米国議会 (U.S. Congress) の重鎮、エドワード・ケネディ(Edward M. Kennedy/マサチューセッツ州選出・民主党上院議員 Massachusetts/Democrat)が77才で亡くなったと米国の全メディアが一斉にトップニュースで伝えた。47年間ちかく上院議員 (senator) を務めた米政治の大物である。
この上院議員のことはかなり良く覚えていて、今から20数年前に彼のブレーン(brain) であるスタッフを10名引き連れて京都にやってきた。宿であるスリーシスターズイン別館での記者会見 (press conference) と、同志社大学・相国寺の裏手にあった京都アメリカンセンターでの要職報道関係者との懇談・意見交換 (media briefing & meeting for the exchange of opinions) の場の2つを設定するのが仕事。12月末で雪が降っていてかなり寒かったし、暮れだったので皆忙しい。大変な状況ではあったが何とか無事こなした。
米政府の職員が「身内」にサインをせがむのはご法度。大勢の前で色紙に堂々と1人だけサイン (autograph) をしてもらった。ケネディ議員は嫌な顔もせず、「テッド(Ted/愛称)・ケネディ」と書いてくれた。皆は、特に上司達の米外交官 (diplomat) はそれを見て唖然としていたが、もらった者勝ち。後から彼らもほしがっていた。
たまたまそこにアメリカンセンターを訪れていた米国人留学生 (foreign student) がいた。議員はこの大学生の出身地が同じマサチューセッツ州と分かると、地元に帰ったら「君の両親 (parents) に元気でやっていると伝えてあげる」といって名前を聞いていた。この学生によると後日、ケネディ議員が本当にこの両親に直接電話をかけてきてビックリしたと言っていた。さすが大物議員である。気配りがすごい。また、「一票」も無駄にしない!
余談だがケネディ家と言えば有名なのが、1963年にテキサス州で暗殺 (assassination) された議員の兄ジョン・F・ケネディ大統領(John F. Kennedy)、同じく兄で1968年に暗殺された大統領候補・上院議員のロバート・ケネディ司法長官(Robert Kennedy)。ここロスアンゼルスで大学生をしていた時、愛車のムスタングでウイルシャー通り(Wilshire Boulevard) を運転していたら、通りのアンバセダーホテル (The Ambassador Hotel) に数十台のパトカーが警告ランプとサイレンを鳴らしあわただしくしていた。何事かと思って数分間車を止めて状況を見ていたが何が起こったのか全くわからない。夜の臨時ニュースでロバート暗殺が分かって驚いた。野次馬 (onlookers) がほとんどいなかったので、もう少し現場に長くいればよかった!
「ケネディ家」の歴史 (history) を調べると、この3兄弟のほか映画のストーリーになるような、かなり奇妙 (strange) で悲劇的な (tragic) 事柄がありとあらゆる程でてくる。アメリカ歴史の好きな方に一読を勧める。#YS
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます