くまぐー日記

くまさんの電脳室リポート

再度ウズベキスタン -8-

2016年03月28日 | Weblog

■3/28
朝はゆっくり旅の整理(この記録をつけること)をしてバザールへカザフのクッキーを買いに行く。チェックアウトしてから今晩6時に空港行きのタクシー手配してもらってそれまで荷物を預けて出かけることにした。

まずTVタワーに向かった。途中メトロの中からどうも下の様子がおかしい、少し下痢ぎみなのかなと感じ始めていた。特に旅先で様子が悪くなることは今までなかったが、そういう話はよく聞くから、、、。タワーについて入場券を買おうとすると15ドルだという。宿泊費以上じゃあないか、これじゃあスムでとっても払えないやと思い、受付のにいちゃんの悔しそうな顔を尻目にTV塔を後にして日本センターに向かった。TV塔の目鼻の先にあるのだが最初だからよくわからず、ほとんど警官に聞きまくってようやくたどり着く。

   どでかいビジネスセンターの 6階にあり、ホテルのように立派なレセプションがある。入るなりトイレの場所を聞いて飛び込む。もうギリギリの瞬間に間に合った。特におかしなものは何も食べてないんだがもう水みたいになって使い捨てのパンツが汚れていた。とにかくこれでスッキリしてもう大丈夫。使い捨てパンツは常備しておくべきだなと思った。

日本センターには日本語教育に関する書籍、文献、ビデオなど全部揃っていて、日本文化を紹介する最適な環境にある。ちょうどこちらにご夫婦で滞在して日本語教育にあたっているという女性の方に詳しい話をお聞きする機会があった。

ウズベクの人は非常に親日的であるが日本に来ることは簡単ではない。ここで教育を受けている人は高所得の家庭の子女で日本語は趣味でやっているのが実態のようだ。彼女はベトナムでも教えていてベトナム学生は発言に壁があることを指摘していた。ウズベクは日本語の助詞と似た使い方があるので上達も早く、こちらの学生は大変にレベルが高いと言っていた。

ホテルでは6時にタクシーを呼んでくれているので、それまでゆっくり戻ればいい。もう最後だからミラバド通りの戸外の席で食べてみたかった。イスラム社会なのに、ここにはなぜかBARがあり、客が入っているタバコはブカブカ吸うし灰皿はどこにもある。これが田舎に行くともっとすごくてブハラでは豚肉が普通にかえる とか、、。 今日は時間が早いこともあって戸外の席は客もいなくて風が強かったがビールとラグマンを注文した。700円ぐらいだがうまい。今回自分でうまそうなものを注文して食べたのは始めてかな。もっとプロフなども食べてみたかった。ホテルに戻る。

このホテルは大変気にいっている。いろいろな出会いがあり、マヘンドラのような旅の達人に会ったりして情報交換できるのがうれしい。中庭でゆったりしてお茶を飲んでいるとBGMに矢沢永吉の「トワイライトにひとり」がかかっている。ABAのマンマミーアに続いて流れたA Quit Conversation という曲がここ風で気に入ったのでダウンロードすることにした。

時間になってタクシー来たのでホテルのスタッフに別れを告げ出発。駅までメーターで8000スムぐらいだった。搭乗手続きではイミグレーションにたどり着くまで3回くらいセキュリティーを通される。税関申告書は出国の際も書かされる。中には日本人と見るとひどく愛想のいい係官がいたりする。日本のツアー客も同じ便のはずなのにゲートにいないし機内にもいないと思ったら遅れて便を待たしてしまったらしい。成田に着いた時にようやく機内でであえた。

■3/29

妹のいる佐倉の家でゆっくりして夜、東京駅の鍛冶橋駐車場に出て夜行バスを待つ。待合所はスマホ等の充電用電源が備わっているのがいい。いつもどの席も混んでいるが僕は複数コンセント用タップを持ち歩いているので頼んで一緒に使わせてもらっている。11時15分発の中日本エクスプレスで福井へ帰る。4400円。今回は2日間のフェルガナで200ドル使っただけでずっとタシケントにいて一週間安宿で過ごしたのでとても安くついた。総額150000円以内で収まったと思う。その割には充実した出会いがあって楽しめた。騙されたり、ものを取られたり、、もなかった。めでたしめでたし、、。

おわり、、、。



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再度ウズベキスタン -7-

2016年03月27日 | Weblog

■3/27
朝、 ホテルのレストランで食事はバイキング 。いろんな種類があるが不思議とパンが見当たらない。食事を終えてロビーに出るとサイードが既に来ていた。チェックアウトして9時に出発。リシタンに向かう。リシタン焼きの工房見学。マイスターの息子という若者が日曜で誰もいないにもかかわらず制作工程を見せてくれた。ビデオを撮ったのだが iPadの容量を超えたようで止まってしまった。これを越前焼きの大家君に見せたいと思った。

