■朝Georgeにバス停まで送ってもらってマンハッタンに入ったが渋滞もあって時間につけなさそうなので駅でブレンダに電話しようとしたら番号違い。あわてて+1番号でかけようとするとつながらない。メッセンジャーを見ると彼女も遅れるようなので安心してメッセージした。3番線チェンバー駅で降りて歩く。意外と近いのだが最初なので感覚が合わず、通り越したのにも気づかなかった。急いで戻って店にはいるとブレンダがテーブルに待っていた。
彼女は911のあとルーテナント(消防司令)からキャプテンに昇進して退職した有名な女性消防士だが今はアーティストだ。NYタワーの36景を描いたといっていた。ミネソタ出身の65歳だと知って驚いた。もっと若いと思っていたが、僕がシニアのメトロカードを見せると彼女も持っているといった。今はミネソタでお母さんの面倒を見ているといい、昨日NYに着いて忙しい日程をこなしているそうだ。福井の観光資料と土産のかりん酒と黒龍を渡した。
食事は昨日と同じオムレツを頼んだが昨日の方がおいしかったかもしれない。食事のあと歩きながら何か飲むかというからいつものようにアルグレイを頼んでテイクアウトした。
まずタワーの中心になる鳥をデザインし天井が開くというシンボルのホールへ行った。
さすがにすばらしいデザインで中央はスケートリンクになっていて各タワーの中心にあり中央から天窓を見ると第一タワーが見えるようになっている。被災したというダメージを観光客を呼び込む十分なエネルギーに転換できているすばらしい設備になっていると思う。
トリビュートセンターへ行くと係員は皆彼女を知っていてそのままスタッフ事務室に入り、皆と挨拶をかわし日本からの友人だと紹介された。
そこの展示を見て15分後に戻ってくれと言われて、会場を一回りした。ミュージアムとはちがい被災状況の当事者関係の展示で、総北地震の福島の展示があったり、千羽鶴がかけてあったりする。
2時のツアーの時間になって入場券も買わずに列の中ほどに押し込んでくれたのでもうかったと思ったがなんと、彼女自身がガイドするらしいということにその時気づいた。
彼女はボランティアのガイドとしてもう200回以上このツアーで同じ話をしているのだといった。多い人は500回しているボランティアもいるといい、東北の被災地にも行っている。スタッフの中に2度も行ったという女性もいた。この日風も強くひどく差もい日だったけれど観光客は多かった。
さすがに彼女の説明は当事者としての迫力があり、写真を示しての解説は効果的だと思った。スイスの客に対してはスイス関係者の貢献度を示したり、イタリアの観光客に対しては設計アーティストの紹介をするなど観光客層自体が十分このツアーに引き込こまれる要素を持っていてさすがだなあと感心した。1時間いくらかのツアーが終わると拍手が沸き起こった。
ツアーの間に僕のiPhoneバッテリーがなくなってしまったのでスタッフルームで充電するまで少し待つことにした。彼女はもうすぐ帰ってコンサートに行くようなことを言って別れを告げた。
スタッフに元ウインターガーデンの場所へ行きたいと言って教えてもらったがこの名前はスタッフたち以外は知らないのかもしれない。やっとあのガラスのドーム天井がみえる建物が見えたときその名前が変わっていることに気づいた。BrookfieldPlace!となっている。
でもあとで調べてみるとこれは北側の入口の名前でWinterGardenの名前はそのまま今も残っているようだ。
その中はだいたい前のままのイメージどおりだが、天井のランタン飾りがなにか台湾の九分を思わせるようでもあり、まあそれでもいいかもしれないと思う。なにしろここがどうなったかを知りたい一念で、いってみればここに来ることが今回の旅の目的でもあったから、それなり感激はあった。ドームを出てハドソン川の向こうに見えるNJの高層ビルがNYっぽいというところも昔と同じ。
桟橋からフェリー風の船が出港しサウスシーポート側に進んでいく。もう日が落ちかかっていてここから遊歩道ぞいにバッテリーパークを歩いていくと向こうにエリス島や自由の女神が見える。ここを歩いてボーリンググリーンのメトロ駅を通ってスタテンアイランドフェリー乗り場に到着。
当時片道50セントだったけど今は無料のフェリーから見るマンハッタンの夜景こそ僕の二ューヨークイメージだったけれど、今はそれがどんなふうに見えるか?これがこの旅のもう一つの目的だった。新しいワントレードセンタービルはカラフルに目立つようになった分だけはバランスを取り戻しているようにも思えてこれでよくなったのかもしれない。
ちょうど雪がちらほら降り出してきて写真の背景がぼけてしまうのだが、、まあいいか、、。帰りのフェリーでマンハッタンに戻ってからまっすぐNJの家に帰った。
■今は日が落ちるのが早く、4時ごろになるともう暗くなりはじめてしまう。日も暮れてからブライトンと我々3人は近くのゲームセンターへ行くことになった。ブライトンとジョージはバスケットボールが好きでシュートを繰り返すものとかピンクパンサーといってスーパーマリオみたいなやつとかに挑戦。僕も誘われてローラーコースター体験で座席が震えて臨場感が増す奴なんかをやってみた。シューティングゲームみたいなのもある。そういえばブライトンはプレゼントで柔らかいプラスチック弾を撃てるモデルガンをもらって喜んでいたがこれは日本なら問題になるかもしれない。親子できているというのは健全といえるかも、、。
帰宅して遅くなってからブライトンをホームアローンにして夫婦だけでカラオケにいくという神経は日本人としては考えにくいが、子供としては親からかまわれることからの自由があっていいのかもしれない。
カラオケといっても日本とちがって大きなバーの壁面にたくさんのモニターがあって2,3種類のTV番組を流しておりその中の1種類に歌詞が写されるようになっており、歌い手だけでなく店中の客が声を出せるようになっているのが違う。
隣の酔っぱらいのコロンビア人がショットをおごると言って盛んにオーラにはなしかけたりしてくろ。曲がラテンならと思ったがラップ、ヒップホップ、たまにバチャータ風がかかって誰かを誘って踊ろうとするがオーラもついに腰を上げなかった。さすが店の子やアフリカンはノリがいい。どうも68歳が踊っとるというので「You are the hero!」なんて声をかけてくる子がいたりする。George夫妻にしても踊り出した僕を見て結構刺激的だったみたいだ。