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くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

散歩

2011年11月29日 | Weblog

 

■久しぶりに多賀の家に行った。みかんをくれるというので午後の出勤に間に合うように9時過ぎに出かけた。ルートがいつもはっきり覚えられないのだが今回はようやく覚えた。ご両親もすこぶる健康で今では本人を含めてあのたくましい嫁さんの扶養家族になっている。

彼とはいつまで黙りこくっていても居心地が悪くならないという数少ない友の一人だが退職後一体なにを楽しみで毎日過ごしているのだろうと思っていた。日課だという「散歩」コースにつきあうことにした。


起伏のある田園風景と紅葉に色づいたトリムパークの一角を通り、いくつかの集落を過ぎて川の堰堤を過ぎると巨大な介護施設が現れる。平日なので人通りはなく、天気がよくて気持ちのいいこのルートを1時間ほどかけてゆっくり散歩するのだと言う。


「あの田んぼで何反ほどあるの?」、、どれくらい収穫があって生産組合に委託してどれくらいになるとか、あのは何戸ほどの集落なのか?とか、いろいろ聞いて、、「オレはシティボーイやから田舎の事は全然知らんかったけど日本の田舎の今の風景っていうのはこんなんやなぁ」


最近話題の会社のギャンブル役員たら、オリンパスの不正経理たら、電力株の株価低迷のことやら話しているうちに、ついには昔、トンガ王国などで日本人のリタイヤーライフ関連ビジネスを考えていたことを思い出した。日本人もいずれ海外の避暑地で老後を送るライフスタイルが定着するに違いないと思っていて、ホテルのような介護施設はそこに出来るはずで、こんなところにできるはずじゃあなかったんだが、、。

なるほど、カントリーボーイの彼はプロの農業家なのだから散歩と「家庭菜園」で老後の日々を暮らすことは正に理想の老後であり、これが日本の農家の王道ではなかろうか?彼が本当はどう考えているかは知らないが、多くの非農業サラリーマンの夢の老後生活でもあると思う。しかし「家庭菜園」より「家庭料理」派の僕にはちょっと違う世界かな。

そしてスキヤの牛ラーメンマ丼を食って福井に帰った。

 

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リハビリ

2011年11月21日 | Weblog

■肩の具合も相当よくなった。手術後2週間ではまだ腕を挙げてはいけないと言われていたが3週間経ったので、腕を挙げるリハビリが始まる。週4回の理学療法士のマッサージが実に心地よい。何も言わないのだが、いつも痛さと動きの限界のぎりぎりのところで動かしてくれるのがなんともマゾヒスティックな気分になる。

サルサの練習に出てみたいと言って、無理をしなければリハビリにもなるからということで、マサノリクラスの練習に出た。外見は何も変わらないが右手は肩から上には挙げられない。やはり、クリスマスのパフォーマンスには出られないが、それまでの練習には参加することにした。

考えてみると事故から1月。全く、トレーニングしてない。だいぶん体が鈍っている。気持ちも体をいたわる口実にたるんでいるように思える。朝早く起きて太極拳くらいやろうと思っていたのに、、、。

この事故のおかげでいろいろ見えてきたことがある。保険や事故処理の実態を知ることもできたが、ゆっくり自由時間ができたのにうまく使えなかった。いろんなことに頭を突っ込みすぎで、もう少し目的を絞って集中してみようとも考えたが、時間がある分ぼんやり過ごしてしまうことが多かった。結局、あれもこれもと言っている時が集中できるので、そのまま中途半端で終わってしまってもその方が充実するかもしれないと思ったりもする。

もう一つ、最近妙に気持ちが後ろ向きになりがちなのはどうしてだろうと考えた。負傷して体を気遣うあまり、無意識に怠惰な生活に甘えてしまい、気持ちの張りがなくなったか?それとも、あれもこれもの中途半端思考にむなしさを感じ始めたのか?目的意識の中に自分のなすべきことの優先順位を見失ったのだろうか?などと難しいことも思い描いたのだが、、、本当はもっと意外な原因かもしれないと思うようになった。

このところ、部屋が寒いのだ。だからすぐに寝床に入ってごろごろしてしまう。もう、起き上がってちゃんと机に向かうという環境がない。図書館にでも出かけて本を読む、といった時間をとらないと、結局家では何もする気力が起こらないのではないか?