コーカンドに向かう。途中でボクダッドで車に少年が近ずいてきた。サイードと一言二言。彼の息子だという。彼はここの出身で昨日はここで泊まったのだという。

街に入ってモスレムの廟を2つ見て回る。後に見たものは庭の中央にミナレットがあり僕一人で登った。数えると50段あってそのときなんともなかったが翌日結構筋肉痛になった。各5000シム程入場料を払うのだが、サンライズキャラバンでもう一泊して今日の昼をサイードの分まで払うのだからシムがなくなってしまわないか気が気でない。もうひとつ博物館(ハムザ博物館?)を見てからあとは食事して真っ直ぐ帰ることにする。

途中検問があってパスポートの提示が必要な場所がある。車が渋滞していて進まないので僕が一人で検問所へ行って処理してきたが、こちらも列が長くて遅くなった。

途中で車を警察に止められたスピードオーバーでその場で罰金を払わせられていた。
可哀想なのでもし余裕があるようなら「ウズベキスタンハイウエイ」のチケット代として出してあげようと思った。

ようやくタシケントにつきホテルにたどり着いたのでサイードにお茶を飲んでいくように言った。その間にチェックインしてスムで支払うと8700スムで大分余裕だったので彼に10000スム渡した。500円では少なすぎるけど、、どうもこの国の通貨は計算が複雑で思違いも甚だしいときがあって得なのか損なのかわけがわからん。

少し時間があったのでバザールに出てあのカザフスタン製のチョコレートクッキーを探すことにした。いつもこのホテルの朝食に出るやつでお土産にいいなあと思っていた。カザフに行かないがカザフのお土産だよってわけだ。探してみるとクッキー専門店みたいな店が、ちゃんとあった。チョコレートボンボンみたいなものを何種類か買ってみてみたが甘すぎてダメこれが一番だった。明日時間があったら買いに行こう。

ホテルに帰る途中の店のなかにBarがある。ちゃんとおっさんたちがビールを飲んでる。なんで、、??。

ソルトヒディンから電話があり、どうだったか聞いてきた。満足した。何も問題なかったと言ったら喜んでいた。マヘンドラはアメリカ人のためか去年トルキスタンのビザがとれなかったそうだ。ここのビザの招待状は現地旅行会社に発行してもらわなくてはいけないので行くときには彼に頼むことになるかも、、。すっかり僕は行く気になってるなぁ、、。

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再びウズベキスタン -6-

2016年03月26日 | Weblog

■2/26
朝食の時他に一人いた客に声をかけた。ブハラから学会か何かの用で来ている研究者のような感じだ。ここをビジネスホテルにつかうのもありだ。ここは夏が一番忙しいようで滅多に予約が取れないみたいだ。シーズンは外した方がいい。

ホテルをチェックアウトして驚いた。それまで実は一日24ドルとばかり思い込んでいたがそれは当初の二日分の料金だったんだ。で一泊13ドルで四日分52ドルだった。これだとこの旅300ドルで全費用を賄えるかも、、。

サロクヒディンが運転手のサイードを連れてきた。英語はできない。行くところを書いた紙を一枚プリントアウトして、ガイドブック持っているなら説明はいらんだろ、サイード相手にロシア語の勉強でもしてくれ、みたいな感じで送り出される。あんたのメルアドどこだっけ、メモに書いてくれないか、という。こういう楽なところがなんともいい感じだ。

白の新しいセダンで後部座席は僕一人フェルガナまで六時間。往復十二時間の二人旅だ。ガリレオアプリ(これはWiFiがなくても地図のGPS表示と進行軌跡を表示できるもの)をオンしてルートの記録をとる。退屈かなと思ったがそれどころか風景がドンドン変わっていくのが楽しい。サイードとはほとんど話さなくなった。

道の両脇にはまっすぐ上に伸びる木がどこにでもあり、その他には丸いまるで花火のような木がときおりみえる。牛やヤギが草を食んでいて(さすがに豚はいない)どこまでも広々と緑の草原が広がっている。ドンドン山に入っていくと山には白く雪がのこっている。

食事のために山の中の休憩所に止まった。サイードがシャシリクを注文。皆シャシリクが好きなんだわ。2人分33000を払う。ツアー代金に運転手の食事代は入ってないんだとわかった。外に出ると空気は冷たく寒い。しかし日差しは強いので車の中だと外からの日差しでズボンが熱くなる。マヘンドラが言っていたが二月にはサマルカンドで雪が降ったそうだ。ところが翌日は雲ひとつない晴天で雪は跡形もなくなくなっているんだそうだ。夏は摂氏40度冬はマイナス40度。一体どうなっているのかここの天気はややこしい。

