喫茶店でiPhoneをみせて薀蓄を語るうちに彼女も今どきのIT運用状況をのみこんできたようだ。なんだか訳のわからない社団法人を作って訳のわからない仕事をしているようにも見える。もうパリでの生活も17年になるという。日本の普通の食事に飢えているようでもあるので駅前の「晴れる家」に行くことにした。僕のボロ車モバイルオフィスをいたく気に入ったようだ。
「いまどうして食ってるの?」
「パリ低所得者市民を援助する補助金の申請をして、、、」
「それって、フランスの生活保護を受けてるって事?」
「そう、そういうこと」
「Hさん、ソルボンヌの博士号もってるんでしょ」
「そう、窓口でも今まであなたのような高学歴、職歴の人は一人もいません!て、いわれちゃった」
彼女はかって国連職員としてアフリカ紛争諸国の援助基金創設のために世界中を走り回っていた。代議士であった父親のコネクションと流暢なフランス語を駆使して大活躍していた時期があったのだ。
「そりゃすごいな、オレが日本の生活保護の申請をしようとしたってムリなのに、、そんな日本人なんていないよ。パイオニアだよ」
「いま、大変なの。本とかフランスまで送んなきゃいけないし、、この前も60万ぐらいかかっちゃた、、。」
「そんなのアマゾンで買った方がずっとやすいでしょ!」
「そうねぇ、は、は、は、、。」
、、、この人にはiPhone勧めてもムダかもしれない。