くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ロシア紀行29日

2014年04月30日 | Weblog

■明日はモスクワに戻るので今日が最後のサンクトぺテルブルグ。どうしてもエミルタージュだ。

ネフスキー・プロスペクト駅は一駅となりのはずなのにすんなり行けない。乗り換え表示がややこしいからだ。1号線ではプロシャーチ・ヴィスタ-ニャ駅から入るのだが3番線のホームに行くとそこはマヤコーフスカヤ駅と表示される。そこから隣の駅がガスチ-ニュイドヴール駅だ。そこから駅の連絡通路を延々と歩いて2番線のホームへ行くとそこがネフスキープロスペクト駅でそこの出口から外に出ないといけない。

日本語で読んでも舌をかみそうなのに、表示はキリル文字、その下にここではラテン文字表示されるのでローマ字風に読もうと思えば発音できるが、ものすごい速さで押し寄せる人波をよけるので精一杯ではもう行くとこまで行かないと確認のすべがない。メトロマップを見ても連絡できる駅では両方表示されていて,なれないと何処にいるのかさっぱりわからないことがある。メトロ内セキュリティーの視点からはこれが1番の問題だと思う。あの通訳警察官の彼女もメトロ内の英語表示が間違っているところがあるとぼやいていたくらいだ。

とにかく駅を降りて、宮殿広場に向かうとたくさん観光客が来ている。僕は来る前に「歩き方」でエミルタージュとロシア美術館の項を読んで中の歩き方、主な展示内容を頭にいれたつもりだが、簡単にはいかない。切符は発券機で買ったが人の列が何の列がわからない。聞いてロシア語で返ってくるとますます解らない。近くのおばちゃんが「券を持ってるひとはそっち」なんて言っているようなそぶりをみて、あたふたとそっちへ走るありさま。

こちらの博物館などの入場券は入り口回転バー横の読み取り装置で地下鉄の時の様に入場する。エミルタージュでは更に空港でのセキュリティチェックと同様手荷物の透視と磁気ゲート通過がある。

僕はいつもウエストポーチ一つで行動するので荷物預かり所はパスだが館内は非常に人が多く、どこからスタートかわからない。今日1日かけてもいいつもりで来たから自由に見て回る事にした。たしか20世紀美術は3階だからと思って、正面の「ヨルダン階段」と呼ばれる赤絨毯の華麗な階段を上る。ロシアでは宮殿を美術館、博物館などにしていてその宮殿設計自体が展示物なのだ。

3階にあがったところを横にはいったら人が少ない日本のコーナーだった。人気がないのか静かでほとんど人がいない。展示は見て回るうちにこれは数だけでもすごいなと思った。

日本だけでなくモンゴル、ウラル、チベット、中央アジア、インド等々にわたっているがまだ整理もおわってないというようなマイナーな印象を与えているのじゃあないかという気がする。

次に宗教画や肖像画みたいなコーナーが延々と続く中を完全に迷ってしまった。そのうち1階の古代ギリシャローマまでくるともう歩くだけで精一杯になってしまった。とにかく、有名な宮殿の部屋だけでもおさえておこうとやっとたどり着いたのが「パビリオンの間」。

ここに「孔雀時計」がある。エカテリーナIIのツバメだったポチョムキンが贈ったものだ。金色で精巧な孔雀ではあるがどういうように時を刻むのかは定かでない。

エカテリーナIIがロシアの威信を取り戻すために集めまくった美術品の数々は半端でない。そのエカテリーナはピーターの孫の嫁さんで、ドイツ人だからそのエネルギーをロシア人特有のものと考えることは出来ないと思うが、外国人に権力を偏見なく与えて国家をまかす鷹揚さにはロシア人的なものがあるのかもしれない。

「祖国戦争の画廊」といわれる部屋はあのロッシの設計だ。戦争に参加した将軍の肖像画が赤い壁面全域にわたって掲げられている。均等で対照なデザイン。

祖国戦争というのはロシアがナポレオンに勝った戦争だが、実際はナポレオン軍が寒さで自滅しただけなので勝ったというにはおこがましい。しかしローマに攻め入ったロシア軍が自国の後進性に気づいて変革の機運を持ったことは前進だったと思う。

ようやく「聖ゲオロギーの間」にたどりついた。皇帝謁見の場所で、正面にはロマノフ王朝の紋章、双頭の鷲が掲げてある。双頭の鷲はもともとローマ帝国の紋章で西と東を支配する意味だったがハプスブルグ家やロマノフ王朝はこれをパクッタのだ。ピーターが双頭の奇形動物のコレクションに走ったこととの関連は定かでない。

ほかにも見つからなかった宮殿の間もあるが、ただいまは足が疲れて疲れて、、そこで色々訪ね歩いた結果、目的の20世紀絵画の展示室にたどり着いた。最初の日本コーナーの並びだった。

まず、セザンヌ,ゴッホ、ルノアールなど。そしてゴーギャン。

本当は彼の作風は僕の好みではないのだが、とても気になる作家。彼は僕の生まれる100年前に生まれて金儲けしてからタヒチで絵を描いて55歳で死んだ。S.モームの「月と六ペンス」のモデルだ。彼はサウスパシフィックの異文化に同化しようとしたのか?できたのか?彼の薄暗い作品のなかで想像する楽しみがあった。ここにはそれに十分なゴーギャンがある。

そしてマチス。僕一人の根拠のない勝手な思い込みによれば彼の「ダンス」は現在存在する絵画のなかでは最高価格で落札されるものである。そのマチスの部屋があって、「ダンス」の反対側の壁に「ミュージック」があって中央に「赤い色の部屋」がある。「ミュージック」では5人の男女は皆正面を見て楽器を演奏したりしているのに対し反対側の「ダンス」では一人だけ顔がみえるがのあとの4人はみな後ろを向いた形になっているのに気づいた。あのみえる顔はだれなんだろう。マチス自身の顔かな、と思ったりもする.「ミュージック」では1人が立っていてあとの4人は座っている。この静とダンスの動の対比をこの展示で意図している。

どうして青、赤、緑3色だけの組み合わせでこうダイナミックな印象をあたえるのか?そうだ光の周波数なんだと気づいた。赤と青はそれぞれ赤外線、紫外線の方向で対極にある。そして緑の周波数は可視光線の中間に位置している。だから一時、モニターの色は緑が目に優しいと考えられた時期があったのだ。可視光線のなかで波長の長い赤と中間の緑と短い青を使ってもっとも強烈な色のコントラストを狙っている、、、。

ダンスにはまったく同じ構成で色が違う作品がNYのモマ(近代美術館)にあるはずだ。これは人体のいろが赤ではなく肌色だ。上の理由でこちらのダンスの方が強烈であることは疑いない。僕がNYにいたときダンスを見たかどうか記憶にない。もう一度見てみたい気がした。

もうこれでいい。見たかったカンジンスキーはみつからなかったが、もういいや疲れた。

今日はロシア美術館もみないといけないので、、。そしてやっとたどり着いたと思って入場券を買って入ったら、、。あれっ!間違えた。隣の「ロシア民族博物館」に入っちゃった。どっちもルスキーとムヅィーエが入っているので、、、。ま、いいか、こっちも面白そうだしちょっとだけ、、、とロシアの各種民族の衣装や生活用具などの膨大な展示品を見ているうちにもう本当につかれた。どこや出口は!みつからん!あぁ。

やっと出て、となりのミハイル宮殿(ロシア美術館)の入り口まで来ると誰も人がいない。もう閉館時間になっちゃったのかな?俺、時計ないから、、、。今日は休館日だ。もうかえる。絶対かえってホテルで寝る。

 

 

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ロシア紀行28日

2014年04月29日 | Weblog

■朝、日本領事館に電話すると、「ツアーですか、個人ですか、、市内の電話機から国際電話できますけど、、skypeできないですか、、HISならモスクワ支店の電話お教えしますが、、、」つれないことこの上ない。こちらは自分から銀行にカードの使用停止を電話しないといけないのに、モスクワ支店がいったい何ができるというのか?電話が使えるというのならこちらは何処にあるか知りたいと言っているのに、、。領事館というのは在外邦人の援助が仕事じゃあないんかい、、と思う。しかし、このホテルから国際電話が出来ないことを確認したらしく「他の方との公平ということもあって、普通そういうことはやらないんですが、、来てください」ということになった。