マルギランについて車はきれいな建物の門の中に入っていく。ホテルに着いたのかと思ったが実はシルク工場だったのだ。はっきりした英語を話す家の主人のような人の案内で飾り付けのきれいな建物の中にはいるといきなり大きなお湯の入った釜に白い豆の様な塊が網の中にたくさん入っているのを見せられた。ココアだという。???なんで~、、と、やっとコクーンと言ったのだと気がつく。蚕の繭から糸を引き出していたのだ。なるほど、、ホテルじゃあなかった。あの有名な矢絣模様のマルギラン・アトラスはここで作られたものなのだ。

買物好きの女性には格好のターゲットかも知れない。件の案内人のおじさんが盛んにショッピングは日本語でどういうのか聞きたがるのを横目に次の目的地クバの仏像を見に行く。

天蓋の中に黒い立像があるのでどこかの観音像みたいな気がして近づくとターバン姿のイラン人みたいなおっさんの像。その辺りの庭園風な公園は新しく整備されていて綺麗だが人も少なく、、日本人客なら、、なにこれ!だが、、、。禅じゃない仏教徒と称するマヘンドラの趣味なのかな??

フェルガナの街の中央にある遊園地に行く。サイードもちょっとどこ行っていいかわからない様な風だが、、とりあえずトイレを探して、、。そのあたりのおばちゃんに「スカジーチェ パジャールスタ  グジェー   トアリィエート」、、あとは何をいわれてもわからん。たすけてサイード!

ホテルアシアフェルガナに到着。新しくて大きいホテル。地球の歩き方によるとツイン100ドル以上のトップホテルだが僕の95号室は後で聞いてみると11万5千スムで20ドルくらいだ。部屋はバカでかくてすげーダブルベット。ベットの上に白鳥を模したタオルの作り物が、、見事。WiFiはカウンターでしか使えない。あれっ!ここのドアは日本と同じく通路側に開くようになっている。へんなの、、。

夕食抜きでバタンキュー。夜中に目覚めてiPadで旅の整理。

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再びウズベキスタン -5-

2016年03月25日 | Weblog
 
■2/25
市内見学の最後の日なので予め各見所のメトロからの距離方角とオープン時間をチェックしてどの順で回ったらいいのかを考えておいた。その結果、最初は朝9時からオープンする鉄道技術博物館へ行った。ここはタシケント駅のすぐ近くで大きな鳥居のようなゲートのある野外展示場で旧式機関車が並んでいる。入り口には誰もいなかったので勝手に入って写真を撮った。 マヘンドラが身長より大きな動輪があるぞと言って勧めていたが、鉄ちゃんなら垂涎の的かも知れない。大きな看板があって、どこやらで見たような高速車両の絵がでている。ウズベキスタン新幹線が話題になっているらしい。

次はチムール博物館。 1階のkassaに人がいないのでウロウロしていたら、売店のおじさんひドンドン窓を叩かないとでてこないよ、と言われそうしたらすぐにおばさんが現れた。6000スム(300円)。だんだん人が増えて来て、低学年の生徒が先生に連れられてたくさん来ている。韓国からの旅行客の一団も見かけた。

次はそこからアミール駅に戻り、そこからマイダニ駅に行って歩いて歴史博物館に行くのだが意外に簡単に行けたようだ。歴史博物館は4階が閉館だといわれたが入場料10000スム払って見る。古い時代の鎧かぶとや鎖帷子などアジアというよりヨーロッパの騎士風なのも面白い。やはりロシアに占領され、住民が反乱を起こして平定されるという歴史が展示の中でも中心になっているようだ。

昼になったのでチョルスバザールに行くことにした。やはりこの賑わいはタシケントならではの感じがする。去年食事した同じところでシャシリクを頼んだ。このミンチ風のやつはあんまり好みではない。18500スム。バザールをグルッとめぐると膨大な時間がかかりそうだ。肉売り場に行くと客が手づかみで肉を品見していて違和感があったが考えてみると手が空気にさらされた血や肉より清潔とは言えないし焼いて調理するなら衛生的に問題ないはずだ。探すと何が売られているか分からない面白さは僕のリサイクルショップ巡りと共通するものがあるかもしれない。

メトロ駅から乗って何番目かの駅で乗り込んだ男がちょうど前の席に座った。顔を合わせて驚いた。ベキゾの友人で一緒に来たタブロンじゃあないか 。奇遇、何でここにいるの?フェルガナに帰ったんじゃあなかったのか?

