くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

ハノイ帰着

2020年05月31日 | Weblog
■ヴィンパールホテルでは係員の1人の女性がとても親切に世話をしてくれてドアキーがあかなくなった時も走り回ってくれた。結局ドアノブの回し方で開かなくなっただけだったが、、。彼女がチェックアウトの時にホテルの係員サービス報告書に自分の名前を書いてくれと言ってきて、そのあとでトリップアドバイザーに英文でホテル評価の投稿をしてくれと頼まれたので最高レベルで書いてあげた。ランソンに来る時があればまた泊まってみたいが近くのドンダンには行ってみたかった。ここにはラオカイと共に中国国境の街で鉄道駅がある。ベトナムの鉄道は高地の走行に適した1mの狭軌で北部はラオカイとドンダンに分かれて中国に通じている。1mの狭軌はタイの泰緬鉄道や昔ペナンからバンコクに行った時のマレー鉄道とも同じらしい。
 ハノイまではホテルからバンでピックアップしてバスに乗り換えハノイのミーディンターミナルまで送ってくれるので便利だ。200k。
 例のハイフォン食堂だが、6月から開店するらしい。コーラをタダでつけて客寄せをするらしいが、僕はコーラを飲まないので、、。

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Lang Son への旅

2020年05月29日 | Weblog
■カオバンから中国国境にある滝、洞窟やホーチミンが革命を構想したというバックボ洞窟に行く手もあるがそれよりバスでどこまでいけるか確かめたいという気持ちがあって、サパに近い西のラオカイか東のランソンか?ランソンはラオカイとともに中国国境に接する最北の省の省都。ランソンに行ってみよう。省人口は約80万、市は15,6万人。福井県よりちょっと小さい。1979年の中越紛争で破壊された街はいま国境貿易で活気があるという。
 早くチェックアウトして道端の食堂であれ、なんといったか米のりを薄く延ばして野菜など包んで食べるやつ、、、25K.店のおばさんが「中国人か?」と聞く。なるほどここはそういうパターンなのか。ここの人の中国人観はどんなんだろうか?興味あるところだ。バス停を聞くとタクシーで行けと隣のっタクシーを紹介してくれた。あれっどこまで行くんだろう、と思うくらい走るうちに昨日降り過ごしたバスターミナルだったことに気づいた。タクシー代90k近くでこりゃ高いなと思ったがお釣りもなさそうなので100わたした。
 ターミナルには誰もいない。窓口に人もいないしどこで切符を買うのかもわからないので事務所で聞くと、ついて来いといわれ、バスの並んでいる中で1台のマイクロバスに乗せられた。バスの中で支払うらしい。お客が集まったら出発方式らしい。ずいぶん待って4,5人集まったので出発。また長い坂道をうねりながら延々と、、、。この様子だとカオバンはよほどの高地らしい。車中でランソンの宿は町一番のビンパールホテルの予約を入れた。バスの運賃はいくらかしらないが車掌に200kを渡すと100Kのお釣りをくれた。切符もなにもないから車掌のポケットに入るのかもしれないが安いものだ。朝出発したターミナルに行くだけで100kだったのだから、、。3,4時間もはしったろうか、1人になったのに気づかないでいると、「もう、ランソンに着いてる」と言われバスを降りた。、ターミナルからタクシーでホテルまで50K.距離はかなりありそうだが何といってもVinCenterで街一番高く目立つビルで、ここでは最初に5つ星を取ったホテルだから間違うことはない。
 チェックインは2時というから荷物を預けて2時間ほど街中をぶらつくことにした。まず、同じビルのVincomCenterを覗いてみた。3階は映画館で1,2、階ともかなり小さい規模になっているが間違いなくVincomCenterだ。中国はベトナムにとって仇敵であるとともに分かちがたい経済的関係があり、ラオカイとともに陸路の結節点であるここランソンにベトナム経済を代表するようなVinGruopが手を伸ばし存在感をしめすのは当然ともいえる。
 ランソンの街はカオバンよりほんの少し人口が多いがずっと低地で経済的にも規模の大きい街のようだ。VinpearHotelの付近だからかもしれないが路地に立ち並ぶ店も洒落ている。川べりにある公園に隣接する寺院も落ち着いているし市場につながるレストランの庭のデザインも悪くない。こういうところも住みやすいかもしれないと思った。街中には大きい市場があって中国との活発な交易を感じさせる。街中は昼の時間のせいか人どおりが少ない。街中のレストランで食事をしてホテルにチェックインするときここではプールもジムもサウナもマッサージもタダだからといわれ、泳ぎたくなって水着を探しに出た。こんなホテルだから中で買えそうなものだがないという。市場で探したがない。ようやく水着を売っている店を偶然見つけて、帽子とトランクスを買ったがホテルのプールに着くまでゴーグルを買うのを忘れていたことに気づかなかった。ま、いいだろと思い25mプールで泳ぎ始めた。客は若いカップルが1組だけ。2,30分泳いで一休みすると「お元気ですね、おいくつですか」と声をかけられた。その後水着のままジムで汗をながしサウナに入る。ジムも1、2人。サウナは僕のために始めてくれたようで設備もスタッフもいて客が少なくもったいない話だ。ベルサイユ宮殿の寝室のような部屋に戻りテレビをつけベットに横になると何もしたくなくなる。これほど高級感あふれるホテルに泊まったことはないし、1泊4300円は普段の10倍もして僕の旅のポリシーに反するが経験するならここがいいと思った。
 夜食事に出た。ようやく見つけた中国料理店で肉、野菜の鍋を注文。おにぎりセットがついてきた。みるとマヨネーズが、、。そして店員がなんとわさびのチューブを置いていく。醤油なしで、、。ご飯にマヨネーズだろうが、バターだろうが、チョコレートだろうが、、しかし、わさびだけってないでしょ。何を考えているのか?何かの間違いか?わからん。でも、鍋自体はボリューム十分で230k(1200円ぐらいか)。ランソンはビンパールホテルだけで十分!
 