 

行くと、男の事務官1人とロシア人女性の受付、ロシア人のドアマンの3人体制のようだ。お客がひっきりなしのようで忙しそうだった。

 

CITIバンクと、VISAカードに使用停止を申し出て、CITIの口座から最後に引き出したもの以外のアクセスはないことが確認できて一安心だ。保険会社への連絡はあとでもいいかな。

 

聞かれたので事情をはなし、警察の調書をみせたら、驚いて当該事務官いわく

「お宅は非常にラッキーでしたね。普通こういうことはないです」

「こちらの警察は全く信用できないです。まず、調書をとってくれる通訳に連絡してくれることがなくて、窓口で追い返されるのが普通です」という。

 

「いや、別にすぐ連絡してくれたわけではなくて、ぼくも結構ねばったし5時間ぐらいもかかったんです」

 

「そりゃあ、はやいですよ、、10時間とか、、ありますから、、、典型的なパターンなんです。そりゃあ、たくさんありますよ。1日に2回続けて盗られた方もいました。みなさん被害届なしで帰られますね。保険会社はなくてもだしているようですし、、でも、これなら全く問題ありませんね。ツーリストの方では見たことがありません」

 

「ここはヨーロッパの国とはちがって遅れているんですよ。われわれは観光の皆さんに地下鉄、バス、トローリーバスの使用をお勧めしません。タクシー、それもホテルで呼んだものと徒歩ですね」

 

ええーっ。なんだか話がちがうなぁー、、と思う。

 

iPhone はかならず狙われます。ここで4万ぐらいで売れるんですよ。4万円といえばこちらの1ヶ月の給料ですから。でも日本のものはここのシムカードが使えないので捨てられますが、、、」

「日本のバンクカードで使えるのは東京住友とCITIバンクだけですが、ここではパスポートを取られるとまず帰国できないでしょう。パスポートは袋やケースに入れないで裸で保管してください。入っていると大切なものだと思われて被害に会いやすいです」なるほど、、。

 

ここよりモスクワのほうがもっと危ないです。強盗がいますから。」

 

ここでは夜遅くても明るくて時間の感覚がわからないんで時計。それにせっかく来てるんだからカメラが欲しいんですが安く手に入るところないですか?と聞くと、ここでは日本よりずっと高いので、シムカードなしの携帯をかったらいいかも知れない、携帯はパスポートをだせばツーリストでもかえますから、とのこと。時間もわかるし、、。

 

いろんな情報が手に入った。とにかくカードを安全に処理できたのは良かった。

さて、ホテルの受付の子がいろいろ買い物に店が集まっているようなことを言っていた場所リゴフスキープロスペクトへ行くことにした。

 

駅を出るとすぐにマクドが目に入ったので入ってみることにした。店は新しくきれいで世界中同じだ。味は日本よりおおざっぱな感じでおいしいという気はしないが手軽ではある。

 

横の女性に地図を示してここはどこか試しに聞いてみると、なんとプロシャーチ・アレキサンドラネフスカヴァだと言う。目的の次の駅だった。おかしいなぁ、しかしついでだから近くのアレフサンドルネフスキー大修道院に行って見ることにした。エーゼンシュタインの映画にもあったこの名前も、ネフスキー通りも「ネヴァ川」にちなんでなづけられているらしい。

 

ためしにもう一度逆のメトロのルートで隣駅でおりるはずがドストエフスカヤについてしまっていた。駅に止まらないのか表示が間違っているのか、、今日は特別なのか、、なんだかわからない。

 

ネフスキー通りにちかいいわゆる建築家ロッシ通りを歩いてみることにした。イタリアの建築家で旧参謀本部やロシア美術館(ミハイロフ宮殿)を設計したことで有名なかれが造った通りがある。通りの左右対象の建物は高さが通りの幅と同じ22m。通りの長さは10倍の220m。正面の同じデザインの建物に向かって歩いていくと、自分が奇妙な空間にいる気がしてくる。

 

今日はペトログラードのペトロパヴロフスク要塞を見ておこうと思った。サンクトペトロフスクの歴史がつまっているところだ。その周辺が川岸まで歩けるようになっていて人が気持ちよさそうに散策している。メトロ駅から要塞まで広い公園になっていてそこがなんとも気持ちがいい。ヤロスラヴィのボルガ川沿いの公園もよかったがこっちはもっとカッコイイという感じだ。ここには砲兵博物館というのがあるらしい。広い公園だ写真が撮れないのがくやしい。

ロシアでは若者に自転車がはやっているようで、かなりレベルの高い自転車があるのが目につく。折りたたんで抱えて歩く人もいるし、スクーター(子供が片足でけって進むやつ)を使っているおばさんとか、ローラーブレードの若者も時折みかける。

 

島になっている要塞に入るための広い橋があって橋を渡るとき川の中に杭がいくつか立っていてその中の1つに石のウサギがすわっている。そうだ、この島はウサギ島というんだった。城壁の内側には沢山の建物があるが、チケット売り場で全部入れる券はないかと聞いたがないらしい。教会と監獄の2箇所を回れる券を買った。

 

あのイカレたピーターのことだからちょっと違うはずだと思って中にはいると少し雰囲気は違うような気がする。とにかく歴代皇帝の墓になっていて棺おけが並んでいるわけである。展示を見ていたら日本人の若者3人組にあった。これからめいめい別の旅が続くようだ。僕みたいにならないように気をつけなさいよ、とアドバイスをひとこと。一回りして監獄へいく。

 

監獄の設計には興味があって、彼がどういう設計をしたのか見るのが楽しみだった。監獄は五角形の回廊になっていて、中庭があり囚人の運動場になっている。といっても1日1回石畳の上を歩いて回らされるということだが、、。中庭の中央には風呂場になっていて、中は脱衣場、浴槽と洗い場、サウナ部屋に分かれている。サウナがあるのだ。

 

回廊の外側が監獄になっている。内側は通路になっていて看守がまわって扉の小窓から中をのぞけるようになっている。歩く音がしないように廊下には絨毯が敷いてあったらしい。

獄舎は8畳間ぐらいで回廊外側に向いた高い鉄格子の入った窓がある。中央にベッドと、壁際に四角い箱型といれと水道のでる流しがある。電気がつくようになってからベットの上に電球がつくようにもなったらしい。回廊の内側は窓があって看守はいつでも中庭の状態が見れるようになっている。

 

収容者の1人1人の写真と説明がかいてあるがピーターの息子の名はない。いわゆる政治犯刑務所でいわば網走刑務所みたいなところだ。みなさん科学者やゴーリキーなどの芸術家、思想家で皆インテリな顔をしている。レーニンの兄もいたはずだが、、、。血の上の救世主教会の場所でアレキサンドルIIの暗殺に関与した「ナロード」運動のテロリストたちやレーニンをサポートして投獄されたボルシェビキの連中の名前がつづく、、。興味がある人には面白いが、ない人には全く面白くないところだろう。

 

疲れたので露天の店でジュースのミニパックを買って飲んだら40p。となりのトイレにおしっこに入ったらそこは回転バーのついた有料トイレで20p。高いなぁ、、と思いながら男子用の便器、これも高いんだわ。なにしろロシア人は体がでかくて足が長い。子供用でもふれそうになる。おしっこしながら、、これ60pのおしっこ、、、かな。

 

ホテルのあるプロシャーチ・ヴァスターニア駅を出て、モスクワ駅の横にあって、ひどく目につくカフェがある。どうも高そうな気がして入りにくいのだが盗難事件以後、妙に気持ち的に金遣いが荒くなったような気がする。その日は抵抗なく入ってメニューをもらう。

メニューはかっこいいデザインの色さまざまな小品がならび皆安くても250p、350pなどとなっている。オレンジジュースかなと思うとチャイ(お茶)だという。もう1品サリャンカ風肉のチャウダースープを注文。Buckthorn(くろうめもどき)teaというお茶はジュースと関係ない味で、お茶だった。あわせて500P。このロケーション、この雰囲気、、これをカッコイイ、、というならサンクトペテルスブルグは超カッコイイところかなぁ。

もう夜10時だと言うのに夕方4時ぐらいの感覚。これはすごいことだ。

 

昼でも車はヘッドライトをつけてることとかんけいあるのかな?

