慶応年間以降における奥州街道
国道113号線は、江戸時代に遡ると、奥州と羽州を結ぶ街道の一つだったのです
その仙台領内に七つの宿場があったことから、
「山中通小坂越」(俗称・山中七ヶ宿街道)の名が付きました。
当時は、陸奥・出羽13大名の参勤交代や城米(幕府米)輸送の要路として、
また、出羽三山詣での庶民の往来で賑わいました。
(七ケ宿公式HPより)
国道の所々に ○○宿の看板がたっていました
薬湯温泉もありました 入りたかったけど・・
<材木岩> 国の天然記念物
溶岩が噴出した時に三角や六角の柱上のまま急速に固まり、
まるで、材木が並んだような形に成ったところから材木岩と。
この前の 宮城県沖地震の時崩れた痕
<材木岩氷室>
材木岩公園の近くに復元された材木岩氷室が2つありました
近くのおそばやのおじさんが 「涼しいから入ってみるといいよ」
風穴から噴出す天然の冷風を岩で囲い、その前に小屋を建てたと言う感じ。
明治時代の小原地区の養蚕・製糸業は、この氷室を利用して行われていたそうです
小屋の前の温度計は27℃ 小屋の中は15℃でした
クリは あまりの涼しさに まったりしています
石の間から冷たい風が吹き込んで
外気音との差があるせいか 屋根には結露ができていました。
upが遅くなったため あまり涼しくて気持ちいい~! といってもピントこなくなったなぁ
(注 これは9月3日に行った時のものです)
奥州街道は緑が綺麗ですが昔は追いはぎがでてもおかしくないようなところですね。
寂しすぎてこわいような気がします。
すごい すごい!
奥州街道についてあまり知りませんでした。
説明を見て、へー!の連発でした。
薬湯温泉は私も気になりましたねえ。
クリちゃん、気持ちよさそうですねー。牧を連れていってみたいです。
奥州街道は、これが街道?って感じです。昔はにぎわっていたんでしょうかね?
迫力満点でした
日本にもこうしてみると 見所沢山あるんですね
>昔は追いはぎがでてもおかしくないようなところですね。
ほんとにそうですよね
昔の人は命がけで歩いたんでしょうかね
その頃の街道が残っているのもすごいと思いました。
奥州街道 私も何も知りませんでした
こうして行ってみて またひとつ勉強です
薬湯温泉 チョコさんも気になります?
私もとっても気になっています
雪が降る前に入りに行きたいな~と思っていますが・・
私の中で この地にだけは転勤で行きたくない所だったのですが 温泉も観光も果物も楽しめる物があって しっかり遊んでいます
>昔はにぎわっていたんでしょうかね?
殿様が通った道だとか 往来はあったみたいですよ
それだけに七つもの宿場があったんでしょうね
かえって今の方がさみしいかも
牧ちゃんもきっと喜んで 石の上にペタッてするかもですね
夏はお勧めですよ 涼しくて
とても同年代とは思えない。
私は、いつも家にいてのんびり近くを散歩することばかりです。
ホントはあちこち出かけたいですけど、主人が渋滞とか、人の混雑を嫌がるので、結局家にいます。
主人が一緒に行ってくれないと、私一人では道が不安なんです。運転も不安(笑)
材木岩
圧巻ですね。
そそり立つ!って感じです。
ずっとそこに住んでいると思えば いつでも行けると思うから 急いで行く必要がないからでしょうね
でもさすが 関東に居た時は出かける回数少なかったですよ
出かけるとなると朝早く出かけていましたね
が 地方に来てもその癖が抜けない主人 田舎の出足は遅いんですけどね
いつか 「早いですね~」と言われた事も