先日購入した中古ファンヒーターで部屋の暖房に努めよう。それには、ごみ屋敷もどきと化した部屋の片付け掃除をまず始めないと、、、。

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ジャムセッション

2011年11月19日 | Weblog

■金沢のジャズバー「NOEL」で恭子先生のクラスの生徒さんが集まってBee'sのメンバーとジャムセッションすることになっていたので出かけた。友人を誘いたかったが都合もつかなかったし、どんなことをするかもわからないので一人でボンゴとパンディエロを持っていってみることにした。

ラテンパーカッションが2クラスとカホンのクラスの人たち20人ぐらい集まった。Bee'sはドラムを除く4人が集まった。フルート、ベース、ピアノに恭子先生のパーカッションだが今では各自独自の活動で忙しくてなかなか一緒に演奏する機会がないそうだが、集まっていきなりパッと演奏はじめるなんてすごい。

「NOEL」はしょっちゅう何かのライブをやっていて、毎週水曜はフリーのジャムセッションをしているとか。なかなか感じのよい店だ。我々のクラスは最初オサムさんだけだったが、土屋さん、ナナコさんもやってきた。

Bee'sのジャズのナンバーやオリジナルの演奏が終わって我々の番になったがオサムさんはじめ我がクラスは恥ずかしがってなかなか出てこない。他のクラスはなかなか芸達者なメンバーがそろっていて、予定があって早々に引き上げたメンバーのピアノ奏者に代わって1人でピアノを弾いたりボーカルやカホンをこなす人もいた。

僕のパンディイロを見ていきなりボサノバで参加させられたり、ふらふらとボンゴをコンガ調で叩いていて急にふられてどうしていいかわからなかったり、、、。でも、全員参加で一緒にBee'sのメンバーとセッションなんて、、、。楽しい!これは楽しいヨ。

 

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TPP再考

2011年11月16日 | Weblog

■総理がTPP参加を決めた後も何やらゴタゴタが続いている。僕の視点からはなにげにばかばかしい議論だと思える。メディアも国論が2分しているような扱いをするが、日本経済を牽引する自動車業界が賛成で、一方、将来の展望が見えない農業団体が反対論の代表のような顔をしている。最近「国益」と称して「食の安全」「アメリカの言いなり」などのわけのわからない用語で農家の保護が日本経済に匹敵するような重要性を主張するような論評が目に付く。

政治の世界で農家保護をうたうのは自民党、共産党と一部民主党で、みんなの党は賛成だし、立ち上がれ日本はTPPと日本農業は別問題だと言っている。これが正論だと思う。日本的組織政党ではわけのわからん組織の主張というのがあって、個人的意見が反映できないのかもしれない。これが旧自民党保守政権時代からの「票田」政策という幽霊ではないのか?でも、一般人もTPPが国論をわける問題のように思ってしまう、、、と考えるとこわい問題だ。そうなりつつあるんだろうか?まるで戦時中の軍事思想のように、、、。

外交交渉はそもそも国益が前提で進められるものなのに「国益」に反する協定だと反論したり、それを国会で審議しないと許されないなどという論理があるとするといかにもうそっぽい。そもそも外交は政府行政固有の権限でそれを国会審議にかかわらせるというのは三権分立に反するのだが、日本的発想だと総理の発言は国会の民意を反映しないからダメだ!とでもいうのだろうか?確かに交渉事で代表者が本社に伺いをたてないと何も決められないという日本的組織の全員一致決定方式の悪評は高く、国際的に信用されない原因である。だから日本の外交はアカンのだ、と思う。その遅れた外交を取り戻すためにもTPPは避けられない、と思うのだが、、、。

日曜のTV政策討論で、それではこれからの農業政策はどうあるべきか?という提言に対し自民党の政策は与党とそれとさして変わりない、ということなのだが、、、。えーっ、それ一体どういうこと!と言いたくなる。何のために、一体誰のためにTPPに反対したの?と誰でも聞きたくなるんじゃあないの?