 

 

 

 

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ロシア紀行27日

2014年04月29日 | Weblog

■朝食はホテルの宿泊に含まれているのでレセプション横の食堂ですませてモスクワ駅に行く。駅では乗客以外は入れないがメモを見せると警官は駅のビジネスセンターに連れて行ってくれた。しかしそこでは国際電話は出来ないし、出来るところはないという。超1流のホテルだったら出来たかもしれないが、仕方ない、明日日本領事館に連絡することにして今日は日曜日だからまず日本円を両替しないと動けない。あいてる所はあるのかな?

ネフスキー通りを歩くとグリーンの標識の大きい銀行が開いていた。そうだこの辺で一番大きい銀行と聞いていたのはここかもしれない。

すぐ、換えてくれたので肩の荷が下りた。しかも3万円9800pだ。成田の換金では8800pだったのでこっちのほうがずっといい。換金できなかったら領事館に行くまでのまず食わずで、、と思っていたので気持ちが楽になり、いい天気でもあるし、今日はしっかり観光するぞ、、。

まず領事館の場所を確認しておこう、と歩くとサナス・ナ・クローブ(血の上の救世主教会)が目に入る。なんといってもSPBでエルミタージュの次はこれだろう。モスクワのイワン雷帝が作ったネギ坊主、ワシリー聖堂のコピーだという人もいるがこちらは20世紀初頭の杭なし工法で構造がまるで違う。不幸なアレクサンドラIIが過激派「人民の意志」によって暗殺された現場にたてられたすばらしい教会だがソ連時代には倉庫だったそうだ。今では観光収入トップの教会だろうと思う。

近くのモイカ通りを歩くと日本領事館があった。ためしに呼び出しベルを押してみると横の監視室からセキュリティーが飛んできて今日は日曜だからしまっていると言った(のだろう)。

宮殿広場にでてエルミタージュを見る。反対側の「旧参謀本部」の建物がまた迫力がある。ここにKGBがいたのか?まだいるのか?それは知らない。宮殿橋を渡って今日の1番のめだまである(私の評価では)クンストカメラにいく。この街を作ったピーターという男ののイカレぐあいを見ることができると思ったからだ。その予想は裏切られなかった。

正式には「ピョートル大帝記念人類学・民俗学博物館」というロシア最古の博物館だが要するに彼の趣味で集めたものがはじまりなのだが、双頭の奇形胎児などのアルコール瓶が延々と並んでいたり双頭の鹿の剥製だとか一角獣の角だとかはるかに2Mをこえる人間の骸骨だとか(これは彼の遺骨かとさえ思ったほど、、大男だったのだ)。こりゃいったいなんだ、と思うくらいだ。そんな中を小さい子供を引き連れた先生が説明している。こんなこと日本では、はたして、、、。

まず、一階に日本に関する陳列があるが、さまざまな根付、ミニ浮世絵、19世紀後半の普通の人や生活用具の写真、ミニサイズの模型では稲荷神社の鳥居だったり、坂本竜馬の肖像画まである。鎧兜の武士人形の前で先生が子供たちに武士道を解説しているらしい。花嫁衣裳の人形に引き出物、養蚕の用具のミニチュアから握り寿司のプラモデル、、、。これが各国別のコーナーになっていて、このめちゃめちゃさが何とも楽しい。

このピーターという男は皇帝のくせに身を隠してドイツで数学や砲術を学んだり造船所で働くなどしている。都市計画や建築設計図など自分で描いてしまう。だからドイツに対する執着があるのかロシアの都市なのにドイツ語のぺテルブルグ(ピーターの町)なのだ。更にサンクト(聖なる)をつけてキリストの使徒の名をかたるなど尋常ではない。

彼が造った要塞にはさらに、なんと使徒パウロの名までパクッてペトロパブロフスク要塞という。結局これは要塞として機能したことはなく監獄として使われたが、その囚人第一号は自分の息子で拷問して毒殺してしまった(獄死だと言う人もいる)というのだ。ここは今は歴代の皇帝の墓場になっている。

そんな彼に最後までごますりながら私腹をこやした忠臣メンシコフがいる。ピロキシ売りのガキから公爵までに成り上がった彼は自分の女をエカテリーナIとしてピーターの皇后につかせ、ピーターの死後も権勢をふるったが彼女の死後おちぶれてシベリアで死んだ。

そこで次にそのかれの宮殿「メンシコフ」宮殿に行ってみた。ピーターは自分は粗末な家にすんで、この宮殿を迎賓館として使っていたという。いかにもいいダンスホールがあった。

次に行ったのがイサク聖堂。ピーターと同じ誕生日の修道士、聖イサクにちなんでこう呼ばれるそうだ。このドームのラセン階段を登るとSPBが一望できるというので上がってみた。景色はモスクワよりもガサツなような気がしないでもない。あのモスクワでみた高層ビルの林立する、というようなところはないか?、、、バシリエフスキー島のさきのほうに見えるような、みえないような、、、。

ネフスキー通りを歩いていてグリボエードフ運河にさしかかったとき運河遊覧船の発着場になっていたので乗ってみることにした。テレビのロシア語講座テキストに載っていたところだ。運河を渡り橋の下をくぐってネバ川に出て要塞のあたりまで行くツアーだが、これにはロシア語のガイドがついてずっと最後まで解説が続いていたが勿論一言もわからない。しかしこれはモスクワでの川めぐりツアーよりもカッコイイと思うが川風に吹かれて結構寒くなる。

運河はもともとこの地はいつでも洪水にのみこまれる場所であったので造られた運河だが、海上交通というよりロシアのベネチアを志向したのだろう。大分違うと思うが、、。

ここは夜が長い。白夜が有名なくらいだ。時間の感覚がちがってくる。10時をすぎてもまだ夕方の感じなので生活時間がふえて儲かったような気がする。今日は初めてだし昨日のショックが癒えてないのでゆっくり行こうと思ったが、けっこうハードに歩き回ってしまった。

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ロシア紀行26日事件発生

2014年04月28日 | Weblog

■緊急事態が起こった。メトロで財布とiPhoneを4人組に取り巻かれてとられてしまった。おかげで深夜まで対策に追われて疲れ果てた。ルーブルをすべてなくしコインが100p(300円)ほどあるだけ。日本円は現金でなんとかあと1週間ぐらいはもつが、換金できるかどうかが問題。ヤロスラブでは換金できず、シティバンクカードが使えなかったのでヒヤヒヤしたが、今度はそれどころではなくなった。

今日は土曜日、明日は日曜だ。まず、CITIカードとVISAカードを止めないと下ろされてしまう例があるから夜遅くホテルに帰ってフロントに確認すると国際電話はできないとのこと。外でかける場所はないが、モスクワ駅の階下にできる場所があるという。電話させてくれというロシア語のメモをもらって明日トライするが、だめなら月曜に領事館にたのみこむしかないかな、、。

iPhoneがないと国際電話ができないのがつらい。LINEFACEBOOKSNSメールもだめ!いままでのロシアの写真、カードインフォメーション、IDの類も参照できない。困ったものだ。時間さえわからなくなってしまった。たよりはこのブログとメールだけ、、、。

昨夜はヤロスラブリで夜行寝台車にやっとのことで乗って同じコンパートメントの2人の若者(SPBからきプロのフリースタイルレスリングの審判だという)と同じ協会に属するマネージャア格の女性も誘って飲んだり食べたりしながらたのしくおしゃべり、でいい感じだった。

モスクワ駅についても地理がまったくわからないので、すでに通信料金は1万円を超えたとするメッセージが入っていたが、iPhoneのナビを使うことにした。駅の近くであることはグーグルマップで調べていたのだが、目的地までの徒歩のナビで表示するとかなり回り道をするコースが表示された。障害物が多いのかミス表示かわからないがその通りいけば必ず着くのだから頼りになることこのうえない。