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Cao Bang への旅

2020年05月28日 | Weblog
■グエン先生が週末帰省するので金曜は休みにした。昨晩、旅に出ようかと思って、今朝、じゃあカオバンに行こうと決めた。ベトナム3年目。観光地は大体巡り、ベトナム様子も大体わかる。言葉は懸命に頑張るがまだ聞けない、でも1人旅くらいは何とかなるだろう。カオバンはなにもないところ。日本にいれば絶対に行こうと思わないに違いない。これからは暇を見つけ、こんなところばかり行くことにしよう。僕のベトナムの旅は今から始まる。
 カオバンはハノイの北200k中国国境に接するカオバン(高平)省の省都。省の人口50万、市の人口12万で最も遅れた地域の一つだが中国からの出入により活気のある街だと言われている。海抜500-1500mぐらいの山岳地帯にある都市だ。
 朝、家の前の歩道にいた家主のツウや守衛のタオに見送られてミーディン駅でカオバン行きバスチケット(198K)を買って長距離バスに乗る。乗客で外国人はおろか観光客もみあたらない。観光地ではないので皆仕事や帰省客ばかり。
10時ごろに出発し、到着まで8時間ほどかかる。途中でトイレ休憩らしき停車があった。でもトイレがみあたらない。おばちゃんたちは近くの草むらに入っていく。男たちはその辺の物陰で、、、野糞,立ちしょん休憩後、青い田園の広がる地域を過ぎ山岳地帯にはいると延々と坂道が続く。資材資材や農畜産品を運ぶ大型トラックとぎりぎりのすれ違いや追い越しがひんぱんでひやひやするがスピードは落とさない。山の形、様相は日本とは全く違う。背の高い木は全くなく、そこいらじゅう低く緑一色の木の葉で覆われていてまるで山全体が草むらのようだ。イエルシンがベトナムを探検し地図を作ったときはこういうところを象に乗って切り開いて進んだのかと思う。この長い坂道をときおりバイクで走っていく「通行人」がいる。エンジン大丈夫かいな?途中で食事休憩。よくわからないけど、普通のブッフェ形式でおばちゃんにあれ入れて、これいれてと頼むやつだ。まずくはないけどこんな田舎で50K(250円)は高いやろ!ハノイでさえせいぜい35Kどまりなのに。
 宿も決めていなかったが、初めてだしと思いブッキングコムでMinh Hoang Hotel(割引使って1泊225K)の予約をする。便利になったもんだ、昔、夜遅く旅先で手探りで宿探しした時代がなつかしい。かって「地球の歩き方」を頼ったものだが今は歩き方は高い方だ。
 途中で1人2人おり始め、だんだん人がいなくなる。みるとホテルが近そうな場所に来たのでドライバーに聞くとここで降りてバイクで行けという。もうバイクタクシー(セーマイ)のドライバーがドアの外で待っている。あとで、気づいたが、実はカオバンのバス停は既に通り越していたのだ。
 ホテルに着くと何も言わないのに僕のことがわかっているようで、、もしかすると泊り客は僕一人なのかな?とさえ思った。でも、別のタイプの部屋は数人分の外出者のカードがみえるから1人ではなさそう。ホテルは多い。観光地ではないから一体何の用事で来る客何だろう?部屋は小綺麗で清潔。2つベッド(2人まで同金額)で広さも充分。
 街に出てみる。あの山道をここまで来てこんな高地にこんな大きな街があるのか、と不思議な気がする。サパやタㇺダオのように山の中にホテルなどの建物が建っているという感じではなく。普通の街だ。工事が多く埃っぽい感じもするが田舎という感じではない。福井市ほどではないが武生・鯖江ぐらいの感じかな。夜のストリートライトアップはずっと素敵だ。1時間も歩けば大体の雰囲気はつかめる大きさ。公園のわきにあるベトナム料理店で「ここの特産」を注文した。オクフオングって何か知らなかったけどカタツムリだった。タニシよりでかいがサザエよりずっと小さい。恰好はほじくりだしたサザエと似たり寄ったり。味もそれほどじゃないがまあ、まずくもなく、こんなところか。ヌクマムとよく合っている。
 ホテルに帰りついTVの映画に夢中になって就寝2時。
 
