2月23日 (木曜日) ②
この時期は市からの連絡文が多い。
自治会会長変更あればその連絡を出してくださいとか
役員「副会長・会計」の10年以上表彰の依頼とか
環境美化委員の継続・変更・新任の手続き依頼などが来る。
何人かに相談・確認して書類の提出を行った。
★そろそろ総会の資料も準備を始めねば・・・だが・・
~~~~~~~~~~~~~~~~~
群馬上毛新聞のコラム欄
▼「白鷺城」とも呼ばれる世界文化遺産の姫路城。
かつての三の丸の一角、やや高台になった場所に千姫ぼたん園がある。
時季になると、咲き競う大輪越しに優美な白亜の城を見上げることができ、
人気の撮影スポットでもある
▼以前訪れた際、クロマツの脇に「館林市 市木」の標柱を見つけ、足を止めた。
館林と姫路の交流の証しに気が付く人は多くないだろう。
縁をつなぐのは戦国武将榊原康政である
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼徳川家康に仕え「徳川四天王」の一人に数えられる名将。
家康の関東入国とともに館林城に入り、初代館林藩主を務めた。
出生地の愛知県豊田市と、康政の子孫にゆかりのある姫路市、
新潟県上越市とともに4市で1985年から友好を深めている
=================
(メモ)
★徳川家康には篤く仕えた三河家臣団がいたからこそ、
天下を取れたといわれていますが、
その中でもとりわけ家康に忠義を尽くし、
江戸幕府が長く続く基礎をともに築いた4名の家臣が、
仏教の四天王になぞらえて「徳川四天王」と呼ばれています。
その4人とは、酒井忠次、
本田忠勝、榊原康政、井伊直政です。
もとになった仏教の四天王とは、東西南北を護る
“東方の持国天””西方の広目天””南方の増長天””北方の多聞天(もしくは毘沙門天)”
のこと。
~~~~~~~~~~~~~~~
▼武勇一辺倒ではなく教養もあり、文字を書かせれば達筆。
小牧・長久手の戦いで、敵将羽柴秀吉をののしる書状であおりにあおって
10万石の賞金首にされたという逸話がある
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼古くから水害に悩まされていた館林では堤防を造ったり、
堀や土塁で城下の守りを固めたりとまちづくりに力を注いだ。
人々の暮らしを安定させることに心を砕き、発展の礎を築いた。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▼NHK大河ドラマ「どうする家康」の作中ではまだ小姓、
自由気ままな振る舞いが印象的だ。
史実に照らすと、戦功を挙げて家康から1字を与えられ「康政」と
名乗るのは間もなく。智将への成長のサイドストーリーにも注目している。
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この時期は市からの連絡文が多い。
自治会会長変更あればその連絡を出してくださいとか
役員「副会長・会計」の10年以上表彰の依頼とか
環境美化委員の継続・変更・新任の手続き依頼などが来る。
何人かに相談・確認して書類の提出を行った。
★そろそろ総会の資料も準備を始めねば・・・だが・・
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群馬上毛新聞のコラム欄
▼「白鷺城」とも呼ばれる世界文化遺産の姫路城。
かつての三の丸の一角、やや高台になった場所に千姫ぼたん園がある。
時季になると、咲き競う大輪越しに優美な白亜の城を見上げることができ、
人気の撮影スポットでもある
▼以前訪れた際、クロマツの脇に「館林市 市木」の標柱を見つけ、足を止めた。
館林と姫路の交流の証しに気が付く人は多くないだろう。
縁をつなぐのは戦国武将榊原康政である
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▼徳川家康に仕え「徳川四天王」の一人に数えられる名将。
家康の関東入国とともに館林城に入り、初代館林藩主を務めた。
出生地の愛知県豊田市と、康政の子孫にゆかりのある姫路市、
新潟県上越市とともに4市で1985年から友好を深めている
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(メモ)
★徳川家康には篤く仕えた三河家臣団がいたからこそ、
天下を取れたといわれていますが、
その中でもとりわけ家康に忠義を尽くし、
江戸幕府が長く続く基礎をともに築いた4名の家臣が、
仏教の四天王になぞらえて「徳川四天王」と呼ばれています。
その4人とは、酒井忠次、
本田忠勝、榊原康政、井伊直政です。
もとになった仏教の四天王とは、東西南北を護る
“東方の持国天””西方の広目天””南方の増長天””北方の多聞天(もしくは毘沙門天)”
のこと。
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▼武勇一辺倒ではなく教養もあり、文字を書かせれば達筆。
小牧・長久手の戦いで、敵将羽柴秀吉をののしる書状であおりにあおって
10万石の賞金首にされたという逸話がある
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▼古くから水害に悩まされていた館林では堤防を造ったり、
堀や土塁で城下の守りを固めたりとまちづくりに力を注いだ。
人々の暮らしを安定させることに心を砕き、発展の礎を築いた。
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▼NHK大河ドラマ「どうする家康」の作中ではまだ小姓、
自由気ままな振る舞いが印象的だ。
史実に照らすと、戦功を挙げて家康から1字を与えられ「康政」と
名乗るのは間もなく。智将への成長のサイドストーリーにも注目している。
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