彼は韓国大使館に大学院への留学申請に来ていたのだ。家はフェルガナのちかくのマルギランだったと思うが家族を残してタシケントに来ている。僕は博物館めぐりも終えたし彼に付き合うことにした。アイベックで降りてマヘンドラに教えてもらったカフェへ行こうとしたが場所を見失ってしまったので近くの誰もいないレストランで二人でお茶を飲みながら話した。

彼の専攻はITを利用した教育プログラムの研究で、どうしてもマスターをとらないとポジションにつけないので韓国の大学院へ留学を希望しているという。どうしてウズベキスタンじゃあダメなのかはっきりしないが、やはり国外で家族と生活することを夢見ているのかもしれない。日本では彼はコンビニで働いていて奥さんはロシア系の美人だから子供を幼稚園に預けてホステスでもしていたのかもしれない。しかし、困ったことに子供が全くウズベキを話せないので今こちらの幼稚園で大変なことになってしまったという。周りがどうして話ができないのか皆で心配するだが、本人はわからなくてただ泣き出すばかりで困り果ているらしい。この点はベキゾの英語教育は自国語を習得してメンタリティを確立するまで待ってから始めるべきだという考えに軍配があがりそうだ。

韓国大使館に行くと同様な男女がたくさんいて順番待っている。この国には日本の在日のように韓国語が話せないウズベキ生まれの韓国人が沢山いる。彼は申請書を提出しようとするがどうもうまくいかないらしく、別の韓国語学校で申請することにしてそこへ一緒に行く。
 
時間があるので近くのレストランでシャシリクを注文。ここではミンチ風でないやつやレバーのものを食べた。遅くなったのでベキゾと連絡をとろうとするが買ったばかりの彼の携帯は電池切れ。やむなく周りの人に携帯を借りて連絡し後で二人で直接ベキゾの家へ行くことにする。

学校の担当者から申請期限が過ぎていて申請できない旨を聞かされ彼はがっくり。慰めながらベキゾの家に行くためタクシー(全くの普通のひとの車だが誰でもタクシーに早変わりだ)を捕まえた。すごく楽しい二人組みが乗っていて僕が変わったツーリストだとわかると、ロシア語やウズベキ語のとびかう珍妙なコミュニケーションがはじまった。タブロンも結構たのしんだようだ。

ベキゾの家に着くと既に彼が食事など作って準備していてくれて、彼の友人二人も加わって男ばかり5人で食事が始まった。奥さんと息子はちょうどおじいちゃんの所にでかけたところだったようだ。4人は日本で勉強しているので日本語が話せる。英語なら皆わかるのだがやはりウズベキとロシア語が中心になる。そのときは4カ国が普通に話されていたことになる。

タブロンには僕が司法試験を目指していたころアポロ計画の宇宙飛行士の平均年齢36歳を目標に頑張ったり10年ごとに人生を考え直して生きてきた話しをしたら、自分のお父さんみたいだと思ってくれているようで興味深く聞いてくれた。彼も、何事も手続きに手間ばかりかかるこの国のビューロクラシィに辟易しているくせに、自分の将来は権威的なエリートの道を行くしかないと思い込んでいるようなところがある。自分の足元を見て自分の能力を発揮できて本当にやりたいことを見つけられたらいいのにとおもう。

夜の12時までメトロは動いているし警備は厳重だから安心だが11時半になると動かなくなる電車もあるというので近くのチランザル駅までタクシーで行ってメトロに乗った。ところがちょっと慌てたのかパフタコールで乗り換えるところを一駅前のブニョードコルで降りてしまった。二、三人しか人のない ホームで次の便が来るのを心細く待つ時間のながいこと、、。やっとホテルに着いたときは12時をだいぶ過ぎていた。

サロクヒディンから明日の出発が8:30になるとの連絡がある。

   
 
 
   
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再びウズベキスタンへ -4-

2016年03月24日 | Weblog


■3/24
翌日早朝ベランダに出て旅の整理をしていると、ここで働いている若い男が話しかけてきて日本人とわかると北野タケシの映画やアニメの話などしてきて、おまけに100シム硬貨を記念にくれた。

マヘンドラと食事をして彼にこのホテルの従業員の女性の一人にもらったという手作りのなすび味のピクルス風ペーストが残っていたのをもらった。冷蔵庫にあるジャムも置いてくから食べてくれという。従業員だってシフトで10人くらいはいるとおもうのだが、、、。ペーストはベジタリアンのマヘンドラのために特に彼女がつくってくれたもので、彼が言うには、彼女は旦那さん想いのいい子で昼は忙しいが夕方仕事に入るときは旦那のために化粧してくるから見ておけよ、、とかなんとか言ってる。彼は誰からも大人気だ。バザールに出かけるとそこいらじゅうに声を掛けて挨拶されている。一体この男はどんな奴なんだろうと思う。