 

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ベトナムの味

2020年05月25日 | Weblog
■土日は頑張って2冊の教科書の予習をしっかりしたので毎日曜の日越友好グループの例会には行かなかった。
 件の下階の食堂は露店で店を続けている。僕の食事だけはいつも特別に作ってくれているが、店の方は客を入れていないようだ。閉店の予感は杞憂だったのかな?でも、インテリアが変わった。壁に籠生けの花がいっぱいぶら下がっている。形を変えて再出発するのかな?
 食事は僕にだけ特別のご飯、鶏の煮物が特に美味しいがその原因は水ではないかと思う。軟水は入浴や日本料理には合うが、ベトナムの煮物にはやはり硬水が合う。肉や魚があまり煮崩れしなくてよく煮えるのではないだろうか。僕の味覚がヌックマムになじんできたこともある。ベトナム料理の要素であるスープに唐辛子とニンニクを付けた酢と絞ったライムで味を調整してから食べ始めるのが日課になった。特に麺類には欠かせない作業だ。チリの極辛の容器はベトナムではどのテーブルにもあるので辛さの調整はいつでもできる。魚醬にはエビから造るトムマムみたいな濃厚なものもあるしヌクチョンは醤油と同じだ。
 日本語では「からい」は辛いと塩辛いの両方を意味するがベトナム語やほかの言語では別の言葉で区別するのが普通。「甘い」の反対は何か?日本では「からい」となるがベトナムでは「酸っぱい」となると聞いて驚くとともに納得したことがある。ベトナムのスープの味の極みがあの甘酸っぱさかなと思ったりする。ベトナムの煮つけの味になれると日本の砂糖醤油のたれのような味がどぎつく感じるようになった。軟水で煮崩れしかかったものの味付けにはああなるのかななどと考える。
 これがホーチミンになると水道が日本と同じ軟水になるらしく、ホーチミンではホテルで是非シャワーを浴びてみてください、日本と同じで気持ちいいですよ、と言われたりする。ここハノイじゃあ頭を洗うのもおっくうになる。泥水かぶっているような気分だ。

