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オバマ米国大統領 (President Barack Obama) が新しい駐日アメリカ大使(the U.S. ambassador to Japan) にキャロライン・ケネディ(Caroline Bouvier Kennedy) 女史を選んだ。アメリカで最も有名な人物の1人である女史は、言わずと知れた第35大統領ジョン・F・ケネディ (John Fitzgerald "Jack" Kennedy)、ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Lee Bouvier Kennedy) 夫妻の長女である。現在55歳の3人の子持ちだが、1963年父であるケネディ大統領がテキサス州ダラス市(Dallas, Texas) で暗殺(assassination) された時は、6歳年下の弟の JFKジュニア (John Fitzgerald "John-John" Kennedy, Jr.) (当時3歳)と共に悲しく痛ましいながら精悍(せいかん)な姿が全世界のニュースに流れた。(後に長男ジョンは1999年、自分が操縦する飛行機事故で38歳の若さで亡くなった。)
現在もオバマ大統領の絶大的な支持者として知られているのだが、それよりずうっと以前に彼女を大変有名にした意外なことがあった。それは彼女が11歳の時、1960年代から活躍していた偉大な歌手、ニール・ダイアモンド(Neil Diamond) が1969年、作詞・作曲して歌った『スウィート・キャロライン(Sweet Caroline)』が空前の大ヒットとなった。勿論、それはキャロライン・ケネディをモチーフにしたものだった。この軽快な曲は今でも全米のいたる所できかれるし、特にマサチューセッツ州ボストン市 (Boston, Massachusetts) では野球チームのボストン・レッドソックス(Boston Red Sox) が毎試合の8回 (the eighth inning)表のあとに必ずこの曲を流すことで有名で、他のスポーツ・イベントでも頻繁に演奏されている。
ケネディ家といえば誰もが知っている3兄弟。ジョン・F・ケネディ、ロバート・F・ケネディ(Robert Francis "Bobby" Kennedy) とテッド・ケネディ(Edward Moore "Ted" Kennedy)。小生のブログに以前書いたが、「ロバート」は1968年司法長官をしているとき民主党の大統領候補選でカリフォルニア州ロサンゼルス市 (Los Angeles, California) を遊説中、兄と同様暗殺された。「テッド」は長年、上院議員として名声を博し大統領候補として何回も名前が上がったが車を運転中、あやまって川に転落し同乗の女性を死なせたことが災いし、生涯大統領にはなれなかった。
かなり昔の話だが、テッド・ケネディ上院議員が年の瀬押し詰まった京都を訪問した際、同志社大学の近くにあった領事館事務所と宿泊先のスリー・シスターズ・インの2ヶ所で記者会見・記者懇談会を取り仕切ったことを思い出した。氏は、雪の降る古都に似合った大変物静かな知性あふれる政治家だった。
米国政府の大使館・総領事館・領事館・連絡事務所は世界に約300ヶ所ある。(日本には東京、大阪、那覇、札幌、名古屋、福岡の6ヵ所。)大使館の大使は大統領に代わってその国のトップと交渉・パイプ役をする重要なポストである。したがって先進諸国(特に英国、フランス、日本など)に赴任する大使の多くは通常、大統領の側近・政策理解者、大統領選の貢献者、大口の選挙資金寄与者がなる。
自分が仕えた大使は(年代順):
⑨■J ・トーマス・シーファー(John Thomas Schieffer 2005-2009) 大統領ジョージ・W ・ブッシュとは大親友で、以前 Major League Baseball のテキサス・レンジャーズ(Texas Rangers) を共同球団経営した。[氏には自分を色々と面倒をみてくれたので今でも大変感謝している。]
⑧■ハワード・H ・ベーカー2世(Howard Henry Baker, Jr. 2001-2005) ウォーターゲート事件でニクソン大統領を辞任に追い込んで名声を得た。大使になる前は大統領ロナルド・レーガンの主席補佐官(White House Chief of Staff) だった。[非常に気さくな人で温厚な態度で接してくれた。]
⑦■トーマス・S ・フォーリー(Thomas Stephen Foley 1997-2001) 長年、米議会の下院議長をしていた。
⑥■ウォルター・F ・モンデール(Walter Frederick Mondale 1993-1996) 大統領ジミー・カーターと共に副大統領として活躍。 後に日本に赴任。
⑤■マイケル・H ・アマコスト(Michael Hayden Armacost 1989-1993) 国務省入りして外交官一筋。国防省次官補、国務省次官を歴任。日本語が堪能。日本では「ミスター外圧」とよばれて有名だった。
④■マイケル・J ・マンスフィールド(Michael Joseph Mansfield 1977-1988) 上院民主党議員の超大物。
③■ジェームズ・D ・ホジソン(James Day Hodgson 1974-1977) ニクソン政権で労働長官。
②■ロバート・S ・インガソル(Robert Stephen Ingersoll 1972-1973) 米実業家で、後に国務省副長官。
①■アーミン・H ・マイヤー(Armin Henry Meyer 1969-1972) 外交官一筋。
キャロライン・ケネディ女史は弁護士で資産273億円の大富豪である。政治家としての経験がなく大使としての手腕が疑問視されているが、彼女の知名度、家系の背景、温厚な性格をもってすれば、そんな不安は払拭される。彼女の下で、これからの日米関係のますますの発展を期待する。#YS