ボストンには彼の別れた妻と今度成人する娘がいる。本人は彼らに経済的な支援はしているが自分は旅行で世界中を回っていて、何かない限りボストンへ帰ることはないようだ。これからは娘の方から父親にあいにくるそうだ。彼の元の仕事は原発施設のシステムITマネージャーで海外、特に上海や他の中国プラントの施設立ち上げに関わっていたが東日本震災の影響で反原発の動きが強まり仕事を失ったそうだ。僕がいる福井県は原発問題で揺れているという話題になった時彼はその話をした。始め40半ばでリタイヤし、その蓄えで世界中をめぐって幸せな人生だと思っている、お前は67にもなってまだ働いているなんて、、と言ってはいたがこういう旅の仕方ならそれほどの金持ちでなくてもできるのかもしれないと思った。たった一日の付き合いなのに永年の親友みたいな気持ちになっている。

出発の時間になってタミリス親子とマヘンドラと一緒にホテルのカウンターで記念写真を撮って送り出した。いつかどこかでまた、、きっとね、、、といって3人の乗ったタクシーを見送った。ちょっとしんみりするこういう出会いが1人旅の醍醐味なんだろうと思う。

昨日会ったサロクヒディンに電話して26,27日にシムケント行きのツアーを頼んでみた。彼は、シムケントには何もないよ、それよりフェルガナにしないか、仕事が終わったらホテルに行くから、、と言ってきた。まぁシルクや遺跡に興味はないがこのエージェントには興味があるのでそうしてみよう。

Luxury Asia  に僕のスマホから電話してみることにした。この国に来てからモバイルデータ通信はオフにしてあるがキャリアーが自動で勝手に入るので機内モードにしてある。思い切って機内モードを外して電話するとつながった。ナディラが出て聞き取りにくいからホテルにかけ直すと言ってきた今日明日は市内見物だというとタクシーで事務所に出てこないか、タクシーを呼んであげるからといってきた。

聞きたかったのは話に出た民族音楽楽器をつくるワークショップに参加できないかということだが、彼女もそんな企画が以前あったということくらいで今はないが調べておこう、連絡はとり合おうということだった。ナディラは忙しそうだがバティールが替わって市内見物のルートを教えてくれた。

そのままもらった地図を頼りにチムール公園を歩き出すとホテルウズベキスタンの裏にあるピザ屋さんに入ってみることにした。ピザを注文し、味もそこそこ店員も可愛い、、そこで支払いが182000スム、、、ヤバイ!スムは182000しかない。足りない分は件の店員さんニッコリ笑ってまけてくれたがホテルに戻るメトロのトークン代1000スムがない。どこもドルを換金してくれない。すると誰かがホテルがあるよと言ってくれた。

となりのウスベキスタンホテルに行って換金をたのむと、その若いホテルマンは僕を誰もいないクローク室に連れて行っていくら替えるのかときくので10ドルだというと450だという。公式には300だが市内だと600。少額だから450だがどうかというのでOKすると、怒ってないか?と聞いてきた。彼はきっと誠実なんだが知らない客はきっとみんな怒り出すんだろうなぁ、、と思った。いいんだよ俺645で替えているんだから、、と言いたい複雑な気分になる。

広場のチムール像をあとに市内見物のこの地図何かおかしいと思いながら果てしなく歩くこと一時間余り。ようやく方向が間違っていたことに気付いた。ここはいったいどこだ?そのとき、きれいな発音の日本語で女性紹介するよ、みたいな言い方で話しかけてきた男がいる。名刺をみると「Entertainment  Mr.Boris」とある。英語で対応して少しロシア語をまぜるとすごく真面目な感じでサボイ劇場を親切に教えてくれた。この国の人はとても真面目な気がする。イスラムだから当然か!

そのころ雨が降りだした。霧雨だから気にしないでとにかくやっとあのサボイ劇場にたどり着いた。近くの公園にいた女性の二人連れに聞いたらあんないしてくれたのだ。2人とも可愛かったので劇場前でつい写真をとらせてもらった。

ホテルに帰るとベキゾから連絡があり電話すると今日は息子が熱を出してしまったので会えないといってきた。忙しいんだろうなぁ。いーよ!