ところがネフスキーエキスプレスホテルはその辺に3つあって当方のネフスキー・プロスペクト91・93にあるホテルは奥まった駐車場から入る、絶対わからないようなところにあるのだった。中もドアが2つも3つもあってその3階の奥で室内も冷蔵庫もないしポットもない2流ホテルだった。この時点でかなりつかれていたのでシャワーをあびてゆっくりして2時ごろ出かけることにした。

CITIバンクのATMは2箇所ほどフロントで確認していったけどなかなか見つからない。ようやく店舗を思いがけず発見しカードで5000p引き出した。やれやれと思ってふと気づくと道を全く間違えてきたことに気づいた。思っていたのとは別のバンクの店舗だったのだ。それなら、と、歩いて回って疲れてきたので目に付いたカフェ(といってもバイキングの食事をだすところ)にはいって食事。満足してそれではメトロで乗り換え練習をしようとメトロカードをやっとのことで購入。しばらくあちこち行ってみた。そして事件はおこった。

事の次第はこうだ。

SPBのメトロはモスクワより深いが英語表示があって見やすい。しかし接続駅には名前が2つあったりする。何号線かによってホームが変わると名前もかわるようだ。しかも初めてだからうろうろしがちだった。プロシャーチ・アレクサンドラネフスキー駅で3番線から4番線に乗り換えようと開いたドアに入ろうとすると若い二人の大男が両側から僕を追い越して飛び込みふさいだので立ち止まろうとすると後ろからわあわあ言いながら走りよってきた2人が僕の後ろにぶつかってきたのであわててドアベリの壁に非難した。一瞬大男にはさまれ背中でドアにおしつけられたが、最初の男の1人を後の2人が車両から引きずり出してドアが閉まり始め最初の1人の男は車内に残るのかなと思うと、まさにドアがしまる直前にすりぬけて出て行った。

連中の喧嘩にあやうくまきこまれるところだったと思ったし、まわりの乗客もびっくりした顔をしていた。空いた席に座ってふっと手を後ろポケットにふれたら、ない。あれっとおもって胸のポケットへ手をふれると、ない。みるとiPhoneの胸に掛けたロープの先がぶらぶらしている。やられた!とおもったら頭に血が上った。

なんとか早く降りて車掌をさがすといっても車掌はみたことがない。ここがどこかもわからない。駅名のアナウンスを耳できいているわけでなく、あの駅から何番目という認識だから徐行して走り出したりするのでもう何番目かというのもわからなくなる。「警察を呼んでください」と書いたガイドブックの例文を示してキオスクのおばちゃんに聞いたりするが要領をえない。

結局メトロを出て警察のいる場所をようやく探し当てると、警察官とはロシア語がわからないから話がすすまない。結局金をとられてメトロに乗れないと言っていると取られてメトロの入り口をあけてそのまま行けというのだが、やっと「盗難の証明書を書いてほしい」という文章をみせて粘った結果、電話で英語の通訳に連絡することにしたらしい。あちこち車で引き回されたりしてその通訳とようやく英語ではなすことができた。彼女はあとで行くから待っていてくれるかというから待つこと3時間。8時を過ぎてようやく彼女は現れた。それまでに横にiPhoneを取られたという女性がいて流暢な英語で状況をはなしあったりした。VISAカード、CITIBankカード2枚の日本の銀行カードに運転免許証それにつくったばかりのメトロカードも、おろしたばかりの現金すべてをやられたというと「それはお気の毒に、、」

通訳の彼女は50半ばで上手な英語で、きょうは忙しいし、ここで通訳がとても少なくておまたせして本当にもうしわけない、ということで供述書の作成がはじまった。事情を一通り説明すると、それは典型的なケースだと言う。ズボンの後ろポケットは必ず狙われるから注意しなさいと他からも注意を受けていたのにうっかりして僕の落度があった、というと、あなたの落度じゃあない。彼らはプロフェッショナルなんだから、といってもっとすごい例を話してくれた。この損害は保険で填補されるからあなたの生活を基準にすれば小さいでしょうと聞く。大きくはないが小さくはないと答えると、それじゃあミドルにしときましょう、ということになった。

考えると物は保険がカバーし、現金の2,3万といったところで違うホテルで何日かとまればでてきそうな額だから財産上の損害はわずかだ。ただその間に撮った写真はここに二度と来ることはないと思えば極めて重要だ、というのにすぎない。そう考えると別に騒ぐようなことでもないな、とおもいはじめ落ち着くことがでできた。他のスタッフの手続きには時間がかかり、僕が終わったら2人で一緒に帰ることになった。

彼女はロサンジェルスで訓練を受けていたというので僕はNYの警察学校に留学していた話などいろいろなことを話した。もうすでに夜の10時をまわっている。5時間も取り調べにかかっていた。それでもまだ日本の夕方5時ぐらいの感じだ。こんなに遅くなって勤務時間はとっくに過ぎているんでしょう?と聞くと、通訳は実際仕事をした時間でいくからいいけど、こんなにきついのはいやだわ。でも本当に英語を話せる人警察官が少ないのよ。SPBで私のようなのは数人しかいない。手がまわらないわよ、という。僕がSPBに来て若い人の英語がとてもうまいと感じていたので、奇妙に思ったが、たしかに警察や役場などで言葉が通じない。年配の人で英語がわかるのは観光地の切符売り場にいるような人ばかりだ。「ソ連」時代の体制の遅れが尾を引いているのだろうか?私も民間の会社へ行きたいんだけど性別や年齢で差別があるのよ。日本のセキュリティ会社から話があったこともあったけど、私の25年の捜査官としてのキャリアを買ってはくれなかったわ、、、。

ここでこんなに犯罪が多いのもここの物価が高いせいだという。食費も居住費も高いが今は移民が非常に多くなって彼ら言葉も出来ない人の仕事がまったくない。もう犯罪に走るしかないのだという。観光客が被害にあうのはあたりまえのこと、日本人ではあなたが4人目で少ないわよ。このあたりセンナヤ広場はここでは一番危ないところで夜は私だって出歩かないわよ。

「私はメトロにのるけどどうする?」「僕はネフスキー通りを歩いてかえります。」「それじゃあ、ここでお別れね。じゃあ気をつけてよ」彼女と握手して「今日はとてもエキサイティングな1日でしたよスパシーバ」

帰ってホテルのレセプションの彼女に次第を話してカード会社に国際電話をしたいと言うと、ここからはできないと言う。彼女は自分の携帯でCITIバンクに連絡してくれたが話してみるとロシアCITIバンクは日本のCITIバンクの情報はわからないといわれた。彼女はもしかするとモスクワ駅でできるかもしれない、といってメモを書いてくれて警察に見せるようにと、渡してくれた。あぁ、、明日もたいへんだなぁ、、、。

 

 

 

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ロシア紀行25日

2014年04月26日 | Weblog

■盗難事件のため、この日の記録はあとから挿入することになった。ヤロスラヴィリをほんとに見て回りたいんだけど今晩の寝台でSPBに発つのでお昼にチェックアウトしないといけない。それまでに行っておくところはラナさんも指摘してくれていたBell Museum (サブラーニエ博物館「音楽と時間」だ。いったいどんなところなんだろう?

