オーストラリア ヒロシのリタイヤ日記

1994年からメルボルン在住のヒロシです。留学後に現地で就職、国際結婚、2020年、55歳からリタイヤ生活。

オーストラリアに移住して良かったこと その3 

2022年11月30日 13時25分46秒 | 海外移住

今日はオーストラリアに移住して良かったことの、その3ですね。それは、日本に住んでいる時には考えられないような、豊かな生活が出来る事です。

このブログを始めた頃に、一通り僕のオーストラリアでの経歴を詳しく書いたことがあるので、まだ読んでいらっしゃらない方は、そちらも読んで頂けると幸いです。

もしオーストラリアに移住していなかったら、大学は地方の私立の文系でしたので、今頃は、中小企業の会社員か、又は派遣社員としてどこかの工場で労働者として働いていたことでしょう。それとも、仕事のストレスから、鬱病になっていたかも知れません。

オーストラリアに移住したからこそ、日本では不可能だと思われることが、ここで実現できたのです。その理由は、日本は人口減少社会で、経済も30年ほど停滞しているのに対して、オーストラリアは経済が発展しているからだと思うのです。

まず、オーストラリアの総人口は2600万人ですから、日本の6分の1ですが、海外からの移民を多く受け入れている為、人口増加率は年に1~2パーセントです。移民が流入すれば、家も建てるし、消費も活発になるので、経済が発展します。経済が発展すれば、国民が豊かになれるのです。

しかもオーストラリアは鉄鉱石や石炭、天然ガスなどの地下資源が豊富で、輸出産業の第一位です。また、ご存じの様に、英語が公用語なので、海外からの留学生は70万人もいるのです。(因みに日本の海外留学生は、25万人程)シドニー大学では4割、メルボルン大学では3割の学生が外国人留学生なのです。彼らが払う授業料は高額で、毎年300万円程の学費を払うので、第二位の輸出産業は教育なのです。

これらの要因が重なって、オーストラリアの経済成長の指標である国内総生産(GDP)の成長率(コロナ禍以前)は年率2~4パーセント。これからも成長し続ける国だと言えるでしょう。

経済が成長すると、賃金も上がり、物価も値上がりします。都市部の不動産価格の値上がりは年に6~7パーセントで、10年でほぼ倍になるのです。20年なら3~4倍、30年で5~7倍ぐらいでしょうか。日本では考えられない値上がりですよね。僕でもオーストラリアで就職して3年目に最初の不動産を買う事が出来、資産形成の第一歩を踏み出したのです。

株式市場も同じように、オーストラリアでは、30年前に比べて何倍にも上昇していますが、日経株価は30年前の約半分に停滞したままです。

初期のブログにも書きましたが、28歳の時、オーストラリアに留学し、30歳で一文無しだったこの僕が、57歳現在は、、、

1.メルボルン近郊の緑豊かな牧場に住んでいること。

こんな生活は日本で想像したこともありませんでした。しかも、メルボルンの住宅街のすぐ隣、ショッピングセンターへは車で5分の距離。シティーまで1時間で行ける所なのに、7頭の馬がいる広い牧場に住んでいるのです。しかも牧場の住宅ローンは9年前に9年間で完済しています。毎日、1、2時間かけてゆったり近所を散歩。牛や羊、ロバを飼っている農場を見ながら、散歩。知り合いのご近所さんとすれ違う時はお喋りが楽しみです。

もしオーストラリアに移住していなかったら、日本の実家に両親と同居か、郊外の団地か古い木造のアパートに住んでいる気がします。30代で家を建てていたら、住宅ローンの完済迄、あと10年はかかるでしょう。しかも、せっかく完済した家の価値は買った値段の半分か3分の1以下という、日本では当たり前の悲惨な状況だと思います。

2.老後の蓄えは十分にできたので、2020年に55歳でリタイア生活を始められたこと。毎日時間がたっぷりあり、遊んで暮らしているので、こうやって毎日ブログが更新できます。色々な趣味を通して友達も沢山できました。

もし、オーストラリアに移住しないで日本に住んでいたら、現在も職場と自宅を往復する毎日で、リタイアまではあと8年ぐらい、65歳までは働かないと、老後は安心して暮らせないでしょう。毎日仕事で疲れるので、趣味と言えるような趣味はなく、交友関係も職場の人に限られていると思います。