ソルトヒディンが来てフェルガナツアーの話をする。以前マヘンドラに使ったものがあるのでどうかという。270ドルでホテルが47ドルだというからホテルも高いし200しか払えないというと、そりゃ不可能だと言ったけどドルで払うといってやってもらうことにした。

途中で電話があり、フランス語で対応している。いまフランス人の客がアフガニスタンに行くので頭を抱えているという。彼もまた大抵のこの国の人のように電化用品販売の2足ワラジだ。マヘンドラによると一人でしているから融通が利き安くなるらしい

200ドルを渡したがその札はバザールの両替で突き返されたものだ。彼はうち一枚は使えそうだと言って2枚とも引き取った。普通の観光客なら何の話か分からないだろうが、彼が僕に対し普通に話しているのはマヘンドラと同様に僕を旅の玄人と思ってくれているのだろうか。200ドルと言っても闇レートで倍以上になるのだから3, 400ドルの仕事になるからだ。とにかく信頼できるエージェントだというから任せてみることにする。


この日の夕食は買ったトマトとマヘンドラの残してくれた野菜。

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再びウズベキスタン -3-

2016年03月23日 | Weblog


■3/23

朝,マヘンドラが部屋に入ってきた。彼はアメリカ生まれのインド人。50歳半ばだが、すでに5年前にITエンジニアをリタイヤして今は一人で世界中を回っている。 この宿の常連らしい。これからカザフスタン、キルギス、モンゴル、シベリヤ、モスクワ、サンクトぺテルスブルク、ヘルシンキ、、を回るという。すごい人と一緒になったものだ。

ベキゾと連絡するのにメルアドしかないのを悔やんだ。Wi-Fiは異常ないが、メールサーバーがおかしくメールが受信できないのがわかった。これではホテルへ電話連絡してくるのを待つだけだ。しかし何も連絡がない。地下鉄の乗るのは初めてなので、とりあえず、近くのメトロへ行ってトークンを買って乗ってみて練習しておかないといけないとかんがえてアイベック駅に向かった。歩いて15分。トークンは1,000スム(50円ぐらい)で乗り場の前で売っている。改札前にポリスの手荷物チェックがあり、構内の写真撮影は全面禁止となっており違反はその場で写真を消去させられる。知らずに写していたら警官に声をかけられて消させられた。

ホテルへ帰ったがベキゾからの連絡はまだない。マヘンドラがバザールの換金場所へ連れて行ってあげるというからついて行くことにした。まず彼はある建物に入ってマッザージを受ける予約をした。彼は車の事故で負傷し3度の大手術を受けたが痛みが治まらず,疲れが出ると痛みを抑えるためにマッサージを探して施術を受けているらしい。日本を含め世界中のマッサージを受け回っているという。

バザールに出てベジタリアンの彼は野菜やナンを買う。僕もトマト(4個で4000スム:200円)ナンと紫色玉ネギ(おじさんはタダでくれた。意味わからん。明日来てもっと買ってっていうことかな?)。ホテルで調理して食ってりゃお金かからないよ!完全ベジタリアンのマヘンドラならこれが毎日の生活らしい。朝食付きで一泊12,3ドルのこんなホテルで生活するならば月5万円の年金で暮らせるなぁと思った。

バザールの一隅の屋台にいるおばちゃんに声をかけてマヘンドラはドルいくらかと聞きと、電卓を見せて645だという。彼が650と打つと彼女は顔をしかめていやいやをする。そこで645で交渉成立。僕は$100換金したかったが札をみせると古くて汚れがあるからダメだという。他にピン札はないかと探したがないのでやむなく40ドル(258000スム)換金した。ピン札を持ってくるんだったと悔やむ。これが闇両替で違法。見つかれば没収され拘束されるのだが堂々とバザールの中で行われている。このマネーレートのダブルスタンダードが中央アジアのなかでウズベキスタンの特色。彼と別れホテルに帰るがベキゾからの連絡はない。

そのうちマッサージから帰ったマヘンドラが友人に会いに行くが一緒に行かないかというので一緒にアイベックのメトロ駅の方向に向かった。アフロシャーブ通りを西に道を聞いたり電話してもらったり(ここでは公衆電話なんていらない。携帯持っている人に声を掛けて電話してもらうのが普通。皆いやな顔しないで電話してくれる。良い人柄だわぁ)して、ようやく大きなテナントビルの1階の応接室に通された。

Luxury Asia East Travel Company : Facebook「Luxury Asia」
Nadira Akhmedova   90-909-72-81

紹介された彼女はこの新しいエージェントで仕事を始めたようでマヘンドラはここでコーヒー1杯飲ませてもらってツアープランのアドバイスをするんだそうな。サンライズキャラバンホテルを得意先にしている。部下のBatirという男も一緒に話に加わった。彼はスペイン語もできるという。2人とも大変慣れた英語を使うので、ここのツアーポイントを知り尽くしているマヘンドラにはいい話し相手で、彼らもまたいい情報源になっているようだ。彼女は連絡したい日本人がいるという、、、もしかして「西村さんじゃぁない?」…そうだった。奇偶! 去年僕たちは彼と一緒にウズベキスタンを回ってキャラバンホテルに泊まったと話した。後で僕と話をしたいということだった。マヘンドラにはもう一人会う予定の友人がいるというのでホテルで待つことのした。

