1月13日 (土曜日) ② 突然曇って来て雨 霙っぽい!
突然の天候激変が起こった。そんな天候では家の中でTVを見ることぐらいだ。
午前中はPCを使って”ちあきなおみ”の歌を聴いていた。
〇特に”朝日のあたる家”を変えた・”朝日楼”という女郎屋に働く女の悲哀を
歌い上げるのはすごい。
他に”紅い花・紅とんぼ”も聴きごたえがある。
いつ聞いても感情のこもった語りかけるように歌うのが好きだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆14時ごろから急に雨。寒い午後になった。
大学ラグビー決勝戦をTV観戦。
前半20分過ぎたころ、雪と雨と雷で一旦ゲームが休止。
約1時間が経て再開。
帝京が明治を破った。
帝京のスクラムが強い。
====
夕方から風が出てきた。結構強い。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
◆最近は歴史上の人物の”時世の句”を調べて楽しんでいる。
辞世の句とは、人が死を予見したときにこれまでの人生を振り返り、
この世での最後の文章として書き残すもの。
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多くの偉人の最後の句を知ることは各人の死生観に触れることであり、
この先の人生を考えるきっかけにもなるかも。
・・・ただ、凡人の自分にには理解も及ばないが・・!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
偉人の遺した言葉
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
【幕末・維新編】動乱の中を生きた志士の辞世の句と意味
【女性編】美しい言葉で紡がれた歌人・有名人の辞世の句と意味
辞世の句には詠み人の生涯が映し出される
~~~~~~~^
多くは和歌や俳句・漢詩のような詩的な短文で詠まれています。
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以降はメモで少しづつ載せていく。
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
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天下統一を果たした『豊臣秀吉』
貧しい百姓の家の生まれから天下人となった豊臣秀吉。
明智光秀を破り天下統一を果たした後には、
豪華絢爛な大阪城を築いて金の茶室を作ったり、
側室を何人も置いたりと、派手な生活をしていたことでも有名です。
そんな秀吉が詠んだ辞世の句が・・
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
「人生はまるで露のよう(に儚い)。
大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった。」と読めます。
時代を駆け抜け立身出世を果たした秀吉ですが、
最後に振り返ったときには、今までのことが儚い夢のように映ったのかもしれません。
また秀吉は臨終の間際に、遅くできた子どものことを心配していたことも知られています。
栄華を誇った天下人でも、
最期に思い出されるのは愛する家族だったようです。
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突然の天候激変が起こった。そんな天候では家の中でTVを見ることぐらいだ。
午前中はPCを使って”ちあきなおみ”の歌を聴いていた。
〇特に”朝日のあたる家”を変えた・”朝日楼”という女郎屋に働く女の悲哀を
歌い上げるのはすごい。
他に”紅い花・紅とんぼ”も聴きごたえがある。
いつ聞いても感情のこもった語りかけるように歌うのが好きだ。
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◆14時ごろから急に雨。寒い午後になった。
大学ラグビー決勝戦をTV観戦。
前半20分過ぎたころ、雪と雨と雷で一旦ゲームが休止。
約1時間が経て再開。
帝京が明治を破った。
帝京のスクラムが強い。
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夕方から風が出てきた。結構強い。
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◆最近は歴史上の人物の”時世の句”を調べて楽しんでいる。
辞世の句とは、人が死を予見したときにこれまでの人生を振り返り、
この世での最後の文章として書き残すもの。
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多くの偉人の最後の句を知ることは各人の死生観に触れることであり、
この先の人生を考えるきっかけにもなるかも。
・・・ただ、凡人の自分にには理解も及ばないが・・!
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偉人の遺した言葉
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
【幕末・維新編】動乱の中を生きた志士の辞世の句と意味
【女性編】美しい言葉で紡がれた歌人・有名人の辞世の句と意味
辞世の句には詠み人の生涯が映し出される
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多くは和歌や俳句・漢詩のような詩的な短文で詠まれています。
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以降はメモで少しづつ載せていく。
【戦国編】激動の時代を駆け抜けた武将の辞世の句と意味
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天下統一を果たした『豊臣秀吉』
貧しい百姓の家の生まれから天下人となった豊臣秀吉。
明智光秀を破り天下統一を果たした後には、
豪華絢爛な大阪城を築いて金の茶室を作ったり、
側室を何人も置いたりと、派手な生活をしていたことでも有名です。
そんな秀吉が詠んだ辞世の句が・・
「露と落ち 露と消えにし 我が身かな 浪速のことは 夢のまた夢」
「人生はまるで露のよう(に儚い)。
大阪での栄華の日々も、儚い夢のようだった。」と読めます。
時代を駆け抜け立身出世を果たした秀吉ですが、
最後に振り返ったときには、今までのことが儚い夢のように映ったのかもしれません。
また秀吉は臨終の間際に、遅くできた子どものことを心配していたことも知られています。
栄華を誇った天下人でも、
最期に思い出されるのは愛する家族だったようです。
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