc1-18-M'0-106+Mc1-107-M'0-92-T1-265-M1-64-M'c0-68

1975(昭和50)年3月12日現在
 浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
 浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-49
   +Mc1-51-M'0-63-T1-52-T1-215-T'0-52-M1-62-M'c0-67
 浦33(入場中または予備車でこの編成はありません)
 浦34 Mc1-70-M'0-68-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-9
   +Mc1-18-M'0-106+Mc1-107-M'0-92-T1-265-M1-30-M'c0-18

1975(昭和50)年3月24日現在
 浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
 浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-49
   +Mc1-51-M'0-63-T1-52-T1-215-T'0-52-M1-62-M'c0-67
 浦33(入場中または予備車でこの編成はありません)
 浦34 Mc1-70-M'0-68-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-56
   +Mc1-18-M'0-106-M1-158-M'0-153-T1-265-M1-30-M'c0-18

1975(昭和50)年4月2日現在
 浦31 Mc1-41-M'0-145-T'c0-7
   +Mc1-44-M'0-142-T1-25-T'0-216-T'0-25-M1-64-M'c0-68
 浦32 Mc1-186-M'0-240-T'c0-49
   +Mc1-51-M'0-63-T1-52-T1-215-T'0-52-M1-62-M'c0-67
 浦33(入場中または予備車でこの編成はありません)
 浦34 Mc1-70-M'0-68-T'0-102
   -M1-245-M'0-239-T1-7-T'0-231-T'0-7-M1-102-M'c0-120
 浦35 Mc1-59-M'0-45-T'c0-56
   +Mc1-18-M'0-106-T1-285-T1-265-M1-158-M'0-153-T'c0-62

 ※ 一編成をバラし、変則編成を組成しています。その間頻繁に組替が行われました。
   運転台には「北ウラ35 この編成は8M2Tの変則編成です。北寄り六、七両目にTT車のところMcM’が入っています 三月十日 浦電検修」の荷札が貼り付けられていました。

編成の記録、続きます。

1976年8月 京浜東北線 クモハ100-18他 101系10連 蕨駅


101系の思い出 Ⅱ

2014-08-22 06:47:00 | 国電 101系
今の233系などと比べるととってもシンプルな車両でしたが、車両ごとに変化があったり、編成もバラエティに富んでいて、101系は懐かしいものです。

101系と言うと、大抵の方は中央線や総武線を連想されると思いますが、当時、私は京浜東北線の浦和電車区にたいへんお世話になっていて、しばしば訪れていたものでした。
その為、ここの写真は当然すべて許可を取って(と言うか、電車区の運転事務室の方の案内にて)撮影したものです。

ここから6枚目までは、1976年1月22日 浦和電車区にて



この画像は以前にもアップいたしましたが、クモハ100-18です。京浜東北線配属時は唯一のPS-13パンタ付でしたが、撮影時は残念ながら PS-16に交換されてしまいました。
101系になる前の90形として登場したもので、各所に初期車の特徴がありました。外観では尾灯が内側から交換するタイプの小型です。



車内では、運転室仕切り窓が大窓タイプです。



ちょっと判り難いですが、つり革が少ないです。



運転台は103系と比べると、ややシンプルに感じますが、ゴチャゴチャに感じた103系より個人的に好きでした。



こちらは運転台後の放送装置です。



DT-21台車は乗り心地も良くって好ましいものでした。


ここからの画像は、1976年11月2日 浦和電車区にて



クハ100-56です。先頭のクモハ101-70・モハ100-68は入場中だったのでしょう。
このクハ100-56はその後南武線に転属になり、冷房改造されています。



こちらは中間になってしまっていますが、クモハ101-18です。
クモハ100-18とは一緒に製造されながらも、別ユニットになってしまいました。



クモハ101-18の運転台です。こちらだと、機械式の速度計が少しは判るのではないかと…
この機械式、電気式と違ってカチッ、カチッと針を刻んで行くもの、また進行方向の逆になると針が振れないものでした。



手ブレーキも、旧型のようなものでした。



こちらは連結面貫通ドア横、3人掛けの座席横の機器箱です。
スイッチ類が並んでいました。

101系の思い出

2014-08-20 21:31:00 | 国電 101系
秩父鉄道からも元国電101系が廃車になり、半年近くなりました。
今はステンレスの車両ばかり、確かに光沢の美しいのも良いのですが、やはりカラーバリエーションがあったころが懐かしいです。

1976年11月3日 豊田電車区


クモハ100 が ATC準備クハ103やクハ103冷房車と並んでいます。
中央線では201系化される際に、101系より先に103系が転属されていったのも意外でした。

1977年2月4日 蕨駅 クモハ100-68他


殆どが103系の活躍する京浜東北線に、新性能化の際に101系が50両(ほんの一時的には関西線の12両が借り入れられて62両)が配置されました。
103系にはあまり興味の無かった私にとっても嬉しい存在、僅か50両ながら、編成にもバリエーションがあり、変則編成などもあって楽しいものでした。

1983年1月9日 13:54 東小金井駅


武蔵小金井に西武多摩川線の甲種回送を見に行った時のものです。
当時はまだこんな非冷房も常識でしたね。
この周辺も高架化によりすっかり変わってしまいました。

1985年3月17日 10:16 南浦和駅


この時期、武蔵野線の101系の置き換えが始まり、各線から103系が転属されました。
右は クハ103-600 オレンジバーミリオンに塗装されているにも関わらず、『武蔵野線』ステッカーがあるのも意外です。

1985年3月17日 11:18 南浦和駅


隣の高運 クハ103-813 は、ATC準備車ではなく、武蔵野線に新製配属されたものでした。
『増発で便利 3月14日改正』のヘッドマーク、今日のようにあまりヘッドマークの無かった時代には珍しいものでした。

五日市線 101系

2012-06-28 12:35:00 | 国電 101系
五日市線は、青梅線の拝島から分かれ、武蔵五日市へ至ります。かつては武蔵五日市でスイッチバックし武蔵岩井に至る線がありましたが、こちらは廃線になってしまっています。

五日市線は青梅線と同様、首都圏としては比較的遅くまで旧形電車が活躍していましたが、残念ながら??? 103系により新性能化されてしまいました。その103系も201系へ、そして今はE233系へと変遷は激しいです。
青梅線は立川から青梅への運転の他、東京より中央線との直通運転が行われていますが、五日市線は殆どが拝島⇔武蔵五日市の区間運転となっています。
101系の活躍の頃は、武蔵小金井(ムコ)区の附属編成で運転され、方向幕に字幕が無いため、編成番号札部分に方向板を掛けていました。

今日の画像はいつも以上にお見苦しいものですみません。当時はポケットカメラを持ち歩いていたものですので…









画像はいずれも 1982(昭和57)年10月24日 拝島駅にて
クモハ101-123 + モハ100-804 + クハ100-47

低屋根800番台も入ったりしていました。
拝島駅、最近すっかり立派になってしまいました。西武線との乗り換えは不便になってしまいましたが。