五日市線は、青梅線の拝島から分かれ、武蔵五日市へ至ります。かつては武蔵五日市でスイッチバックし武蔵岩井に至る線がありましたが、こちらは廃線になってしまっています。
五日市線は青梅線と同様、首都圏としては比較的遅くまで旧形電車が活躍していましたが、残念ながら??? 103系により新性能化されてしまいました。その103系も201系へ、そして今はE233系へと変遷は激しいです。
青梅線は立川から青梅への運転の他、東京より中央線との直通運転が行われていますが、五日市線は殆どが拝島⇔武蔵五日市の区間運転となっています。
101系の活躍の頃は、武蔵小金井(ムコ)区の附属編成で運転され、方向幕に字幕が無いため、編成番号札部分に方向板を掛けていました。
今日の画像はいつも以上にお見苦しいものですみません。当時はポケットカメラを持ち歩いていたものですので…
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画像はいずれも 1982(昭和57)年10月24日 拝島駅にて
クモハ101-123 + モハ100-804 + クハ100-47
低屋根800番台も入ったりしていました。
拝島駅、最近すっかり立派になってしまいました。西武線との乗り換えは不便になってしまいましたが。
五日市線は青梅線と同様、首都圏としては比較的遅くまで旧形電車が活躍していましたが、残念ながら??? 103系により新性能化されてしまいました。その103系も201系へ、そして今はE233系へと変遷は激しいです。
青梅線は立川から青梅への運転の他、東京より中央線との直通運転が行われていますが、五日市線は殆どが拝島⇔武蔵五日市の区間運転となっています。
101系の活躍の頃は、武蔵小金井(ムコ)区の附属編成で運転され、方向幕に字幕が無いため、編成番号札部分に方向板を掛けていました。
今日の画像はいつも以上にお見苦しいものですみません。当時はポケットカメラを持ち歩いていたものですので…
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画像はいずれも 1982(昭和57)年10月24日 拝島駅にて
クモハ101-123 + モハ100-804 + クハ100-47
低屋根800番台も入ったりしていました。
拝島駅、最近すっかり立派になってしまいました。西武線との乗り換えは不便になってしまいましたが。
101系800番代は車内も天井がその部分だけ低く、ファンデリア装備でした。ファンデリアと言うと、昔の西武の電車や営団地下鉄を連想するのですが。
101系の後継者、201系にも800番代が登場するかと思っていたら、パンタグラフの小型化によりトンネル対応が可能となり、実現はしませんでしたね。
800番代が本来の中央線から総武線、鶴見線へ移動しカナリア色で活躍したのも意外でした。
五日市線の武蔵五日市-武蔵岩井間は昭和46年に旅客営業が廃止された後も、大久野までの貨物輸送は昭和57年まで続いたようです。私は残念ながら貨物の記録はしていなかったので…
電化も昭和36年でそれまで貨物はSL牽引、旅客はディーゼルカーだったんですね。青梅線より南武線との縁の深い会社だったことも興味深いところです。もし国有化されずに民間だったら随分違った雰囲気だったでしょうね。
101系の800代低屋根部分、たしか扇風機ではなくて、
ファンデリアだったような記憶です。
電車の記憶はほとんどありません。すみません。
青梅線・五日市線の73・72系、クモハ40の増結もあったりで首都圏でも面白い存在でした。その分当時の新聞などでもいつまで経ってもボロと叩かれていましたが…
元々南武線との繋がりも大きい線なので、ED16も特異な存在でしたね。本当に懐かしいです。
が走っていましたね。モハ40型両運車、73系やクハ55・16など雑多でした。モハ40型は競馬場線と共通運用だったのかも知れません。青梅線の貨物牽引機はED16でした。みな懐かしいです。