場所はボルガ川沿いの通りにあることは確認済みなのでいってみると誰もいない。早すぎるしなぁと思っていると、入口付近にいたおばさんがやっているから入りなさい、みたいなことを言うのでベルを押して入ってみた。ここはソ連崩壊後ロシアで最初にオープンした個人による博物館、ということだが普通の邸宅だ。中には各種のベル、教会のベル、牛の首につけるベル、等さまざまなベルがびっしり展示してあるがそのほか古い各種時計、蓄音機、ランプの類、さらにアイロンや洗濯板(これ何かの楽器かなと思ったらこの長細い羽根つき板で段々になっている)まで、いわゆるガラクタ博物館なのである。

若くてチャーミングな子がへただけど通訳してもいいか?というので2つ返事でお願いした。つたない英語がまたかわいい。古いアメリカ製だという蓄音機をあけて聞かせてくれた。ちゃんと音が出る。エジソンが発明したあのタイプのものさえあった。これはどんな音がするのかぜひ聞きたかったがさすがにこれは音がでないとのこと。彼女のおかげでとても楽しい時間がすごせた。

一旦ホテルに帰ってチェックアウトして荷物を預かってもらうことにした。夕刻になると寒くなるだろうと思ってしっかり上着を着て出かけた。しかし今日はお金を使えない。うっかりモスクワで日本円の換金をしなかったために手持ちのルーブルはわずか。VISAは暗証がわからず使えないし、CITIバンクはこちらにない。SPBにいけばなんとかなるだろうが、ここから電車駅まで行くのにどれぐらいかかるかも分らない。心細いかぎりだ。

しかし、今日で最後のヤロスベリを楽しもうといろいろ歩き回ることにした。やはりボルガ川原の沿道がいい。人通りも少なくちょっと肌寒いが気持ちがいい。ゆったり座って時間をすごすのもいい。ラナさんが老後をここで送りたいと言う気持ちはよくわかる。

夕方になって食堂のような店があったので食事をすることにした。親切なおばさんがとても気を使ってくれてどれがいいか聞いてくれる。サリャンカと肉のシチュウのようなものを頼んだ。彼女は指をあげておいしいよ、みたいな動作をした。

サリャンカはすごくおいしかった。支払いはカードでしてくれと言われたが暗証を聞かれるとできない。しかし試しにやってみたがだめだった。

食後は河原沿いの公園で時間をつぶした。夕暮れの7時8時になってもまだ3時4時の感じで人通りは多くなるし店じまいの気配は全然ない。9字になったのでホテルへ戻って駅へ出かけよう。

ホテルでタクシーを呼んでもらって駅に行くことにした。バスターミナルより遠いはずだ。走り出した運ちゃんにいくらかかると聞くとメーター見りゃあ分るだろといわれた。駅に着くとメーターによれば100pちょっと。来るときあのタクシーのおっさん250pふんだくりやがったんだ。

 

 

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ロシア紀行24日

2014年04月25日 | Weblog

■朝のバイキングもそこそこに階のカウンターでチェックアウトを済ませてバスターミナルに行った。そんなにあわてることもなく十分時間があった。バスはヤロスラブに向けてすごい速さで走る。ロシアの車も相当とばす。それになぜかわからないが、昼間から車は皆ライトをつけているのに気づいた。

バスは真っ直ぐな道をはしる。まわりは白樺の密生した草原がつづき、小さなコテージ風の小屋が点在する。これが例のダーチャかもしれない。都市の住民が週末や休日に郊外に小屋を作って別荘のように使うことがはやっている。ロシア人はカナダ人みたいにアウトドア派だ。そういえば風景も似てるなあ。

最初iPhoneのグーグルマップにうまく接続できなかったが試しにもう一度やってみるとつながった。町に近づいたからかもしれない。マップを拡大してみると、なんとロシア語のほかに日本語でも表示されているので驚いた。今まで、中国も韓国も現地語表示だったので使いにくかったが進化したようだ。特にロシア語の日本語表示は助かる。単語のつづりが長いので読むのに時間がかかる、というより読めない。日本語なら日本語ガイドブックをすぐ参照できるので便利に使える。

本当に海外でのiPhoneは強力だと思う。昨日もラナさんに見送られてメトロの車両に乗ってから行き先の表示に目的地がないのに気づいてすぐ乗り換えたのだが、すぐにラナさんからSNSのメッセージが届いて、行き先表示はちがうがその車両で間違いない旨を伝えてきた。ラナさんの携帯はブラックベリーかなにかでiPhoneではないし、国際電話はつながりにくいし機内モードではiPhoneで通話できないが、SNSメールならWiFiが入れば繋がる。

モスクワのメトロは全線公衆WiFiがはいっているようだ。

僕はすぐ駅におりて通りがかりのおばあちゃんに教えてもらって正しい電車をすぐみつけられたが、このようにまだ地図にものってなくて、同じ線路を2種類の車両が走っていたり表示が訂正されていなかったりした場合はラナさんのような地元の人も混乱することがある。昨日見てきた新しい町はそういうところだったのだが、オンタイムで連絡できるというのは力強いかぎりだ。

とくに旅のツールとしては、このGPSマップ、SNSメール、国際時間(もちろん僕のiPhone は現地時間に設定してあるが東京時間やNY時間がわかるという意味)、ウエブ検索、それに写真機能。まさに万能!毎日,左手に「地球の歩き方」右手にiPhoneという姿で歩いている。

ようやく到着した。最初10人前後いた乗客も中途下車して5時間後にヤロスベリのバスターミナルに着いた時には僕と老夫婦の3人だけ。えっ、そんなに田舎?と思わせるような規模のターミナルではある。荷物を持ちながらトイレの場所を聞いてうろうろし、次はタクシー乗り場を探しながらうろうろ。やっと見つけたタクシーに乗ってホテルの住所を書いた紙を運転手のおじさんに見せて鉛筆をわたしていくらかかるのか書いてもらう。250P.車の中でも何やらいろいろ言っているが多分住所の確認だろうと思い、バウチャーを見せるとビザ申請の確認印をみてようやく納得のようす。到着して500P札を渡すとお釣りがないらしい。200pと小銭がいくらかあるようなのでその200Pをもらってあとはいいから、、と。降りようとすると急にワアワア叫んだ。うしろに車がきて危ないと言うのだ。車を路肩の縁石にのりあげて駐車し、彼は車から出てホテルまで入って確認したようでここで間違いないという。いつもながら、言葉がわからんというのは面倒くさいもんだ。

アローシャ・ポポビッチ・インというホテルはなんか子供の国みたいなデザインの新しいホテルでテーマが昔の地方都市の民話風俗みたいなことになっているらしい。レセプションで明日のSPB行きの列車の駅の場所と近くの銀行の場所を聞いた。現金を補充しないといけないと思ったからだ。駅は2つあるがその発車駅はここからタクシーで10分で行けるとのこと。銀行の場所はグーグルマップのコピーをくれた。銀行へ向かう途中で僕ともあろうに大変なドジを踏んだことに気づいた。

そうだこんな田舎で日本円を現地通貨に換えられる金融機関なんてあるわけない!

案の定、銀行窓口では美人の担当者が日本円も扱ってないし、ここにはCITIバンクの支店もない。クレジットカードの取引では手数料が必要になると説明してくれた。ガイドブックにも換金用にドルかユーロでもってけと書いてあったのだ。いまごろ気がついてどうする、という話だが、今夜はクレジットカードで食事して明日SPBのホテルでなんとかなるだろう,と腹に決めた。まず、歩き回ってホテルに戻れる土地勘をつけなけりゃ、、。

30分ほどぶらぶらするとこのホテルがヤロスブィリ見物には絶好のロケーションであることがわかった。人口75万で、福井市とよく似た規模の町だと聞いていたので相当ひろいんだろうなぁと想像していたが、やっとガイドブックの地図との対応ができホテルの場所がわかると実にこじんまりした小さい町だと判明した。

正午に到着でまだ日が高いので一旦ホテルで休んで夕方から歩き回ってその後で食事して戻ろうと思った。

モスクワと違い、さすがにここは寒い。乾燥した寒さで風が頬に痛くて鼻水がながれるような寒さ、気持ちのいい寒さと言ったほうがいい。厚めの上着とジャケットだけでは長時間歩くと寒い。こちらの人はフードつきアノラックを着て手をボケッとに突っ込んでいる人が多いかな。明日の午後はぼくもそうしようか。

とにかく、かっこいい街だ。街中どこをとっても絵になる。イタリアのミラノに似た感じだ。とにかく教会が多い。歴史があって、工業製品も多いらしい。ラナさんが思い入れる気持ちがわかる。こざっぱりした服装の年配のカップルがボルガの川岸をゆっくり散歩しているのを見ると、老後はモスクワ郊外のこんなところでゆっくりくらすなんて超カッコイイと思わずにいられない。

街中のレストランが見つからずホテルできくと、ホテルのレストランはもちろんカードいけますよ、ということで、ちょっと高めだけどゆっくり食事することにしておいしいボルシチとニシンの前菜とトマトサラダを注文。勘定はカードで思ってカードを渡すと読み取り機にかけた状態で暗証を入れてくれと言われた。