ホテルの庭の棧敷コーナーでタミリスとお母さんが食事をしていたので僕も一緒に食べていると、マヘンドラが来て、タミリス親子とは明日アスタナに発つ同じフライトだということで彼と一緒に駅までタクシーで行くことになった。言葉は通じないがマヘンドラのボディトークをみんなで楽しむ。

夜、仕事を終えたシャロクヒディンとその小さい息子がマヘンドラに会いに来た。彼は一匹狼の旅行エージェントでマヘンドラが推奨する男だ。彼らの話している間、彼の息子やタミリスと一緒にダーツしながら点数を数えてロシア語の練習をしていると、そんな僕を見てマヘンドラも呆れ顔。

夕方ようやくベキゾから連絡があっておそくなって大変すまない、夜9時にアイベック地下鉄の駅で会いたいと言ってきていた。行ってみると奧さんと2人できていた。家を長く空けていてたので支払いがたまっていたりして忙しいという。マイダニ駅で車両待ちのあいだ僕がメトロの構内を写して注意されたと言ったが僕のシャッター音がしないアプリを使い写して大丈夫だというものだからベキゾにi Phoneを渡してとらせていた

構内を出ようとした時、ある男が警官に写真を撮っている奴がいるといいつけているのが見えた。警官がすぐに走りだしベキゾは捕まってしまった。彼は僕に心配しなくていいからすぐ戻るからと言ったが戻ってこない。奧さんと長く外で待つことになってしまった。ようやく彼の連れ込まれたい駅の詰所に呼ばれ撮った写真を消すように言われて開放された時にはもう11時を随分回った頃だった。

そのままアイベック駅から歩いて帰った。

あとできづいたが、そのとき僕が「それは僕が頼んで彼に撮ってもらったんだ。そのスマホはおれのものだから」と言ってすぐに僕自身で消去すれば問題なかったのだ。ベキゾはタシケント市民で他人のスマホで禁止された撮影をしたことでこの国特有のお役所仕事に巻き込まれた感じだ。ああ、せっかくの最初の出会いがこれだぁ!

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再びウズベキスタン -2-

2016年03月22日 | Weblog


3/22
早朝6時ごろ日本橋に到着。歩けば500メートル程だがどうやって荷物を八重洲南口の成田空港行き1000円バスの停留所まで持っていくか?取り敢えずタクシーを止めるが荷物の山を見てやんわり断わられる。でもそのうちに大型が1台来てなんとか詰め込み僕は1人歩いてバス乗り場まで行った。ところが,乗り場は一般車両入場禁止区域とわかって、そこら辺を探してタクシー発着専用区域を見回し、待っても待ってもそれらしいタクシーは来ない。茫然としているところへ「熊谷さーん、、」とよんでベキゾがやってきた。聞くと運ちゃんは大通りの反対側にある成田空港行きリムジンの停留所で皆を降ろしたらしい。

そりやぁ都合がいい,と思ったがその便は乗り場変更で駅の北側遠くになっていた。それなら成田空港行き乗り場のほうがずっと近い。とにかくバス停まで地下道を荷物を持って往復。階段を持ち上がって汗びっしょり。

7番バス停の7時25分の便は新宿からのお客があるとかでこんだけは荷物載せられないと言われたがなんとか頼み込んで「今度からは宅配にしてください」と言われて載せてもらう。ティムはお母さんの膝の上なら無料だということで、、そしてなんとか成田空港1番ターミナルへ到着。

ウズベキスタン空港のチェックインカウンターは9時5分にオープン。それまで待つ間に同じウズベキスタン人の友人タブロン家族の3人と合流。彼は最初東北大学に同じく研修に来ていたが別大学で研修を続けファミマでアルバイトしながら一年の研修を終え帰国するところだった。

チェックインで僕はベキゾの20kgのバッグを預け,5,6kgのバッグを手荷物にして僕のデイバッグとウエストバッグでカウンターを離れることができたが案の定ベキゾは窮地に陥っている。

トータル重量91kg、手荷物含めて28kgの制限を60kgオーバーということで超過料金1万7000円。
まるで「爆買い」やなぁ!!1トン以上持ち込むなんて,,,。

入国審査で僕が通過してもみんな出て来ない。何かしきりと書類を書いている。日本人は不要だけど彼等はエンバケーションカードを書いていたのです。

機内に搭乗して席に着くと右隣に座った日本人女性と話し始めた。彼女は栃木県の石岡さんという方で僕の下の妹と同い年で70過ぎの旦那さんはもう疲れるといって一緒ではないが1人で色々な世界遺産をめぐるツアーに参加している。まあよく回っているなあと感心するほどだ。去年見かけたウズベキスタンのツアーときっと同じなんだろうが20万で一週間。帰りの飛行機はちょうど僕のと同じだ。

