・一幕一場
ヒースの荒野、雷鳴が轟き、稲妻が走る中、3人の魔女が現れて、マクベスを待ち伏せると約束し消えていく。
Witches: Fair is foul, and foul is fair: Hover through the fog and filthy air. (魔女たち:綺麗は穢い、穢いは綺麗。 飛んで行こう、霧の中、汚れた空をかいくぐり)
「綺麗は穢い、穢いは綺麗」には、2つの意味がある。
1.魔女たちの価値観は世間一般とは正反対であるということで、人々にとっての綺麗は、魔女には穢く、魔女にとって綺麗は、人々には穢いのだ。
2.物事には2面性があるということで、一般に「綺麗」といわれていても、見方を変えれば、「穢い」ということもあるし、その逆も然りなのだ。
上記の意味するところは、魔女たちは、人間にとって価値観が逆の悪意ある存在であり、魔女たちの悪の世界(人々から見た場合)に対し、善の世界であるはずの人々の世界に、その悪が入り込んでいて、2つの世界の境界線は曖昧であるということを示唆している。
つまり我々の日常の影には、魔女に象徴される悪意が存在し、それが日常に影のように入り込んでおり、日が当たるところに影が出来るように、安易に取り除くことが出来ないのだ。
魔女たちは、主人公マクベスの野心の原動力になる。
マクベスは、この無法な超自然的な存在に翻弄され、行動することで、劇のプロットが展開するのだ。
1.魔女たちの価値観は世間一般とは正反対であるということで、人々にとっての綺麗は、魔女には穢く、魔女にとって綺麗は、人々には穢いのだ。
2.物事には2面性があるということで、一般に「綺麗」といわれていても、見方を変えれば、「穢い」ということもあるし、その逆も然りなのだ。
上記の意味するところは、魔女たちは、人間にとって価値観が逆の悪意ある存在であり、魔女たちの悪の世界(人々から見た場合)に対し、善の世界であるはずの人々の世界に、その悪が入り込んでいて、2つの世界の境界線は曖昧であるということを示唆している。
つまり我々の日常の影には、魔女に象徴される悪意が存在し、それが日常に影のように入り込んでおり、日が当たるところに影が出来るように、安易に取り除くことが出来ないのだ。
魔女たちは、主人公マクベスの野心の原動力になる。
マクベスは、この無法な超自然的な存在に翻弄され、行動することで、劇のプロットが展開するのだ。
・一幕二場
フォレス付近の王の陣営。
ここは、マクベスを取巻く環境である、劇中のスコットランドについて語られる。
スコットランドは、暴力と裏切りに満ちた動乱にあり、国王ダンカンの臣下であったマクドワルドが反乱し、コーダーが密かに裏切って、ノルウェイ人の侵入を許した。
ダンカンの国王として地位は、争闘の中で揺らぎ、今にも崩れそうであるが、彼は手の出しようがなく、ただ兵からの報告を聞くのみであった。
戦況は、一進一退を繰り広げたが、マクベスとバンクォーの目覚しい活躍により、ノルウェイ軍を駆逐してスコットランドが勝利を収めた。
ここでは、時の英雄である勇猛果敢なマクベスと、おとなしいだけのダンカンを対比させているのだ。