えっ暗証番号あったっけ?そっか、今のカードは昔みたいにちょちょっとサイン、って訳にいかないんだ!現金で払うしかないんだ、、、仕方ない!。

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ロシア紀行23日

2014年04月24日 | Weblog

■今日は雨が降りそうだというのでラナさんと美術館へ行くことにした。待ち合わせの場所まで到達するのに路線をまちがえたりしたがなんとか時間ぴったりにトレチアコフスカヤ駅のホーム出会うことができた。トレチャコフ美術館はロシア美術の最大のコレクションをほこる有名なところだが、僕はラナさんとちがいあまり興味がない、というより知らない。しかしこれを機会にちょっと気になっていることを勉強しようと思った。

気になっているというのはアメリカの建築様式との関係だ。ロシア美術というのはビザンチンから取り入れたギリシャ正教の宗教美術から始まりイタリアからつれてきた建築家による建築物などがいろいろ混ざり合って固有のロシア美術が形成されたようだ。遠近法などに忠実な具象絵画の世界だ。それがレービンに代表される頂点を迎えるのだが、20世紀の初頭、アール・ヌーボーの影響をうけ流れが変わった時期がある。NYの摩天楼をまねたわけではないだろうがスターリン時代の有名なセブンスターズという7つのビルが有名だ。モスクワ大学もその1つである。昨日のクルーズでは、民間アパートになっているその一つのビルのところで反転して戻るコースになっていた。エンパイアステートビルやクライスラービルのように尖塔が天を突き刺すように伸びているデザインだ。

誰が影響したのだろうという疑問があって、ここでミハイル・ヴルーベリという先駆者がいたことを知った。革命でレーニンが演説したメトロポールホテルの壁画デザインをしている。ここで彼の大きな壁画コーナーには観賞用のイスが並んでいて特別の待遇なのだ。作品には「デーモン」とか「白鳥の王女」とか象徴主義というか少しイカレた感じがする。

20年代のNYを背景にしたフィッツ・ジェラルドの「偉大なるギャッビー」が文学で表現したアメリカンドリームの狂気につながる何かをスターリンも追い求めたのか、、、、なんてことを勝手なことを想像しながら観ていると楽しいもんだ。ま、しかし美術館というところは足が疲れる。

そこで、一休みすることにして、ロシアの料理も体験したいとレナさんに頼んで近くのウクライナ料理店に行く。どこがロシア料理と違うのかは定かではないが「ボルシチ」も元祖はウクライナだけどウクライナのボルシチとロシアのボルシチはそれぞれ共存しているのだそうだ。店の内装から店員の衣装まで民族色満点。出てくるものはまずiPhoneで写真を撮ってラインで食事仲間の「28会」に送信しコメントを交換する。このところホテルのバイキングなどでお茶を濁していたので本物を見たいと待ち望んでいたんだろう、、面倒やなぁ、、。なかでも「サリャンカ」を見たとき、、「ボルシチ」やと思ってた。色も一緒だがビーツでなくトマトで色が着いているのだ。HISのガイドブックレットにはなんと全く別物が載っている。味は不思議と似たようなもんだろうか、、、。

レナさんはチップを5%くらい付けるんだと教えてくれた。「昔はチップなんてなかったでしょ」「ソ連時代をとおして昔からあったよ。」「えーっ、キューバはなかったよ。それ賄賂じゃあなかったの、、、、」

昨日、クレムリンの内部ツアーにいけなかったし、雨もあがって天気がいいのでラナさんと一緒に行くことにした。昨日は切符売り場がわからなかったのだが、実はずっと先にあったのだ、アレキサンダー公園はでかいんだ。特別展に興味ないから一般券350P。ラナさんは何かのメンバーで特別100p。ラナさんがまるで現地ガイドのように説明してくれた。ロシアの教会は中が絵で埋まっている。柱、天井、壁一面に書かれている。色は聖なる色として赤、緑、金色が使われる。背後の壁には地獄図、天国図があり中央に天秤があって,生前の行いが審判されてどっちに行くか決まるシステムになっている。礼拝が終わって帰るとき必ず正面に見えるようになっていて、まっとうに生きろよ、とダメ押ししないと人はすぐわすれてしまうからだという。頭の光臨のようなニンバスにしろ、曼陀羅のような壁画にしろ、なにかアジアの仏教などとの融合を感じないでもないが、、、そんな想像もいいかも、、。

モスクワは古い建築物と宮殿、教会のイメージが強いがなにかNYの摩天楼みたいなスカイスクレーパーの林立する高層建築群みたいなところはないのか?と聞くと、ちゃんとあるんだそうだ。じゃあそれが見たい、と言って「メジュドゥナロードヤナ」と隣の「ジェロボイツエントル」という街を教えてもらった。新しい街で昔のメトロマップに載っていない。行きかたがわかりにくいので近くのキエフスカヤ駅まで案内してもらって電車に乗りレナさんと別れた。

駅に着いて、びっくりしてしまった。10年前の東京の汐留みたいに新しい高層ビルが立ち並ぶ街がまさに建設中。それも破格の超高層だ。高速道路も同じように建設中。その中を大勢の人が足早に歩いていくのだがその4割くらいは作業服とヘルメット姿だ。

まだ信号機さえ付いていない交差点を人と車が行き来している。いったいこの人たち何処から来て何処に行くんだろう、このビルが完成して人が仕事するようになるまでどのくらいかかるんだろうか?メトロの入っているビルはちゃんと機能している。ショッピングモールやレストランも普通に開いていて家族づれやカップルが利用している。日本やNYをはるかにしのぐスケールの高層ビル群がここではもうすぐそばにきているのだ。そうだったのかと思うと背中に戦慄が走るような気がした

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ロシア紀行22日

2014年04月23日 | Weblog

■朝、ラナさんに電話すると、今日は用事があるというので僕は一人でクレムリン宮殿の内部ツアーとコローメンスコエに行くことにした。彼女はモスクワに戻ってから仕事探しで忙しい毎日をおくっているのによく僕のことを気遣ってくれている。24日にヤロスラブへ行く件についても自分では電車でしか行ったことがないのでバスではどう行くか知らないと言ってバスの時間とバスステーションの場所を調べてくれていた。事前に行って確認しておいたほうがいいよとアドバイスしてくれた。

今日は昨日ほど暑くなくちょうどいい天気だ。10時のラッシュアワーの時間低をさけて11時前に出かけてメトロにのる。クレムリンで昨日ラナさんと一緒に行って確認した切符売り場がみつからない。おかしなことがあるもんだなぁと思いながら戻ると入場口付近から延々と長い列が続いている。入場券を買う列だというので、もううんざりして今日のクレムリンツアーは止めることにした。

コローメンスコエに行くにはプロシャーチリィベリャ-ツイ駅からメトロを乗り換えて2番線のカローメンスカヤ駅に行くことになるがレナさんからもらった5回分のメトロカードは使ってしまったので駅のカッサ(切符売り場)で5回分カードを買うことにした。窓口のおばさんに「ピアーチ、アジィーン(5,1)」というとおばさんは電卓に150と入力して僕に見せる。僕がうなずくと今度は5と入力して僕に見せたのでうれしくなってしまった。さすが1番外国人観光客の多そうな駅のカッサおばさん、よく慣れているなぁ、と思いながら150p(ルーブル、キリル文字のpはラテン文字のrだ。)払って新しいカードをもらった。

実は出発前からの1番の心配事はロシア語の数字だった。僕が言えるのはせいぜい1から10までで、ロシア語の11から19まで、さらに20から90まで、さらに100台と1000がすべて違う言い方になる。これじゃあ買い物も筆談でする他ないな、と思っていた。旅行には一つ大きな電卓を持っていくのがいいかもしれない。

さて次はメトロだ。メインの路線の各車両には到着駅の電光表示があるが、その他の車両ではアナウンスにたよるしかないが、これがまったく聞き取れないというのが普通だ。だから最初は日本語の路線図をにぎりしめて今は何番目の停車駅だったかを数えているしかない。ちょっと隣の人に聞くことが出来るのは次の段階なのだ。窓から見たところで停車駅の表示はない。すぐに何番目だったかわからなくなってしまうのでその時はすぐ降りてみる。その駅がどこかもわからないことがあるので、行き先の表示板から手前の駅の表示と次の駅の表示をみてその間がこの駅だということがわかる。そんなことを繰り返すうちに段々自由にメトロが乗りこなせるようになるのだ。いったん慣れると一切英語表示がないにもかかわらずモスクワのメトロほどわかりやすい所は僕の知る限りないと思う。

これを「地球の歩き方」ではどう書いてあるかというと「主な公共交通は、、大半の駅は英語表示がないが、、、なかでもメトロはわかりやすく観光には不可欠の存在だ。」である。

ようやくカローメンスカヤ駅に降りて壁の表示をみると「 Iоло ,,,」となってる。やばい、また間違ったか! 、、と、よく見るとちゃんと「коло、、、」となっていたので一安心。ロシア語ではアクセントのない母音oaと発音しキリル文字のフォントが何種類もあるようで、33文字をちゃんと覚えていても知らん文字が時々出てきて混乱する。Kのデザインが凝っていたので見間違えたのだが、、歳のせいか最近視力が、、、あぁ、、。

コローメンスコエとはどんなところかも知らずに駅をでて呆然としていると、目の前にバス停表示板もどきのサインがあって地図に番号がついている。きっとここなんだろうと思って見ているとイタリア人らしい若いカップルが来て地図を見てなんやら話している。そこで英語で「何処にいるかわかる?」「僕たちもそうなんです」「イタリアから?」「日本人でしょ」。そこで近くのおじさんに僕がロシア語で「私、ほしい、、、」といって「地球の歩き方」の箇所の写真を指差すと、彼は前方を指差してなんやら言うので「ずっとここ真直ぐだって」、、。

そこはすてきな広い公園でいろんなタイプの修道院などが散在している。木造の有名な教会がある。そこに入るには近くのカッサで券を買ってくれと教会のおばちゃんに言われた。中にはいって「写真いいか?」「この券で2枚だけいいよ」「僕を写してくれる」「この英語のパンフレットも一緒に写しておきな」、、、みたいなコミュニケーションを身振り手振りでする。あまり来る人もいなくておばちゃん暇そうで、、こんなひとときが楽しい。

由緒由来の面白そうなこともあるけど、ここは彼女とデートにくるところだなぁ。次に行こう。

バリョウビゴウライ駅から「雀ヶ丘」の展望台からモスクワ市内が一望できると言うんだが、、、。人に聞くと「あっちだ」というので広い緑地公園野山を上に行っても行っても、、ようやく交通量の多い広い通りにでてしまった。展望台があるはずなんだが、、??。駐車場のセキュリティのお兄ちゃんに聞くと、この辺がみんな「バビョービゴウライ(雀ヶ丘)」だよ、、みたいな。展望台はどこ?なんてコミュニケーションはとても面倒。次へ行こう。

「じゃあモスクワ川クルーズの船着場はどこ?」「あっち」。

歩いていた若いカップルに聞くと「知らないけどこの下の方向じゃない?」「この道かな?」「あっここに表示板がある。この道って書いてあるよ」。

クルーズ発着場に着くとやたら尿意を催してきた。やばい!どこかにトイレは、、。そのとき船頭さんが手を振って「早く切符かって乗りな。すぐ出るよ」みたいなことを言っているようだ。「切符売り場ってどこ?」「そっちじゃあねえよ。もっと先だ」、、みたいな。売り場のおばちゃんは電卓に500と打って「さっさと行かないと出てしまうよ。あんたが最後なんだから」、、、みたいな。ロシア語で「トイレ何処?」はもちろん言えるが言える状態にない。ま、いっか。1時間40分がまんすれば、、。

このクルーズは写真を撮るには最高。クレムリンを囲むように川が流れているのでその橋の下をゆっくり進むと川岸に立ち並ぶいろいろな建物が現れて息つく暇もないくらい。すっかり満足して尿意のことなどすっかり忘れてしまっていた。船着場についたので降りようと席を立つと目の前のドアに「W.C」と書いてあった。船でできたんじゃないか!

遊歩道を歩いて駅に着いたので改札のおばさんにトイレの場所をきくと、ここにないといったが、指差してぐるっと下へおりてあっち、、みたいなジェスチャー。信じて下の階でも聞くが「ない」という。外かなと思ってうろうろするがない。時間もたつし面倒くさくなってきた。崖の上の木立の陰で用を足すことにしてさっぱりして駅にもどり改札を通ったときおばさんの言っていた意味がわかった。「そんなことくらいさっさと外に出てそのへんで立ちションしてきなよ」、、きっとそうだ。

まだ明るいので24日のヤロスラブイ行きのバスを確認することにした。バスステーションがホテルと同じメトロの3番線の終着にあり8時30分出発だということはラナさんに聞いていたが「地球の歩き方」で確認できなかった。これは別なところにちゃんと書いてあったことが後になって解ったのだが、、、よくあることなのだ、、、。

メトロの出口を出て見るとすぐ前に「Автовокзал」と書いたサインのある大きな建物があって何台ものバスが発着している。しかし、やばそうな場所だな。これがモスクワの中央バスターミナルなのか?NYの「グラセン」ことグランドセントラルバスステーションが頭をよぎる。うそやろ。まだ中国のほうがましやな。

いかにも危なそうなおじさんたちがたむろしているここだったら確かにラナさんがバスを使ったことがないということがわかる。しかし、ここからはるかウラル地方までのバス網をカバーしているとか。実は、僕はこういう雰囲気嫌いじゃない。結構便利そうな気がする。

カッサで4月24日ヤロスラブイと書いた紙を見せて「アジィーン」と一言。パスポートを見せて荷物はと聞くから「アジィーン」。おばさん僕のメモに700と書いた。レシートのような切符をくれたので「ナンバーは?」ときくと「ピアーチ」。発着は5番乗り場ということだろう。24日の乗車券を僕は買ってしまったのだ。モスクワでは1と5だけ言えれば切符が買えるのか、、、な。

ホテルに帰ってとなりのショッピングセンターで黒パン、スライスハム、わけのわからんフルーツと日本の「お茶」のボトルを買ってホテルの部屋で食事。最悪の組み合わせや。特にこの日本の「お茶」なに、、この甘いの、、。

今日も疲れた。寝る。

 

 

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ロシア紀行21日

2014年04月22日 | Weblog

■初日の朝、やっと繋がったMySoftBankでメールをしてローミングキャリア変更方法を聞く。機内モードで電話が出来ないとメールしかない。なにしろSoftBank問い合わせをメールでする方法はこれしかないことがわかったからだ。これでなんとか言ってくるだろう。

ラナさんにホテルから電話して正午きっかりに③線メトロのプロシャーチレバリューツイ駅のホームの一番前で待ち合わせをすることにした。午前中はそれまでメトロ探検をやってみることにした。切符は距離に関係なく定額なのでホームから出ない限りどこでまででもいける。5回分のメトロカードがあるので改札口のプレートにかざせば入場できる。問題は駅名を読むこと自体おぼつかないのに駅内はすべてロシア語の表示しかない。いっぱいの人の流れにもまれながら乗り降りしないといけないがアナウンスではさっぱりわからない。車両の中にはどの駅を通過しているかわかる点滅表示が出る。電車の向かう方向がホームのどちら側になるかの判断は前後の駅名の区別によるがその駅名の最初の一文字だけ憶えで決めないと間に合わない。こんな状態でいくつかの駅を乗り換えたりして12時ぎりぎりに待ち合わせ場所にたどり着くことができた。