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コロナの後。経営不振。

2020年05月23日 | Weblog
■下の食堂で夕食:ちょっと変だ!
 今日は登校時に財布を忘れたので学校前のビアへ(舗道の露店)のおばちゃんに来週払うからと言って毎朝のヌクサウ(僕の大好物の飲み物)1パイ飲んで、授業の後はすぐ帰宅してマンション1階の食堂で食べようとしたが看板がしまわれていていつもの定食がない。でも、すっかりここで気に入られているので、ここのおばちゃん一家と同じ特別食を作ってくれる。ご飯に青菜、卵焼きと骨付き鶏の甘煮(これがうまい。ベトナムで最高かも、、)20Kしかとらない(普通のブンは30K)。午後バスでスーパーへ買い物に行って帰った後もマンション前のビアへで食堂のおばちゃんにチャンレオ(パッションフルーツジュース:僕の2番目の大好物飲料15Kは市価の半額以下)を注文して飲んだ。そして、7時半ごろ夕食に食堂に入ると誰も客はいなくてスタッフだけが食事をしていたが、僕を見るとあの特別食が出た。ご飯1杯が終わると、ご飯たくさんあるからもっと食べろと件のおばちゃんがよそってくれる。
 おばちゃんは50歳、旦那が亡くなって娘夫婦と姉とで店をきりもりしている。僕にやさしいのはぼくのことを気に入っているからだと取り巻きは言う。娘婿でさえ彼女がきれいかと聞く。仕方なく、きれいだというが、確かに顔つきも整っていて30年前はさぞかし、、と思わせる風情がある。今は野性的な感じがセクシーと言えなくもない、、かな。昨日はつたないベトナム語でいろいろ話した。賃料が高すぎる(店舗分が3万5千円、住居込みで5万;日本の価格にするとこの約4倍)1日30客でも固定費1万円下げないと損益分岐が出ないことは以前計算したことがあるが、客数約20だという。設備もあるし電気も別、40ないと駄目だと娘婿は吐き捨てるように言った。COBID19の期間賃料もきっちり請求されているという。
 僕が来てから3年になるが彼らは既に7代目だ。1か月で撤退した例もある。ただ1例だけ、例のアヒル食堂だけは数軒離れた場所に移って生き延びている。夜の飲み会的常連が取り込めたのかもしれない。皆北部へき地や農村から都会へ一旗揚げるためにやってくる。この地下鉄高架工事中のファンバンドン通りは恐らくハノイ一広い通りで地価も高いはず。この3年で通りの様相もすっかり変わった。いくら彼らが失敗を重ねても儲けが変わらないの家主だけ。代りはいくらでもいるからだ。といって家主が悪いわけでもない。家主のツウも実はこの建物を知人から借りて管理しているらしい。この社会自体がこういう形でしか存続できないようになっているのだ。この熾烈な格差社会こそがこの国の原動力となっている。どこかにいる一握りの特権富裕層のことなどベトナム人には関心がない。もともと彼らは他人のことにあまり関心をもたない。しかし、まさにその真逆の、他人のことばかり気にして、皆が中流だと思い、カルロス・ゴーンを決して許さない国民性というのも特殊な社会に違いないと思う。
 夕食が終わり、チャンレオを飲みながらみているとスタッフが忙しそうに連絡を取り始めた。今は月半ばだが金曜の夜。もしかして、、聞いてみようか?やめよう。聞いてどうなるわけでもなく、、、思い過ごしで来週もいつも通りかもしれず。でも、ベトナム人の逃げ足の速さは尋常ではない。賃料踏み倒して一晩でいなくなる、、、それで誰も困らない。それが普通。すごい社会だ。せっかくおばちゃんとも仲良くなれたのに、、もし、、だったらブオンクア(とても悲しい)。、、、あっ、、、雨だ!