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オバマ米国大統領 (President Barack Obama) が新しい駐日アメリカ大使(the U.S. ambassador to Japan) にキャロライン・ケネディ(Caroline Bouvier Kennedy) 女史を選んだ。アメリカで最も有名な人物の1人である女史は、言わずと知れた第35大統領ジョン・F・ケネディ (John Fitzgerald "Jack" Kennedy)、ジャクリーン・ケネディ(Jacqueline Lee Bouvier Kennedy) 夫妻の長女である。現在55歳の3人の子持ちだが、1963年父であるケネディ大統領がテキサス州ダラス市(Dallas, Texas) で暗殺(assassination) された時は、6歳年下の弟の JFKジュニア (John Fitzgerald "John-John" Kennedy, Jr.) (当時3歳)と共に悲しく痛ましいながら精悍(せいかん)な姿が全世界のニュースに流れた。(後に長男ジョンは1999年、自分が操縦する飛行機事故で38歳の若さで亡くなった。)
現在もオバマ大統領の絶大的な支持者として知られているのだが、それよりずうっと以前に彼女を大変有名にした意外なことがあった。それは彼女が11歳の時、1960年代から活躍していた偉大な歌手、ニール・ダイアモンド(Neil Diamond) が1969年、作詞・作曲して歌った『スウィート・キャロライン(Sweet Caroline)』が空前の大ヒットとなった。勿論、それはキャロライン・ケネディをモチーフにしたものだった。この軽快な曲は今でも全米のいたる所できかれるし、特にマサチューセッツ州ボストン市 (Boston, Massachusetts) では野球チームのボストン・レッドソックス(Boston Red Sox) が毎試合の8回 (the eighth inning)表のあとに必ずこの曲を流すことで有名で、他のスポーツ・イベントでも頻繁に演奏されている。
ケネディ家といえば誰もが知っている3兄弟。ジョン・F・ケネディ、ロバート・F・ケネディ(Robert Francis "Bobby" Kennedy) とテッド・ケネディ(Edward Moore "Ted" Kennedy)。小生のブログに以前書いたが、「ロバート」は1968年司法長官をしているとき民主党の大統領候補選でカリフォルニア州ロサンゼルス市 (Los Angeles, California) を遊説中、兄と同様暗殺された。「テッド」は長年、上院議員として名声を博し大統領候補として何回も名前が上がったが車を運転中、あやまって川に転落し同乗の女性を死なせたことが災いし、生涯大統領にはなれなかった。
かなり昔の話だが、テッド・ケネディ上院議員が年の瀬押し詰まった京都を訪問した際、同志社大学の近くにあった領事館事務所と宿泊先のスリー・シスターズ・インの2ヶ所で記者会見・記者懇談会を取り仕切ったことを思い出した。氏は、雪の降る古都に似合った大変物静かな知性あふれる政治家だった。
米国政府の大使館・総領事館・領事館・連絡事務所は世界に約300ヶ所ある。(日本には東京、大阪、那覇、札幌、名古屋、福岡の6ヵ所。)大使館の大使は大統領に代わってその国のトップと交渉・パイプ役をする重要なポストである。したがって先進諸国(特に英国、フランス、日本など)に赴任する大使の多くは通常、大統領の側近・政策理解者、大統領選の貢献者、大口の選挙資金寄与者がなる。
自分が仕えた大使は(年代順):
⑨■J ・トーマス・シーファー(John Thomas Schieffer 2005-2009) 大統領ジョージ・W ・ブッシュとは大親友で、以前 Major League Baseball のテキサス・レンジャーズ(Texas Rangers) を共同球団経営した。[氏には自分を色々と面倒をみてくれたので今でも大変感謝している。]
⑧■ハワード・H ・ベーカー2世(Howard Henry Baker, Jr. 2001-2005) ウォーターゲート事件でニクソン大統領を辞任に追い込んで名声を得た。大使になる前は大統領ロナルド・レーガンの主席補佐官(White House Chief of Staff) だった。[非常に気さくな人で温厚な態度で接してくれた。]
⑦■トーマス・S ・フォーリー(Thomas Stephen Foley 1997-2001) 長年、米議会の下院議長をしていた。
⑥■ウォルター・F ・モンデール(Walter Frederick Mondale 1993-1996) 大統領ジミー・カーターと共に副大統領として活躍。 後に日本に赴任。
⑤■マイケル・H ・アマコスト(Michael Hayden Armacost 1989-1993) 国務省入りして外交官一筋。国防省次官補、国務省次官を歴任。日本語が堪能。日本では「ミスター外圧」とよばれて有名だった。
④■マイケル・J ・マンスフィールド(Michael Joseph Mansfield 1977-1988) 上院民主党議員の超大物。
③■ジェームズ・D ・ホジソン(James Day Hodgson 1974-1977) ニクソン政権で労働長官。
②■ロバート・S ・インガソル(Robert Stephen Ingersoll 1972-1973) 米実業家で、後に国務省副長官。
①■アーミン・H ・マイヤー(Armin Henry Meyer 1969-1972) 外交官一筋。
キャロライン・ケネディ女史は弁護士で資産273億円の大富豪である。政治家としての経験がなく大使としての手腕が疑問視されているが、彼女の知名度、家系の背景、温厚な性格をもってすれば、そんな不安は払拭される。彼女の下で、これからの日米関係のますますの発展を期待する。#YS
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