波佐見の狆

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「耳なし芳一」を考える(前編)

2013-09-15 10:26:26 | 平清盛ほか歴史関連

旅行記は、いったん終了としたのですが、下関の番外編ということで、もう少し語りたいことがあります。

『耳なし芳一』のことです。

ギリシャ人とアイルランド人とのハーフで明治29年に日本に帰化して小泉八雲となったラフカディオ・ハーンが、英語で書いたもので、正式には、'The Story of Mimi-Nashi-Hoichi' 『耳なし芳一のはなし』といいます。『雪おんな』」『ろくろ首』などのお馴染みの幽霊話とともに、明治37年に出版された『怪談』('Kwaidan')という怪奇文学集に納められたもので、われわれが小さいころから知っているのは、その日本語訳です。戸川明三という方の翻訳が最初だったようです。こちらで全訳が読めます。英語原文はこちら。YouTubeで朗読も聞けまして、日本語はこちら。英語はこちら(きれいなアメリカンです~)。

善良な盲目の琵琶法師にとりつき、耳を引きちぎる、というきわめて残忍な仕打ちをする平家の亡霊・・・このお話のおかげで、私は長いこと、平家に対して邪悪で暗いという相当ネガティブなイメージを持っていまして、自分を含めて大方の日本人によからぬ平家像をハーンが植え付けたと思っていました。あんまりじゃないですか、ハーンさん、あなたは源氏ファンですかっ!・・・なんて。

しかし、実際に下関を訪れ、平家落人の末裔であるNさんと語り合い、またいろいろと詳しく調べていくうちに、考えが変わってきて、このお話の美しさを改めて感じるようになりました。そのあたりについて2回に分けて書いてみようと思います。

                                                  

もしこのお話が、芳一は、平家の亡霊に連れられて夜な夜な、平家のお墓の前で平家物語を演じておりましたとさ、だけで終わっていたら...果たしてこれほど日本人の心に深く残る話になったでしょうか?

「このまま亡霊の言いなりになっていたら、きっとお前は八つ裂きにされる」と心配する住職の指示で、芳一の体中に書きつけられる般若心経・・・書き忘れられた二つの青白い耳が、暗闇に浮かび上がり、亡霊の突き刺さるような視線が注がれる。そして、鉄のような大きく冷たい指によって、耳は引きちぎられる・・・・と、強烈なインパクトのあるストーリーであったからこそ、これほどまでに怨念を抱いて彷徨わねばならないとは、いったい何があったのかと、平家の最期に深く思いを馳せ、彼等の無念を後世にいつまでも語り継ぐことができるのではないでしょうか。

ハーンは、もともと、孤独な生い立ちである上に、イギリスでの寄宿舎生活中に左目を失明したことで、感覚的にも非常に繊細になり、普通の人間が目に見えないような神秘的なものに没頭するようになりました。

妻となった節子(セツ)が、日本各地に伝わる民話、伝説などの中から選りすぐってハーンに聞かせた「幽霊話」は、とりわけ彼を夢中にしたのです。セツさんは、夫を喜ばせようと、いろいろとネタ探しをして、自分のものとして大変上手に語り聞かせたのですね。ハーンはそれにさらに独自の解釈を加え、ふたりでいろいろと話し合って細部を編み上げながら、詩情あふれる優れた英文学作品に創り上げて世界に紹介したのでした。

なかでも、平家物語の名手であった盲目の琵琶法師の話は、自身片目が盲目であり、常に全盲となる不安と闘っていたハーンを強く惹きつけました。盲人特有の鋭く生き生きとした聴覚表現で話を純化させ、怪談集の中でも彼が一番力を入れた作品になりました。そして・・・心優しく、常に「弱い者」に寄りっていたハーンですから、負け組となって滅びながらも誇りを失わなかった平家の無念を、日本人に決して忘れて欲しくないというメッセージを発信したかったのだと思うのです。注1)