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新しいテキストで授業開始

2020年05月20日 | Weblog
■やっとこさYelsinを読み終えた。今朝早くグエン先生から電話があり、体調が悪く休講にするからチョウに連絡してくれということなので彼の携帯にメッセージを送り、時間前に電話して確認した。先生に英語で話されたのでちょっとがっかり、、。やはり、まだベトナム語は難しいと思われたのか、、、。このC2のクラスは最高レベルなのだが、なぜか僕がいる。先週開講時はチョウの他に2人のベッケウ(越僑)と北朝鮮のクアンという新入りがいたのだが皆いなくなって、僕と近々ベトナム人の彼女と式をあげるチョウの2人だけになってしまった。チョウはベトナム人と変わらない話をするからグエン先生はテキストは進まず食事の話ばかりで終わる。横で聞いているだけだがリスニングの練習には最適。新入りは皆B1クラスに移ったらしい。あのクアンなどベトナム語始めて4か月なのにこのクラスに入ろうとするなんて、、先生もあきれていたがしっかり読めるし3年目の僕と同じくらいに分かっていそうな感じだった。
なにしろ、北朝鮮組はどいつもすごいできる。ドイツのベッケウのミイ会話は当然のようにベトナム語を話すがライティングは苦手らしかったからB2テキストを見て恐れをなしたのかもしれない。
新しいテキストのシリーズは今季初めてスタートするVSLのオリジナルテキストでCはないからB2が今のところ1番難しいことになっている。僕やチョウは一通りベトナム語指導に使われている代表的テキストの最高レベルは全部終了しているし、4か月にわたるイエルシン読解のおかげかB2は十分理解可能と感じたけど一般には相当難しいのかもしれない。
今日午後のイエン先生の授業でイエルシン最後の絶命の章を訳し、最後は先生に一語一語説明されて終えることができたが、満潮時の水位上昇でブレーカーのショートを引き起こしそれが原因で脳溢血で死んだという筋書きまでは読み取れてなかった。初めから最後ま難しくてわからん本だったが読み切れたのはひとえにイエルシンという天才の奇想天外な一生と、ベルエポックと呼ばれた時代の歴史的背景の興味を引きだすに十分なテーマがちりばめられていたことによる。COBID19とペスト菌の発見というパンデミック話題もタイムリーで微生物学の世界を覗く機会もあった。
授業後、イエン先生と勉強するためにB1テキストを買って、久しぶりにヨガに行く。

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オンライン教育(日本語教師会)

2020年05月10日 | Weblog
■先日行われた教師会はZoomを使ってオンライン教師会となった。あらかじめ日本語教育にオンラインでどのように対応しているかをアンケートして、その結果を発表し、グループに分かれて討論して全体会議に移行するという本格的なもの。これも今年の会長が日越大学の粟飯原先生だったからのこと。僕は日本語指導していないのでアンケートは出してないがzoomは体験しておく必要があると思い参加した。ネットで日越の新旧先生達がつながるというのだから僕としては初めての体験。100名迄スクリーンに分割され、グループ討議ができる。zoom使用はベトナムの学校ではセキュリティの関係で奨励されていないが日本関係者は定番的に使われている。
 パワーポイントがフルに使えることは確かに便利。分科会では皆とちがって僕はグーグルDuoを使ってベトナム語をプライベートで教えてもらう立場で話した。
 ベトナムの先生は安月給(国家大学のトップ大学でも一般の先生の月給は2,3万円ぐらい)でプライベートのアルバイトで稼ぐからオンラインで教えてすむならいい仕事だ。zoomは何人も相手にして準備も大変だがプライベートなら通常SNSで十分。僕は1時間25万ドン3時間週3回なので月4万5千円(住居費の3倍)。もちろんここではこれは皆が驚くほど高いのだが学校で個人授業するより安い。先生には他に学生が何人かいて、オンラインで効率的に家で教えているから結構いい仕事のはずだ。今期彼女は学校で教えないと言っていた。僕のように学校授業を受けていて先生から誘われるようにプライベートに替える学生は多いので、先生という職業は収益面でいえばピンからキリまで極端な格差がある競争社会だ。VSLなど海外の裕福な学生の集まる学校ではことさらだ。だからベトナムでのSNS使用オンライン授業というのは先生にとってかなり生臭い仕事で非常に一般的である、、ということなど、、、日本じゃあ考えられないことだが。
 教師会の後、親睦会ということで「オンラインBARなんとか」の招待もあったが参加しなかった。イエルシンの予習もしないといけないし、、。
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授業再開通知来る。

2020年05月08日 | Weblog
■学校から授業開始のメールが入った。来週月曜11日から通常時間帯で始まる。ちょうど、今日のオンライン授業でイエン先生に連絡がなかったら学校に問い合わせのメールをするよう言われていたところだった。
イエルシンはあと1週間分と少しを残すばかり。あと1週間あったらよかったのに、、。SNSのザロでチャン先生、マイク,チョウが話している。マイクはまた何週間かホイアンに行くみたいだ。

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カクリ生活終了?

