波佐見の狆

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「マンティコア」は源氏?!(「平清盛」第28話)

2012-07-17 10:42:39 | 平清盛ほか歴史関連

「平清盛」に挿入曲として使用されている「タルカス」は、実は次のような組曲構成になっています。

1. Eruption  (噴火)
2. Stones Of Years  (ストーンズ・オブ・イヤーズ)
3. Iconoclast  (アイコノクラスト)
4. Mass  (ミサ聖祭)
5. Manticore (マンティコア)
6. Battelfield  (戦場)
7. Aquatarkus  (アクアタルカス)

(全体で20分ちょっと)

今までの放送で使われていたのは、この1楽章Eruption のみでしたが、15日の第28話「友の子、友の妻」では、5楽章Manticoreが出てきて、興奮しましたーーー!

こちらは、ELPの原曲のフルバージョンですが、10分56秒あたりからManticoreの部分を聞くことができます。わずか2分足らずですので、ぜひ聞いてみてください。

Emerson, Lake & Palmer - Tarkus [Full Song]

このきわめて知的なKeithのオルガン・・・いかにも、10年、20年かけて、耽々と爪をとぐ二匹の若トラたちの繰り返す唸り声にきこえませんか?!

実は、ManticoreというのはTarkusの「対戦相手」でして、Tarkusは、暴れまくり地球上のすべてを焼き尽くした後、Manticoreのサソリのような尻尾の毒針に目を突かれて、海へ返っていくのです

つまりですね、、、、Tarkusが平氏を象徴するものとすれば、Manticoreは源氏でしょう。Manticoreの決定的な一撃は、頼朝と義経の挙兵ではないですか!ここで頼朝と義経を生かしたことが、平氏一門を海へ沈めることになるのですから。。。だからこそ、28話でこのManticoreを、清盛が常盤を愛妾としようとするシーン、および頼朝が伊豆へ出立するシーンにおいて用いる意義があったのです。私はそう捉えました。

ところで、子らの助命のいきさつと常盤の処遇については、諸説あるようですね。常盤は母を捕えられ、子らよりまず母の助命のため、自ら出頭して清盛の側室?となった、というのが史実らしいですが、これまでの大河でもそれぞれに異なる描き方をされてきて、たとえば、1972年の大河「新・平家物語」(主演・仲代達也)では、清盛と常盤が純粋に互いを愛しいと思い、「ただの男と女として知り合いたかった」とか言っていましたっけ。

本作「平清盛」では、「友の心の支えを我が物にはできない」と断言しておきながら、結局お妾さんにするわけですが、友の妻と子らの今後の生活を保障してやるには、そういう形にするしかないからですよね?ちなみに、生まれたばかりの牛若と常盤の今の状況を、自らと舞子と重ね合わせ、常盤を死なせるこだけはしたくなかったという清盛の心情・・・このあたりも今回の脚本の秀逸なるところ。

頼朝の助命は、清盛の養母池禅尼が、「頼朝は家盛に似ているから殺さないで欲しい」と嘆願したから、という点自体は史実です。「新・平家物語」では、清盛は池禅尼に、「小さくとも虎は虎。いずれは牙をむきましょうぞ」と言って、いったんは退けながら、深い葛藤の末、助命を決めました。本作「平清盛」では、彼女ほどの思慮深い女性が、なぜそのような感情論で、一門の運命を決定づける発言をしたのか、ということについて、少し踏み込んでいます。

頼朝を殺すなら餓死する、とハンスト決行におよんだ池禅尼を、家貞が訪ねるシーンです。

「ご無理なさいますな。禅尼様のお心は、とうに殿に伝わっておりますよ。」

「頼朝どのをみていると家盛を思い出すは、真じゃ。されど、いっそう痛々しいのは清盛。もとより、あのような健気な若者の命を奪いたくもなかろう。」

つまり・・・池禅尼から家盛のことを盾に懇願されたから仕方がなかった、と自分のせいにしなさい、という母の気遣い、大きな愛情ですか?!