オリンパス事件で日本企業体質の不健全性をアメリカに批判されても文句はいえまいと思うが、非関税障壁やらなんやら民主国家と思えない不透明性を持つ日本が「アメリカのいいなり」になるのは「国益」に反するなどと抽象的に言われるようになると、これはちょっと妙だ!論理が破綻してきた!、、と思う今日この頃です。

 

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サルサライブには出かけよう

2011年11月13日 | Weblog

退院後、肩の調子もよくて今では外見まったく平常と変わりない生活が送れるようになった。金曜の夜はパーカッションのクラスにも出かけたし、土曜の朝には帰国している妹が福井にちょっと寄るというので多賀君と一緒に会うことにした。

幸子の友人の堂前さんも40年前はかわいい女子高校生だったんだが、、もうお互いじいさんばあさんなんだなぁ、、、。幸子についてちょっと気になっていたことがあった。もう、彼女もバンクーバーでの生活は30年ぐらいになるんだろうが、子供がいないと、旦那と一緒にいるにしろいないにせよ、づっとカナダに住むつもりか、そのうち日本に帰る気持ちがあるのかどうか?ということだ。帰るつもりは全然ないようだ。日本の年金についても考えているようなので一安心。

彼女は相変わらずダンスに熱中!サルサだけでなく、アルゼンチンタンゴなどにも手を出しているらしいが、一番はウエストコーストスウイングだそうだ。どんな曲でも踊れるそうで、日本でもこれから流行るとすれば中心となるダンサーもいて、そういう人と東京で踊ってきたとか、、、。高校の時の友人と一緒に食事とかで、早々に別れ、僕も日本語ボランティアのクラスに、、。

夜はラボでサルサライブがあるので出かけた。沖縄のカチンバだ。このバンドは映画「サルサとチャンプル」に出てきたので是非聞きたいと思っていたが、一般にはあまり知られていないのかもしれない。メンバーも皆に混じって踊ったし非常にノリがよくて、ついに参加者全員とチンチン電車になってしまったり、、、最高に盛り上がっていたと思う。

アコーディオンを演奏するハスキーな声のボーカルの女性メンバーにダンスに誘われたが、この体ではとても踊れない。なんとも情けない話だ。彼女は「サルサとチャンプル」にも出ていたそうだ。このバンドは全員で11人だが、曲目によって編成が変わるそうで、サルサバンドとしては5人で「ソン」を演奏し、7人の場合はスペイン曲目で、11人の場合はより広くアラブ系も演奏するそうだ。「映画の波多野哲朗監督は福井出身なんですよ」といったら彼女も驚いていた。

沖縄民謡にクラーべのリズムが合っていたりして妙にキューバンなオリジナル曲よかったよ。

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TPPと食料自給率

2011年11月06日 | Weblog

■入院中はTVを見ることが多くなる。TPP問題について考える機会もあった。僕には、アメリカ留学してセキュリティを勉強したときに形成した日本文化セキュリティ国家観というものがあって、これによるとTPP問題の結論は自明のことに見える。国家間のルール作りに早く参加して遅れている日本の外交力を高めることの優先性は揺るがないのだが、どうして今、食の安全保障などと称して政治が農業保護を声高に主張するのか?

旧自民党にとって農家は「票田」といわれ、地方の保守票の基盤だったが、それが食管制度を生み、農業の自立を阻んだ。企業も金融も行政に保護されて自立できず、家庭内ですら、親の子離れ、子の親離れができない。高齢者医療が国の社会保障制度を崩壊させる方向にまで進もうとしている。

「一緒に渡ればこわくない」的発想も「和をもって尊し」の伝統も「平和憲法」の定着も、「銃のない安全社会」も皆、個人の自立とは別次元で達成されているのが日本社会だ。まるで社会主義国家のような、国際的にも特異なこの文化を僕は「セキュリティ文化」と勝手に呼んでいるわけだ。自立不要国家の「たかり」の思想が日本を疲弊させるのではないか?と思っている。

だから肥大化した行政の改革も大事だし、TPPに農業問題をからめて政争に使おうという遅れた発想から逃れられない政治家の改革も必要だ。でも皆同じ意見でまとまることを願うような国民意識の改革はどうか?かって「TVは一億総白痴化」(当時は日本の総人口が1億だった)を招くと喝破した評論家もいた。インターネットと双方向デジタル通信技術はこのマスメディア批判に答えるほどの国民意見の自立に貢献しているだろうか?