2020年05月03日 | Weblog
■夕方6:30頃食事に出た。隣はやってないので4,50m路地に入ったビンザン(大衆食堂)の様子を見に行くと、もう行列でいっぱい。対面のフォーボーの店はちょうど席が空いたので入ってブンボ―を注文した。フォーの看板が出ているからフォーがあると思ったがメニューにはなかった。こういう、いいかげんさがベトナムのいいとこだと思うしかない。25K.
 昼は帰り道の日本物を並べてある店で、前回買った「青汁」を探したがないと言われ馬油シャンプーを買った。190K(950円)
日本でいくらするんだろう?安いなら盗品かな?とか思いつつ、、。僕のベトナム語が通じないのには少々慌てた、、。
 隣のビンマートでいつものようにヨーグルト2個(青汁と混ぜて気の向いたときに)韓国製豆腐1パック(翌朝の朝、オーストラリア製オートミールに入れてわさび醤油をかけて、、がカクリ生活の定番食になった)冷蔵庫をもっていないがパックがしっかりしているから数日おいても使えるかなと思っている。じかの水道水は危ないから食事に使えないが生もののパックはしっかりしているから生ものの方が安心かなと思う。アボガドを買ったら、まだ熟してないよと言われて明日食べるんだと言った。2,3日前に買った青いバナナはもう黄色を帯びていて食べてみるとちゃんと食べれる。果物ではバナナが一番コスパがよさそうだ。20本ぐらいの1房が150円ぐらい。
 マンションに戻ると守衛のタオが隣のビンザンと1階のハイフオン食堂それに近所のアヒル食堂も明日から開店だと言ってくれた。どうなっているのかわからないがハノイは明日から日常が始まるみたいだ。別に首相指示があったわけでもないんだろうけど、、。
今は普通に人が歩いている。

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COVID19関連記事に没頭

2020年05月02日 | Weblog
■ネット授業で昨日イエルシンの「後世」を終えたが準備が遅れたので頑張って読み続け今日は次回部分を読み終え次の「ヴァウギラード通り」に入ったが疲れて続かなくなったので、青空文庫で林芙美子の「浮雲」を読み始めた。読書アプリ「ソラリ」はまだ使い始めたばかりだが使いやすそうだ。その後、ユーチューブでCOVID19関連とホリエモンとゴーンの対談を見ていて1日過ごした。
 ホリエモンと医療専門家のインタビューと説明はよくわかった。今何時から規制緩和するのかという問題について日本はパニックになりすぎではないかメディアがあおりすぎで経済復興が遅れる、という見解。パンデミックを止め医療崩壊を避ける問題と、いつから生活を戻すかというのは分けて考えないといけないようだ。サーズの時はピーク後半急速に収束できたので感染者減少時に戻せたがマーズの時は収束できずそのまま引きずり結局収束に至らずグダグダになってしまったという。だからいまでも感染し続けている。それでは復興チャンスを逃すことになるので、今はマーズ型と考えて、社会意識の変化が決め手になるという話。ピークが終わり医療崩壊の危機が遠のいたらすぐ規制解除しないと経済崩壊を招いてしまう。死亡率を基準にするとすると失敗する。COVID19より毎年のインフルエンザによる死亡がはるかに多いのに世間は意識しなくなっているではないか、という話だ。なぜ、子供が重症化しないのかはわかっていないこと。など。
 ノーベル賞受賞者の山中先生の話が良かった。早い対応が求められるのでエビデンスを求めてはいけない。その時間がないし間違いをすぐに訂正する柔軟性が必要だということ。クラスターは誰から急に感染爆発が起こるかわからないという特殊性があるが他のインフルエンザに比べても特に強いというわけでもないということなど、、。自分が病気にならないよう気を付けるというのではなく、しらずに自分の行動が他人や社会を害することを知って我慢してほしい、そのために自分はいろいろな機会に考えを大勢の人に伝えることをしないといけないと考えている、ということ。100年前のスぺイン風邪との比較対応で、この100年の科学技術の進歩でどれだけ人類がうまく危険回避できるかが試されていることがわかるので楽しみだ、というようなことまで。危機管理的手法がみえて僕的にはとても興味深く感銘をうけた。
 ホリエモンとカルロスゴーンの会談については少々失望。ホリエモンの英語がいまいち。ゴーンに合わせて検察批判をしたつもりなのかもしれないが、、。ゴーン節をながす機会に利用されたような感じ。ちゃんと通訳入れて準備したインタビューを期待したいが、、、。つい、ユーチューブを見だすととまらなくなって、、、。

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