1月20日 (土曜日) 雨
朝のラジオ体操と簡単矯正運動程度で一日が始まったが
今日は曇っていて何もできないのでTV観戦だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14時半からラグビー「パナソニック」が三重ホンダと対戦
圧倒的な強さでパナが勝った。
世界の一流選手がここ日本で、まして熊谷の地で見られるのは嬉しいことだ。
これで6連勝だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
女子サッカーの準決勝戦 INAⅭvsちふれ埼玉を観る
延長で神戸が勝った。
=================================
毎日新聞 余録
自民党岸田派の名称「宏池会」は1957年に池田勇人が創設した際、
陽明学者の安岡正篤が命名した。
語源は漢籍の
「高光の榭(うてな)に休息し、以(もっ)て宏池に臨む」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
余裕しゃくしゃくたる様子を表すという。
後に首相となった池田も含め、輩出した首相は5人にのぼる。
その伝統派閥の解散を岸田文雄首相が表明した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲自民党各派パーティーに伴う裏金事件を巡り、
岸田派は元会計責任者が立件された。
首相は「事務的ミス」と釈明したが、自身のけじめを追及されることは必至だ。
政権発足後もつい最近まで、派閥を離れずにいた首相である。
突然の解散は「余裕ある様子」どころか、政権の危機に追い込まれての転換にみえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲岸田派に続き最大派閥の安倍派や二階派も解散を決め、
同調する動きが広がった。
だが、首相は党総裁でありながら残る派閥に解散を呼びかけないという。
なぜ、自ら責任を取ろうとしないのか!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲事件の捜査は、高額の裏金を受領した議員や派閥の会計責任者らの立件で終わりそうだ。
ただし、事務方が一存で多額の違法行為を判断していたなどとは誰も思うまい。
派閥幹部らがどこまで関係したのか。
説明の不在に国民のいら立ちは募るばかりだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲宏池会といえば加藤紘一元幹事長(故人)が
森喜朗内閣倒閣に無残に失敗した2000年の「加藤の乱」も思い起こす。
それでも党のあり方を変えようとした挑戦だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲今度はどうか。まやかしの改革に終わらぬよう目を凝らして吟味したい、
にわか派閥解消劇の行方だ。
==================
メモ
〇自民党の加藤紘一元幹事長(平成28年死去)が森喜朗内閣の打倒を目指した
「加藤の乱」の収束から20日で20年となる。
インターネットを駆使した世論戦術は「ネット政治」のさきがけだったが、
党執行部の切り崩しに敗れた。
今や会員制交流サイト(SNS)などネット環境は飛躍的に発展したが、
世論はより多様化する傾向もある。「乱」から今の政治は何を学ぶのか。(肩書は当時)
「森首相に内閣改造はやらせない」
平成12年11月9日夜、東京・虎ノ門のホテルオークラにある日本料理店「山里」。
加藤氏が政治評論家らを前にこう宣言して乱は始まった。
森首相の「神の国」発言などで森内閣の支持率は20%以下に低迷。
10年の小渕恵三前首相との総裁選に敗れ、
非主流派となった加藤氏が盟友の山崎拓氏と野党の内閣不信任決議案に賛成しようと動いた。
============
★派閥は言葉を変えて・・またまた”政策集団”ということになるかも!
朝のラジオ体操と簡単矯正運動程度で一日が始まったが
今日は曇っていて何もできないのでTV観戦だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
14時半からラグビー「パナソニック」が三重ホンダと対戦
圧倒的な強さでパナが勝った。
世界の一流選手がここ日本で、まして熊谷の地で見られるのは嬉しいことだ。
これで6連勝だ。
~~~~~~~~~~~~~~~~
女子サッカーの準決勝戦 INAⅭvsちふれ埼玉を観る
延長で神戸が勝った。
=================================
毎日新聞 余録
自民党岸田派の名称「宏池会」は1957年に池田勇人が創設した際、
陽明学者の安岡正篤が命名した。
語源は漢籍の
「高光の榭(うてな)に休息し、以(もっ)て宏池に臨む」。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
余裕しゃくしゃくたる様子を表すという。
後に首相となった池田も含め、輩出した首相は5人にのぼる。
その伝統派閥の解散を岸田文雄首相が表明した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲自民党各派パーティーに伴う裏金事件を巡り、
岸田派は元会計責任者が立件された。
首相は「事務的ミス」と釈明したが、自身のけじめを追及されることは必至だ。
政権発足後もつい最近まで、派閥を離れずにいた首相である。
突然の解散は「余裕ある様子」どころか、政権の危機に追い込まれての転換にみえる。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲岸田派に続き最大派閥の安倍派や二階派も解散を決め、
同調する動きが広がった。
だが、首相は党総裁でありながら残る派閥に解散を呼びかけないという。
なぜ、自ら責任を取ろうとしないのか!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲事件の捜査は、高額の裏金を受領した議員や派閥の会計責任者らの立件で終わりそうだ。
ただし、事務方が一存で多額の違法行為を判断していたなどとは誰も思うまい。
派閥幹部らがどこまで関係したのか。
説明の不在に国民のいら立ちは募るばかりだ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲宏池会といえば加藤紘一元幹事長(故人)が
森喜朗内閣倒閣に無残に失敗した2000年の「加藤の乱」も思い起こす。
それでも党のあり方を変えようとした挑戦だった。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
▲今度はどうか。まやかしの改革に終わらぬよう目を凝らして吟味したい、
にわか派閥解消劇の行方だ。
==================
メモ
〇自民党の加藤紘一元幹事長(平成28年死去)が森喜朗内閣の打倒を目指した
「加藤の乱」の収束から20日で20年となる。
インターネットを駆使した世論戦術は「ネット政治」のさきがけだったが、
党執行部の切り崩しに敗れた。
今や会員制交流サイト(SNS)などネット環境は飛躍的に発展したが、
世論はより多様化する傾向もある。「乱」から今の政治は何を学ぶのか。(肩書は当時)
「森首相に内閣改造はやらせない」
平成12年11月9日夜、東京・虎ノ門のホテルオークラにある日本料理店「山里」。
加藤氏が政治評論家らを前にこう宣言して乱は始まった。
森首相の「神の国」発言などで森内閣の支持率は20%以下に低迷。
10年の小渕恵三前首相との総裁選に敗れ、
非主流派となった加藤氏が盟友の山崎拓氏と野党の内閣不信任決議案に賛成しようと動いた。
============
★派閥は言葉を変えて・・またまた”政策集団”ということになるかも!