いきなりメトロに乗り込んだとき、まわりはスキンヘッドでイヤリングをして腕にタトゥがいっぱいのでかい連中ばかり。ここやばいよ、と思ったほど。後で聞くと時々やばいそうだ。警察もいっぱいいる。ちなみに警察はミリッシアだが最近はポリッシアというそうだ。ガイドにあるように確かにモスクワのメトロはレトロで豪華な雰囲気だが僕にはNYのあの使い古され、薄汚れてちょっと危なそうな地下鉄と共通のものに自然に郷愁すら感じていた。何列ものエスカレーターが長く深く続いて行く様子は壮観。サンクトペトロスブルグのメトロはたくさんの運河の下を行くのでさらに深いそうだ。エスカレーターは確かに早いがここのエレベーターはどれも早い。エスカレーターの右側に立ち、左側を急ぐ人のためにあけるのは日本などと反対。ようやくメトロになれたところで2人で駅を出るとそこはクレムリン(砦という意味でここは支配貴族の生命財産を守る場所だった。)と「赤の広場」。クラースナヤ・プロシャーチのクラースナヤとはもともと赤ではなくて「美しい」という意味で、確かに今は赤いレンガの城壁だがもともとは白い石の壁だったそうで、その壁は今はその地下にある。1時に衛兵の交代があるというのでそれまで2人で界隈を歩いた。

今日は暑い日だ。日中はTシャツ1枚でいい。モスクワがこんなに暑いなんてうそやろ!そのうち寒くなるというよほうらしいが、、。今日はイースターで街中に巨大な彩色した卵の飾り付けがあったり、教会の鐘つき係のおばさんたちの見事な演奏のパフォーマンスが見れたりした。人通りは例年になく少ないというが月曜にもかかわらず沢山の人出だと思う。

グム百貨店には感動した。まるで巨大な宮殿のような100年前の建物内部が最先端ファッショナブルな高級ショッピングモールになっている。回廊型中央吹き抜けの今はやりの構造が百年前の建物に利用されている。連邦時代の国営百貨店とはどんなものだったかのイメージすら浮かばない。

1時になって衛兵交代を見るために無名戦士の墓の場所に行く。子供たちや観光客の見守る中、不動直立した2名のガードの交代がある。銃を掲げて足をはねあげて歩く姿。そうだいつかギリシャかどこかで見たっけ。

アルバート通りに行くまでの途中で軽くランチをとる。洒落たレストランだけど1食350p(1000ぐらい)は一寸高い。どこも普通それぐらいで東京と同じだという。

パトカーの白とブルーの配色はNYPDと同じ。そしてマクドナルドの前に止まったタクシーはあのとさかのようなでかいサインをのせた黒のチェックの帯の入ったNYのイエローキャブとまったく同じ。その界隈を歩いていてふっと妙に不思議な気持ちになった。ロシア語のサインをのぞけば風景があのグリニッジビレッジとそっくりなのだ。うそやろ!ここいったいどこや!

レナさんの親友のオリンパスの元の同僚がちかくの三菱メディカルのオフィスで働いているというので仕事中にもかかわらず訪ねていくことになった。日本人一人の支店長と数人の現地スタッフのチームはみなレナさんとは顔なじみのようで旧交を暖めていた。その近くにレナさん行きつけのカフェに立ち寄った。そのとたん、僕の行きつけだったグリニッジビレッジ通りのカフェを思い出した。そこでコロンビア人のシルバーナと一緒にアルグレイとブルーベリーの乗ったチーズケーキをオーダーするのがいつものスタイルだったから、、。なんとその店にもそっくりなチーズケーキが、、。NYの店は2階で窓際の席から通りを見下ろしていたが、ここは1階のせまい造りで妙にビレッジふうの風景が見える。そこは別に高くもない普通の場所だそうだがレナさんもとても好きな場所だそうだ。チーズケーキのブルーベリーはそうでなくて僕の知らない果実だったが、ちょっとすっぱいのがまたいい。

そのすぐそばがアルバート通りで、東京でいえば青山、原宿か竹下通りみたいな感じだろうか。バラライカを演奏しているパフォーマーがいたり似顔絵を書く人がいたり、、。

レナさんと別れてホテルに帰るとぐったり疲れてしまった。

SoftBankからはパスワードわからないならリカバリーしかないなどと見当違いのメールが来て役にたたないかったが、SNSメールで設定を示唆する案内が届いていたので試しに再度試みるとキャリアに目的の名前が引っかかっていたので設定ができた。電話も出来るようになってめでたしめでたし。でも後で設定が不安定ですぐ外れてしまうことがわかっていまだに安心できないのだが、、。

夕方、ホテルの近くを歩き回ってみた。通りをはさんだビルが3階建てのショッピングモールになっていて大抵のものが手に入ることがわかった。

このホテルは「アルファ」。ほかに「ベータ」と「デルタアンドガンマ」という巨大ホテルが一緒の広大な敷地にあって、周りに駐車場、レストラン、カラオケバー、24時間飲食店が集まっていることがわかった。そしてその先に色とりどりの丸屋根,尖塔をつらねた一群の修道院のような集落が、、。いったいあれは何だ?

後で調べると、イズマイロフスキー公園と判明。お土産探しにいい場所だとわかった。いつか行ってみよう。もう10時をまわったが人通りがたえない。SUBWAYでサンドイッチを食べてホテルに帰る。長い一日だったが感動的なモスクワを見た気がした。

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ロシア紀行20日

2014年04月20日 | Weblog

■ロシア旅行第一日目:エアロフロートSU261便のチェックインに長い列が出来ていた。満席のため、僕の席は24F、真ん中の一番具合の悪い席。ロシア人や日本人の他ドイツ人、フランス人などがたくさんいる。2回の機内食は魚と肉の両方食べたがおいしかった。機内でロシア語の復習やモスクワのガイドを読むつもりだったがなかなか集中できないので機内のTVで英語の映画を4本立て続けに、、、。いいかげん飽きたところでシェレメチボ空港に到着。5時間の時差で約10時間のフライトを終えた。

機外は晴れ上がったいい天気で12度くらいもあって分厚いジャケットは運ぶときに手間ががかかり面倒だ。このところモスクワは暖かい日が続いている。ラナさんが迎えに来てくれるというので、その前に電話しようと思ってiPhoneのローミング設定をしようと思って、そういえばモバイル通信とインターネット共有とデータローミングをオンにするんだったな、、としまったその前にキャリアの変更しないと、そうだ渡航前のセッティングをすっかり忘れていた、、。昨日の晩は久しぶりに妹夫婦の家でリラックスしすぎた、、あぁ!大失敗。

入国手続きをするラインを間違えたり、バゲッジクレイムのテーブルがどこかわからずうろうろして時間がかかったがようやく出口でラナさんに会えた。機内でエンバケーションカードを配布されなかったのでどこでもらうのかなと思っていたら結局書かなくてもよくで出国票は係官がパスポートを見てつけてくれていた。だからあの出国カウンターには「Pasport Contorol」になっていたんだなと思った。

ラナさんとはまず電車(Aeroexpress)でボクザール駅?まできて息子のアレクセイの運転する車でイズマイロボ71のAのアルファホテルまでメインストリートを回って案内してくれた。途中でアレックスの彼女を乗せて彼女の目的地まで一緒に行った。アレックスの車は70kmぐらいでぶっ飛ばしていくその横を大型バイクで車をバンバン抜いていく若者が多い。モスクワはみんな飛ばすワァ。

ふと気がつくともうモスクワの時間で7時を過ぎている。日本じゃ4時か5時のあかるさだ。ラナさんは日本ではこの長い夕方の時間が恋しかったそうだ。モスクワの広い街中の通りは埃っぽく古い土色のビルも多いが建物に薄い青い彩色が多いのが気になった。エミルタージュのあの感じだ。なぜかカナリー諸島のドイツ人の住宅の緑色を思い出した。

ホテルはメトロパルチザン駅のすぐそばの巨大なビル。レナさんがすべてロシア語でカウンターでの手続きをしてくれた。パスポートとバウチャーはすぐその場で返却されてそのバウチャーもう不要のようだ。なんだか思ったよりおおざっぱかな、、。部屋は24階の40号室。こぎれいな部屋でTVで各国語のインターネット放送も見れるようだが操作は不明。インターネットは全館無料WiFiが入っていてPCが使えるとわかって一安心。各フロアにステーションがあってホテルの出入りにカードを預かる「おばちゃん」がいる方式。おばちゃんではなく若い子が交代で詰めていて英語も少しわかる。お湯はステーションの前に給湯器があるのでわざわざコップを持って長い廊下を歩いて、、、なんで部屋にポットがないの?

 

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