この近くまでは行くけどなかなか行けなかった 昭和新山
洞爺湖方面からも 室蘭からも見える昭和新山
洞爺湖SAから撮影10/28
やっと 行く事が出来ました。(笑)
もう 随分前に(10年以上)一度行った事がありますが良く覚えていない
ほんの数年前に行った所でも主人が「ここ行ったよね」とテレビ見ながら話す事がありますが
「え?行ったっけ!」
「行ったよ~ こんなんで こうして ああして 写真があるじゃん」と話しますが
私は「う~ん 行った様な気もするけど・・良く覚えてないな~」
「これだもん」
連れて行きがいのないおばさんです。
昭和新山は 行った事はちゃんと覚えていますよ
昭和新山 標高398m 今でも噴煙がみえます。
このあたり一帯は、かつてはのどかな麦畑でした
昭和18年12月24日 激しい地震がはじまり 多い時には身体に感じるものだけでも
1日200回をこえ、翌年19年4月には元の地面より50メートルも隆起
さらに昭和19年 6月23日、盛り上がった畑に噴火がはじまり
7個の噴火口を作りながら4ヶ月も爆発を繰り返しました。
その後も 畑 民家(フカバ)鉄道共々隆起が続き標高300メートルの台地を作りました。
11月になって 噴火口群の中央から地中で固まった溶岩が推しあがり始め
翌20年9月末に標高407メートルに達し ようやくその活動を休止した。
今なお噴気をあげるピラミット型レンガ色の部分が溶岩塔で、このタイプ火山を
ベロニーテ型火山といい、世界的にも珍しい形式の火山。
山にむかってなにやら観測をされているこの方は。
昭和新山が誕生した頃は第二次世界大戦の末期で、軍部はこれを機密事項にし
火山学者も十分な調査、観測ができませんでした。
ところが、地元の郵便局長三松正夫さんはこの火山誕生の詳細な観測記録を残しました。
家や農場を失った住民の生活の支援のために、民家から山になってしまった土地の買い取りを行った。
このため昭和新山は三松家の私有地である。
昭和新山の反対側にそびえる有珠山
こちらは歩いても ロープウエイでも登れます。
もちろんわん子も ケージ等に入れれば乗れるようです。
私たちは・・。主人が春になったら歩いて登ろう!と。
ゲッ!歩いてかい・・ わたしゃ 歩くより
帰り道 壮瞥(そうべつ)でりんごを買ってきました。
昭和新山も壮瞥町なんですね。
夏頃にぶどうを買った同じお店に入ってみました。
福島のフルーツ街道のように たくさんの直売所が国道沿いに並んでいました。
レッドゴールド
左がレッドゴールド 右は青森産のふじ
レッドゴールドは 真っ赤で小振りです。
蜜もしっかり入っています。
5キロ1000円で お買得品を買いました。
毎朝 冷蔵庫にある キャベツや人参 セロリなど入れて野菜ジュースにして飲んでいます。