ハーンのこの、視覚障害ゆえに聴覚表現が美しく研ぎ澄まされていた、という点については、文学における障害者像という観点から論じた素晴らしい論文があります。島根大学の銭本健二という先生の論文で、短いものですから、ぜひお読みください(こちら)。

この論文にも書いてあることですが、セツさんの回想録「思ひ出の記」によりますと・・・耳なし芳一を執筆しているとき、ハーンは日が暮れてもランプもつけず没頭しているので、彼女が隣の部屋から「芳一」と呼んでみると、「はい、私は盲目です、あなたはどなたでございますか」と真剣に答えたり、書斎の竹薮で、夜、笹の葉ずれがサラサラと聞こえると「あれ、平家が亡びて行きます」とか、風の音を聞いて「壇の浦の波の音です」とか、真面目に耳をすましていたのだそうです。

夫婦であちこちを旅行していたようですので、耳なし芳一をまとめるにあたって、下関にも立ち寄り、ゆかりの地を訪れ、平家末裔の人々から話を聞いたのは間違いありませんが、笹の葉ずれの音に平家の人々の嘆きを想い、風の音に壇ノ浦の激流を感じるなんて、ハーンがいかに平家を理解し、平家人たちの最期に優しい思いを寄せていたかがわかりますね・・・・。

ちなみに、ハーンが来日してから没するまでを描いたテレビドラマが、NHKでずいぶん昔に放送されたのをご存じでしょうか。「日本の面影」というタイトルで、1984年(昭和59年)放送でしたが、20代半ばだった私はリアルタイムで釘づけになって見ました。ハーン&セツは、ジョージ・チャキリス&檀ふみのコンビでしたが、この2人が本当にもう素朴で素敵で、決して忘れられないドラマです。残念ながら、もうその映像はNHKに残っていないのですが、ありがたいことに、ごく一部ではありますがYouTubeにちゃんとアップされていて、セツさんが耳なし芳一を語り聞かせる場面を見ることができます(アップしてくれた人に賞状をあげたい!)。

迎えの武者(長塚京三さんですよ~)が、芳一の手を引いて、大きなお屋敷(と芳一は思っている)を入るとき、「開門!」と言いますが、「門を開け」ではいまいち凄味がないので、ふたりでいろいろ考えて「開門」とした、ということも、セツさんが手記中で語っていました。しかも、ローマ字で、Kaimon!ではなく、wを入れてKwaimon!とすることで、さらに重みをつけ、盲目の主人公が聴覚で感じている恐怖感を出したわけで、ハーンがいかに細部に至るまで、日本語を繊細に表現していたかが解りますね。注2)  

ついでに、「雪おんな」を語る場面もどうぞ。美濃吉の役は、田中健一さんですね~

こちらは、ジョージ・チャキリスさんのブログです。檀ふみさんとの温かい交流など、撮影時の思い出を語ってくれています。「ウエストサイドストリー」で有名なアメリカ人名優さんですが、彼もご両親がギリシャ系とのこと。

前編は、このへんで。

後編では、赤間神宮と芳一について書きますね。紙芝居もありますよ~~~

注1) 『耳なし芳一』の原典となったのは、江戸時代中期に出版された一夕散人(いっせきさんじん)の『臥遊奇談』(がゆうきだん)という怪談本に納められている『琵琶秘曲泣幽霊』(びわのひきょくゆうれいをなかしむ)です。耳をちぎられるくだりまで書いてあるそうですが、ただし全体的に短いので、いろいろと苦心してあれだけの長さに創り上げたと、セツさんの回想録にあります。

こちらをクリックすると、本の全体を手に取るように見ることができます。

注2)ハーンの怪談集のタイトルもKaidanではなくてKwaidanですね。なお、wが入るのは、出雲の方言の影響もあったとも言われているそうです。 このように、英文の中に、ローマ字書きの日本語がぽつぽつ入っているのがまたいいのです。

★ 追記です・・すみません、 開門!にもwが入っているというのは、私の大変な記憶違いだったようで、ちょっとそのへんのあたりから後編書くつもりです。