この様に、もしオーストラリアに移住していなかったら、今の生活とはかけ離れた生活になっていたのではと思うのです。

下の写真は、庭で採れたビワ。大きなビワは鶏卵ぐらいの大きさになります。鳥に食べられない様に、袋掛けをしています。今日も沢山食べたので、食べ残ったビワです。

では、明日も,、このブログでお会いしましょう。

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オーストラリアに移住して良かったこと その2

2022年11月30日 08時06分04秒 | 海外移住

今日のブログも昨日に引き続き、オーストラリアに移住して良かったことを書いていきます。

オーストラリアに移住して良かったこと、その2は、労働環境が良いことです。

このブログを書き始めた頃に、日本で会社員を一年ちょっとした時の事を書きましたが、はっきり申し上げますと、労働環境に関しては、雲泥の差があります。

まず、日本の雇用形態は、終身雇用の年功序列、新卒の一括採用が一般的で、労働者の流動性は低く、多くの新卒の社員は出来れば、定年まで同じ会社で働くのが最良と考えているのではないでしょうか。その理由は、殆どの場合、会社を変わると、また一からやり直しで、給料は下がり、前より労働環境は悪くなることが分かっているので、出来るだけ同じ会社にしがみつこうとします。

会社が辞められないとなると、上司の言う事は絶対であり、上司に嫌われない様、失敗しないよう、成果を出せるように、皆さん努力しておられると思います。上司の前ではへこへこと頭を下げ、ご機嫌を伺い、上司に呼ばれると、また叱られるのかと、ビクビクしてしまうのではないでしょうか。

オーストラリアでは、上司に対してへこへこしたり、ご機嫌を伺ったりする必要はなく、上司と部下は対等だと言えます。部下はその職場や上司が嫌ならば、いつでも同じ職種の別の職場や会社に移ることができるからです。つまり同じ会社にしがみつく必要はなく、会社に不満は無くても、常日頃から、すこしでも条件の良い職場があれば、移ろうとします。

又、オーストラリアでは労働組合の力が強く、労働法を順守しない雇用主は厳しい罰則があります。その為、ブラック企業は存在できません。オーストラリアのラッシュアワーは午後3時頃から始まり、午後7時には電車の駅や道路は閑散としています。日本の様な、深夜近くの終電が混み合う状況は考えられません。

日本の厚生労働省の労働基準監督署は何の為に存在するのか、何をしているのか、甚だ疑問に思うのは僕だけでしょうか。日本では労働基準法が全く機能していないと思うのは僕だけでしょうか。

30年以上前、僕が日本の会社で働いていた頃は、自分の仕事があろうがなかろうが、上司の許可がなければ帰宅することは許されず、大抵、残業代が出ないのに、夜の9時か10時まで職場にいるのが普通でした。家には寝に帰るだけで、土曜日も出勤の日が多く、「仕事をする為に生きている」という生活でした。

これに対し、オーストラリアでは、勤務時間が過ぎたら、直ぐに帰宅します。上司や取引先とのゴルフとか、職場の飲み会などはなく、年に一度のクリスマスパーティーも自由参加。行かなかったからと言って、後ろ指をさされることもありません。勤務時間以外は自分の時間ですから、早く家に帰って、夜は家族と一緒に過ごせる時間がたっぷりあります。週末も家族でどこかに出かけます。人生を楽しむ為に仕事や勉強をしているといっても過言ではないでしょう。

日本では、会社に夜遅くまで残っているのは、身を粉にして働いている人、会社の為に自分の人生を捧げている人、会社に忠誠を誓っている人、というイメージですが、オーストラリアでは反対で、要領が悪い人、使えない人、能力がない人、残念な人です。

教師の生活を日本とオーストラリアで比較してみると、その差が良く分かります。日本の都市部にある私立高校に勤めている友人は出勤日が月曜日から土曜日までで、大抵、勤務が終わるのは夜の9時が平均だそうです。しかも生徒が夏休みや冬休み期間でも教員は出勤するのだそうです。運動部の顧問になった教員は更に悲惨で、日曜日も返上で、練習や試合に付き合わねばならないそうです。

オーストラリアの教員は授業が3時か3時半に終わるので、雑用が残っていなければ、生徒と同じ時間に家に帰ることが可能です。ダラダラとお喋りをしていても4時には帰る人が多く、ミーティングがあっても4時半までです。部活動がないので、顧問の先生はいません。長い休みは年に12週あり、完全に休みです。

では、明日も、このブログでお会いしましょう。

 

 

 

 

 

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