8月11日 (火曜日)
記事を読み毎年のこの時期は胸が痛む。
明日でまる30年。
「どうか仲良くがんばってママをたすけて下さい
パパは本当に残念だ きっと助かるまい 原因は分らない……
飛行機はまわりながら急速に降下中だ
本当に今迄は幸せな人生だった……」
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博次さんは墜落する機内で、
真理子さんら子供たちと妻に遺書を記した。
河口博次さんを失った河口真理子さんは
8・12連絡会編「茜雲(日航機御巣鷹山墜落事故遺族の30年」
(本の泉社)で述べている。
父が28歳の時生まれた私は、去年父の歳を超えた」。
あの事故で当時52歳だった父。
真理子さんは父の年齢になって分かるその無念を文集につづった。
520人の犠牲者のみならず、その遺族の人生の時間も突然に断ち切った事故だった。
親の享年を自らの年齢に重ね、子の30年後を思う。
ばらばらにされた時間をつなぎ合わせる遺族の8・12である。
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作家の柳田邦男さんは、
遺族の連絡会と日航の間に生まれた航空安全への新たな協力関係に注目している。
遺族の働きかけが日航による事故の記憶継承の取り組みを促し、
双方の対話を通し新たな安全文化が生まれつつあるという.
壊れた時間をつなぐ新しい世代の営みは始まった。
事故の記憶は航空安全に新たな魂を吹き込んでいる。
消えぬ悲しみもそのなかで癒やされるようただ祈りたい。
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