誰も書かない「ハリウッド・ハワイ・米国」の本音トーク

Information about Hollywood, Hawaii and the U.S. 

米国で最も有名な日本人 : クロサワ・ミフネ(黒澤明&三船敏郎)/ The Most Famous Japanese in The US: Kurosawa and Mifune

2011-11-07 | 米国事情
★★☆ ★★ ★☆☆ ★★






「現在、米国で最も有名な日本人は?」 世界中の多種多様の人種・文化から成りたっている人口3億3千万人の国でこの質問は酷である。スポーツの世界で言ったら野球のイチローかもしれない。ただ野球も米国の最も盛んなスポーツの中でアメリカン・フットボール、バスケットボールに次ぐ第3番目の位置。そうなると、やはりアメリカの文化に根強く浸透しているのは映画なので、映画スターから選ぶ必要がある。過去、数多くの日本人・日系アメリカ人がハリウッド映画に出演しているが、本数が多いのが米国に長く在住していた早川雪洲(Sessue Hayakawa 1889-1973)、マコ(Mako Iwamatsu 1933-2006)、ジェームズ繁田(James Shigeta 1933-2014)、ナンシー梅木(Miyoshi Umeki 1929-2007/1957年映画『サヨナラ』で米アカデミー助演女優賞を受賞) らがいる。残念ながら最近の渡辺謙、真田広之、菊地凛子の知名度はイマイチ。そうなるとアカデミー賞を含む数多くの映画賞を外国で受賞し、日本映画を世界的に知らしめた監督・黒澤明(1910-1998) と俳優・三船敏郎(1920-1997) のコンビと言う事になる。

三船敏郎*三船プロダクション http://www.mifuneproductions.co.jp/

俳優・三船氏との出会い
1970年留学から日本に帰国し、就職先を見つけるため数社の新聞社とテレビ局に電話でコンタクトした。しかし卒業校が米国ということですべて断られた。東京6大学の特定の3校を出ていないと採らないそうだ。そんな困っている中で米国で有名な三船氏の名前が浮かんだ。全く映画関係者にコネが無かったが、無謀にも電話帳で「三船」の番号を調べた。「敏郎」の名は無かったが「三船プロダクション」を見つけて電話をしてみた。非常にラッキーにも電話を取り次いでくれた人から三船氏が会ってくれるといわれ、世田谷の成城にあるプロダクションに早速出向いた。事務所の建物は当時プレハブだったが撮影所のスタジオ・セットは広大な2千坪の敷地内にあった。氏は撮影の合間だったのでサムライ姿でズラをかぶって社長室にいた。わが経歴書を見てすんなり「明日から来なさい。」と言ってくれた。その間、15分くらいだったと思う。次の日から助監督として働けることになった。小生の人生を変えてくれた最大の恩人の1人である。

ビジネスマンとしての三船氏
それは石原裕次郎との共演映画『黒部の太陽』(1968年) の大ヒット、『風林火山』(1969年) の大作、仏アラン・ドロン(Alain Delon)と米チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson)との共演映画『レッド・サン(Red Sun) 』(1971年) 撮影直後のことだった。石原プロ(代表:映画俳優・石原裕次郎)、黒澤プロ(代表:映画監督・黒澤明)、勝新プロ(代表:映画俳優・勝新太郎)などが財政難にあった頃で、氏のところに各プロの代表がヘルプを求めてきたのも無理もない。ハリウッド映画出演のギャラは破格であると聞いてはいたが、米国のテレンス・ヤング(Terence Young)監督からの手紙を翻訳していて1本2億円のオファにはさすが度肝を抜かれた思いだった。(当時のサラリーマンの平均月給は10万円前後。)又、テレビではサッポロビールのCMに出たり、TVシリーズ番組『荒野の素浪人』(坂上次郎、大出俊との共演)などに積極的に取り組んだ。社内外やスタッフの間で三船敏郎氏は「三船さん」と呼ばれていたが、自分だけは尊敬して「社長」と呼んでいたので、氏にはかなり好かれたようである。YS#

★☆★ ★★ ☆☆★ ★★

Comment    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 米国の食事 と グアム旅行... | TOP | アメリカ海軍第7艦隊 / Th... »
最新の画像もっと見る

post a comment

Recent Entries | 米国事情