しかしですよ・・・彼女は清盛を歴史からかばうことはできなかったのです。結果として清盛の判断は誤りであり、それが一門を滅亡に追いやったのは、事実ですから・・・「髭切」まで持たせて・・・義朝の形見として頼朝にあげたかったのですね。優しい清盛。お前の父の志をも背負い、重き荷をいっぱい抱えてもなお、頂点を目指して必死で生きる俺を見ておれ、というのは、そしていつかこの髭切で刃向かってきてみよ、という意味まで込めていたのでしょうか?しかし、20年を超える時を経てしまった結果、頼朝・義経の実際の標的は、清盛自身ではなくて、彼亡きあとの一門、しかも、あの大バカ息子宗盛のせいで加速度を増してレベルの落ちていた平家になっていましたたからね。「新・平家物語」では、助命に猛反対する弟たち息子たちに対し、自分の目の黒いうちは、平家の屋台骨はびくともさせないが、自分亡きあとはお前らがしっかり守るのだ、と言うのですが・・息子らは、守る自信がないからこそ、猛反対したのではないでしょうか。

話は「平清盛」に戻りますが、池禅尼と家貞の会話のシーンの前に、「断食など続くわけがない」と、清盛以下皆で笑い飛ばし、ただ一人池禅尼の実の子である頼盛だけが、泣き顔でおろおろするところがありましたが、頼朝の命をどうするか、という、ドラマのなかでも最も重要なポイントのひとつに、ああいう軽い色づけは、正直ちょっと違和感を覚えました。まあ、あまりに余裕綽々で平和な今の平氏の雰囲気を強調するため、わざと入れたと思えば、納得です。 

頼朝役の中川大志くん、口元に気品を感じるなあ・・・去年の人気ドラマ「家政婦のミタ」に重要な役で出ていたんですってね。見たことないので全然知らなかった・・・

第28話は、今までにも増して、感動の見どころ満載で、あれもこれも書きたいのですが、もうひとつだけ。。。。

そう、義朝と正清の最期についてです

玉木宏さんがインタビューで「ぼくは今回の脚本に描かれている義朝の死にざまはとても好きですね。 これまでこの作品のなかで描かれてきた義朝の最期としては、とてもしっくりきます。」と言っていたので、一体どんな最期になるのか、大変期待していたのですが。。。。というのは、湯殿に通され、油断していたので、裸のまま3人から襲撃された、という趣旨の『平治物語』の記述が史実であれば、あれほどの武将の最期としてはあまりに悲しいですからね、義朝の源氏の棟梁としての名誉を守るような、雄々しい最期が見たかったので。

義朝は、長田一家が裏切ろうとしているのを、すぐに察知し、正清と東国でともに修行していた際、木登りをしたときのこと(第5話「海賊討伐」)を思い出して、こう言います。

「正清・・・・落ちる時は諸共と言うたは、真か?」 

正清は主君のこの言葉に一瞬ひどく驚くものの、すぐにすべてを悟ります。

生きるも死ぬも、諸共です。二人は、刺し違えて、舞い落ちる雪の中、遂に命果てます。

ああ、、こんな美しい筋書きを考えられる脚本家藤本有紀さんって、素晴らしい方ですね。。。。。

話は尽きませんが、長くなりましたので、今日のところはこのへんで。皆さんの感想もぜひお聞かせくださいね。

あっ!!!これをい言わすれてはいけないっ。

嬉しいお知らせです。「平清盛」サントラ第二弾が、9月19日にリリースされますよーーーーー Eruptionも収録されているとのことです。もちろん、予約しましたっ。

 注1) 「新・平家物語」との比較が面白いので、今後もこの作品のストーリーやセリフに触れますが、ただ、私は3時間の総集編DVDを見て書いているだけですので、実際の放映では前後関係からまた異なる事実もあったかもしれません。この作品を、母と一緒にちょろちょろとリアルタイムで見てはいたのですが。。。 恥ずかしながら、志垣太郎の義経以外はほとんど記憶に残っていないのです・・・。

注2)Tarkusは、以前の記事でも説明したように、ELPのオリジナルのキャラクターですが、Manticoreは、伝説上の怪物で、一般的に知られているものです。Wikiの説明をどうぞ。