食の安全といえば食料自給率を高めよなどと説明なしで言われるが、一体どういうことなのか意味がわからない。東北大震災に際し、福島産の食品が風評被害にあったとか、汚染地域では今後農業ができないとか、そういった問題こそ現代的食の安全保障問題と言うべきだろう。

日本の農業技術を学び、世界各地に出て行って、地元の農業経営に貢献しながら日本人の需要に合ったものを日本に輸出するようなことを考える国際的農業人は育てられるだろうか?それは我々日本では多くてあまっている高齢者の役割ではないのだろうか、などと考えてみたりする。

TPP問題にしても、各分野別の利害得失の計量ができない今だからこそ政治がしっかり決めて、、と思うが「どじょう総理」はこの点でけっこう頑張っているんじゃあないだろうか?

世界の歴史上、アメリカのように関税で戦争が起こってきたこともあるし、日本のように非関税障壁というもので孤立化したこともある。「平成の開国」などと騒ぐ筋合いでもないが、国際化が平和の道筋という流れは変わらない。農業自給率にこだわる発想は違和感がある。

政治も世論から自立するほどの識見をもって欲しい。総理が減税ではなく消費税導入を問うために選挙に出る姿勢はいいと思う。国民意見の自立にもつながるだろう。この発想はケネディ大統領の就任演説で国民は「国に何を求めるのかではなく、国の為に何ができるか」を求めた半世紀前のアメリカ政治思想にようやく近づいた感じだ。

この入院生活も今日でおしまい。事故における医療保険制度を考える機会があった。そして、その実態は保険代理店、警察、病院、社労士等の専門家さえも全体を把握できない日本の保健医療制度の中で、入院患者、一般人が何の情報も知る必要なく安全に保護されている現実である。

「退院するのでいくら払ったらいいですか?」「第三者による事故で保険がカバーしていますから何もしなくて大丈夫ですよ」

そう看護婦さんに言われたんじゃあ、患者の安全保障意識の自立など芽生えるはずもない。これが日本の医療制度というセキュリティ文化なのだ。そして、これが社会保険制度を危機に陥らせている。

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最終定理

2011年11月02日 | Weblog

■せっかくゆっくり休めるんだから、と持ってきた本をやっと読んだ。「フェルマーの最終定理」(サイモン・シン著)はちょっと読みかけたがパッと読み飛ばせるような内容ではないと思って、づっとほおってあったのを一気に読みきった。

ピタゴラスの3平方の定理は誰でも知っているがX,Y,Zが2乗でなく3乗、4乗、5乗、、、となると解がなくなるという妙なことを証明することが誰もできなかった。アマチュア数学家のフェルマーがこの問題を提起し、自分は驚くべき証明方法を見つけたが余白が狭すぎて記すことが出来ない、という謎のメッセージを残してから350年後に、子供のときにこの問題を知ってから30年間研究してきたアンドリューズ・ワイルズがついにその夢を実現させる物語である。

メディアから何の関心も寄せられなかったが、実はその証明は谷口・志村予想という日本人研究者の提示した問題を解決したことに他ならなかった。どうしてそういうことになるのか?という説明の中で、古代ギリシャ数学から現代のトポロジーや秘密鍵、公開鍵などのインターネット暗号通信など2000年にわたる数学史がダイナミックに語られてゆく。

1993年と言うと僕がNYで生活を始めた年で、その4,5年後にNYの大学院でストカスティック(確立過程、金融工学の分野)も少し勉強するようになるのだが、その時は隣のニュージャージーのプリンストン大学でそんな話があったのかな、、、ぐらいにしか思わなかった。

ワイルズは10歳の時に、20世紀の少年と17世紀のアマチュア数学家の知識は同じぐらいだろうと思って、この小学生にでも理解できるような問題に挑戦するが、解決するまでに350年にわたる数学界のあらゆる分野の発見、進化、発達の成果を駆使しなければならなかった。

生涯をかけて純粋数学に没頭し現実社会生活には何の役にもたたないことを研究し続けた変わり者たちの努力が時空をこえた歴史のなかで科学技術先端文明の礎となっていく過程が描かれていくのだが、登場人物が天才ばかりなので話が面白い。

50歳の時、数学にはまってしまった僕としてはやはりこの本から数学の魔力を感じてしまう、というと大げさかな。でも、その魔力にとりつかれた人々の歴史だとはいえる。あらゆる数学の問題に関連し、巧妙で分り易い解説がちりばめられていて「数学好き」にはたまらない内容なのだが、「数学嫌い」にはどうだろうか?

フェルマーの証明とワイルズの証明は当然同じではないはずだ、と考える以上、依然としてフェルマーの証明の謎は残っている。フェルマーは間違っていたのか?

 

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