水曜日の歴史秘話ヒストリア、よかったですねーーーー!!
私は恥ずかしながら、『平清盛』を見るまでは、平清盛の子や孫がどんな人たちで、どのように生きて死んでいったかなんて、まるで知らなかったのです。一連の源平合戦では、源義経の華々しい活躍ぶりばかり?!が有名ですし、平家の連中は義経にほとんどやられっぱなしで十把一絡げで滅亡したような印象すらずっと持っていました。事実はそうではなくて、平家側も、知盛、そして重衡という勇将を総大将として大変善戦したものの、最終的には、潮流の変化と味方軍の裏切りという不運プラス義経のずる賢い戦法に翻弄されたことで、ついに力尽きて、平家の名を汚さぬ立派な最期を遂げたということを、今回のヒストリアが明確に知らしめてくれました。
瀬戸内海を熟知していた知盛らが具体的にどんな作戦を立て、義経らがどのようにそれに応戦し、奇襲で崩していったのかを、イラストで分かりやすく説明していましたね・・・
とりわけ印象的だったのは・・・
水島の戦いで、皆既日食が起こり、源氏軍は突然空が暗くなったのでパニックになったが、平家側は、公家の教養として天文学の知識ももっていたので、日食のことはちゃんと知っており、冷静に戦えた。Wikipediaによれば、「当時、平氏は公家として暦を作成する仕事を行なっていたことから、平氏は日食が起こることを予測しており、それを戦闘に利用したとの説がある」とのことで、とにかく、平家が頭脳戦で源氏を打ち負かした典型的な場面だったのですね。この戦いの勝利をきっかけに平家は勢力を盛り返し、一気に再上洛!!というほどの機運になっていたそうですが・・・・一の谷で義経軍に惨敗してしまうのです。このとき、重衡が生け捕りにされて、奈良で斬首となります。
(追記: ちなみに、Wikipediaの水島の戦いのページには、この戦の「指揮官」が重衡だったと書いてありますが・・・・この「指揮官」=「総大将」ということなら、これは誤りのようです。ヒストリアでも、それから下記の海上知明さんも、この戦の総大将は知盛だったと言っています。)
義経のずる賢い戦法ということで、一番印象的だったのは、やはり、壇ノ浦で、平家軍の水夫(船の漕ぎ手)を次々に射殺し、船を操縦不能にしたということです。
壇ノ浦でも平家軍は決して諦めていたわけではなく、知盛が、ダミーの御座船(安徳天皇と三種の神器が乗った船)をつくって義経軍を誘き寄せ挟み撃ちにするという作戦を立てたりして、勇敢に戦っていたのですが・・・船の舵取りをやられてしまっては、もう成す術もありません。
「これまで防戦一途に平家の将兵目がけて飛んできていた敵の矢が、にわかに舟を動かしている舵取り、漕手に飛んでき始めたのだ。彼らは船の構造上外側にいるうえ、操船に懸命だから敵を見ていないし防具もない。当然のことながら、受傷率は武者よりはるかに高い。知盛はこの状況の変化に驚いたが、成す術がない。」(プレジデント「平清盛 この男日本を変える」p.91「無念の敗戦壇ノ浦」より。文は、武岡淳彦氏)
こんなの、やっぱり卑怯でしょう!と私は言いたいですが、義経ファンにいわせれば、それこそ戦はスポーツじゃあるまいし勝つためには手段を選ばす。卑怯うんぬんは、敗者の負け惜しみにすぎない、ということになるのでしょうね。
『新・平家物語』では、義経が、子供のころから尊大で横着で、怖いもの知らずで、直情的で、乱暴者で、目立ちたがりで・・・・いわゆる「不良」のようなイメージに描かれているので、神木隆之介くんの上品でどこかおっとりしたお坊ちゃん義経は綺麗すぎるような感じもしますが・・・・今後3回でいきなり荒武者に変身するのかしらん??
YouTubを平知盛で検索していて、「日本で唯一の海軍戦略家・平知盛」という興味深い動画をみつけました(こちら)。兵法書「孫子」の研究などに携っている評論家海上知明(うなかみともあき)氏という方のお話ですが、義経がたまたま勝ったから、義経が知盛より優秀だったというのは、単なる結果論であり、義経のほうがむしろ愚将だと言い放っています。義経研究の多さに比べて、知盛はあまりに研究されておらず、理解されていないだけだと。いいお話ですね!!!『平清盛』をきっかけに、知盛研究が進むことを期待しています。
「見るべき程のものは見つ」という知盛の最期の言葉。私は今までこれは、母、甥、妹らの入水と、兄親子の生け捕りという平家最期の光景を見届けたことのみを言っていると思っていたのですが・・・・今回のヒストリアで、この言葉を「この世で見なければならないものは全て見てしまった。」と解釈していたので、なるほど、もっと大きな意味で言っていたのだなとあらためて胸に響きました。すなわち、生涯を振り返っていたのですね・・・セレブ中のセレブのプリンスとして生まれ、栄華を謳歌して天国を見て、そしてこうして今は、落ちぶれた一門を背負って地獄を見た。目の前で母、妹、幼い甥が自死しようとするのを止めることも許されない自分自身を見た。
重盛がずっと生きていたなら・・・いやせめて重衡が一の谷で捕えられなかったら・・・・知盛が一人でこれほどのものを背負うこともなかったかもしれませんが、これも彼の定めだったのです。
命を惜しまず名を惜しんだこの名将については、後日さらに語りたいと思います。ヒストリアの感想ということで、とりあえずここまで。
5日の放送を見逃した方は、ぜひ来週12日16:05からの再放送をご覧ください。
『平清盛』第46回については、47回と合わせて書くつもりです。ヒストリアの感想がすっかり長くなってしまったので・・・・