






[米国事情]
人種差別を公に堂々と問題視する国は多分アメリカだけであろう。それだけ mature (大人)な社会になっているのは素晴らしいことである。何かにつけ事件、事故が起こるたびに人種からの分析がなされているような気がしてならない。偏見かもしれない。
テレビ、あるいは新聞紙上で公に個人名で意見の対立や、かなり厳しい批判が交わされる割には「人種」にはかなり気を使っている。それもその筈、この国は長い間、人種差別の葛藤があったし、これからも永遠の問題として続いてゆくだろう。
ウェスタン映画でお馴染みのインディアン(Indian) がアメリカン・インディアン(American Indian)、そしてネイティブ・アメリカン(Native-American) に。また、黒人がニグロ(Negro) からカラード(Colored) へ、そしてブラック(Black)になり、今はアフリカン・アメリカン(African-American)。単語が結構長くなってきているから近い将来、簡単な省略形を使って表すようになるかもしれない。
大統領や有名な俳優・コメディアンが自分の人種について悪く言うのは joke (ジョーク)を含めてかなり許されている。ここに何かカギがあるように思われる。そう言えば40数年前にロスアンゼルスで学生をしていた頃、日本人の悪口はジャップ(Jap) でその後イェロー(Yellow) になったが、その時も自分で自分のことをジャップと呼んでいたら皆、そんなに悪い気はしていなかったし笑ったりもした。この「控え目」な姿勢がこれからの人種問題を解決していくヒントが隠されているのでは。数々の歴史の中で「おごり」の姿勢で人間がうまく成功した例はない。YS