突然「くまさんじゃありません?」と声をかけられ振り返るとマスクをした女性。サルサのラテンドングリのメンバーで同じツアーで福井から一人で来たんだという。偶然でビックリした。彼女はこの花粉症シーズンは国外に逃げ出すことにしていてたまたまウズベキスタンだったという。そういう旅行もあったのかとおもった。

日本を発ってすぐ窓に富士の頂上が見えた。石岡さんが言ってくれないと見逃していたところだ。次に日本アルプスの山々が綺麗に見えた。後になって指摘されて窓から雪をかぶった壮麗な山脈が見渡せるようになった。ウルムチを過ぎたあたりの天山山脈だ。その向う側にタクラマカン砂漠がつづいているはずだ。

ようやくタシケント着。入国審査で長い列を待っていると先に進んでいたベキゾから左の列に変わるように言われた。外国人は左の列なのか。知らないととんでもなく時間がかかるところだった。税関申告書は機内で1枚渡されているが、本当は2枚必要な事が後でわかった。どうも1枚のコピーは最後までなくさないでもっていないと面倒なようだ。

空港を出るとベキゾの奧さんの両親が出迎えていて、あのプロレスラーのような親父さんも僕の顔を見つけてデカイ手で握手してきた。彼等にとって孫のティムを抱き上げるのが至上の喜びという感じだタクシーを見つけ交渉し値切るのが厄介だ。ようやく見つけてホテルまでたどり着く。
Sunrise Caravan Stay Boutique Guest House :www.sunrisecaravanstay.uz
45,Mirabad drive-2, Tashkent, 100015

ホテルはとても感じがよく、安い1泊14ドル+アルファのホステル型。この1-1号室で3つの2段ベットに6人が入れる。共同のトイレシャワー室には洗濯が出来るような洗面台になっていて、共同サロンではいつでも紅茶とコーヒーが飲めるようになっているキッチンには大きな冷蔵庫があって自由にものを入れて使えるようになっている。近くのバザールで買ってきた野菜や果物を切ってサラダで食べることができる。そしてここが旅の情報交換の場になっている。僕の部屋は今は僕が1人で入っている。

ここでダーツをして遊んでいた10歳のカザフの女の子Томiris Kablah と出会う。一緒にダーツをして遊んだり45歳のお母さんАzhat Iskakova と話をしたりしていた。2人だけがタシケント見物に来ていたが、彼女には23歳と21歳の姉がいるという。彼女が僕を連れて共同ホールの下の白板のある教室のような部屋に行った。こんな部屋もあるんだ。そこでマーカーを使って各自の自己紹介。何しろロシア語はわからないのであーでもないこーでもないとやるしか仕方がない。ここでロシアではFacebookとおなじような「VK」というSNSがあることを知った。

カザフのシムケントから来た英語のうまい男が、よくキルギスのイスク・クル湖へよく泳ぎに行くという話からキルギスは夏に行くのがいいかもしれないと思った。帰りの便がキャンセルになり予定変更の希望を聞かれ1週間の予定に短縮したので、カザフスタンのアスタナを往復するのは無理になる 。そこで近いシムケントにするかどこかキルギスにするかを考えないといけない。

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再びウズベキスタン (2度目の中央アジアの旅) - 1 -

2016年03月21日 | Weblog

3/21

朝, 金沢へ行ってパーカッションのパフォーマンスに参加。帰って部屋の掃除、パッキングの続き、、といっても僕の荷物はウエストバッグに重要な物を詰めデイバッグの半分にに着替えなど入れて終わり。ベキゾ一家が帰国の際に持ち帰る荷物を1つ2つチェックや機内持ち込みにして助けてあげるのが目的。

そうこうしているうちに夜になり,9時前に車で彼等と荷物をピックアップして駅東の夜行バスのりばへ連れて行くつもりだった。その後,帰ってバイクで駅駐輪場に行って帰国するまで停めておくつもりだ。

彼の家に行って驚いた。大小合わせて10数個のスーツケース類、おまけにネットで買ったエレキギターもある。これから練習して弾けるようになりたいとか、、、。見送りの友人たちが手伝ってくれてのりばで10時発東京駅行きバスになんとか詰め込む。
 
JRバス料金は8800円と多少ディスカウントのを彼と奧さんと5歳の息子ティムール君のために1月前に予約手配してあった。3列バスでカーテン仕切りがあり若干休み易いが,今回は3ヶ月前に予約が一杯になる中日本エクスプレスの4000円バスの予約は取れなかったのでやむを得ない。僕の帰国の際のバスは予約できている。
 
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