goo

トレイントーク0706-1 777H 特急押上行 1736 編成

2009年07月06日 07時39分13秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
木田麻衣子「まだ涼風さんのお化粧直しが終わりませんので、幸運開運列車紹介のコーナーに参ります。本日7月6日月曜日の第777H列車特急押上行きは、1736編成で運転されているそうです。今日もあなたに幸運があらんことを。以上放送作家急行特急THさん監修による幸運開運列車紹介なコーナーでした」
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

Mind Feeling0706-1 Morning on Monday DJ RINKO SUZUKAZE

2009年07月06日 07時19分54秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
*「あーあ、今日も梅雨空かよ」

#「おまけに月曜日、ブルーマンデーだよ。やってらんねーよな」

*「あれ、なんかこんな所に、ベルがあるぜ」

#「あ゛っ、それに触るな。やかましくなるから。あいつの声なんか今は聞きたくないからな」

$「(ぬうっと手が伸びて来て)そーわ、問屋が卸さなかったりしてねぇ。そーら、出番だせ、インチキDJちゃ~ん(ベルを鳴らす)」

*#「止めろ、鳴らすな~~っ!(エコー)」


涼風鈴子「あたしを呼んだ~?涼風鈴子のモーニングオンマンデー(おはよー、という効果音が入る)」


「はよっす、涼風鈴子どす。皆さん、今日は待ちに待たない、7月6日月曜日、月曜日、月曜日のモーニングオン、モ~ニングオン(ハート)。ブ・ルー・マ・ン・デー、ブルーマンデー、ブルー!嫌だねぇ、嫌だねぇ、嫌だねぇ、憂鬱だよね、憂鬱だよねぇ、憂鬱だよねえ~。そんな朝から、小煩い(涼風鈴子を召喚させる鈴を鳴らす)ハエの如く、ブンブカ、喋るのは、あたし涼風鈴子なのよねぇ~。嫌だよねぇ、聴きたくないよねぇ。でもぉ~、モーニングオン大好きDJだから、許してねー(CHU)。あ゛ー気持ち悪っ。なんて真似させるんじゃ、このインチキ放送作家アドバイザーイドワイザーはーっ!(エコー)」

「(ヘリュウムガスを吸った声)朝から吠えるんじゃないこの暴走しか能の無いインチキDJがっ!これでもくらえー」

涼風「(突然床が抜ける)い゛でででで。(落ちた床からはい上がる)なんてことするのよ。朝っぱらから~厄介な番組だわねぇもう。えっ何?今のシーンは後で動画で番組HPにアップさせる?ふざけんなー(エコー。と同時に、ペチョパイが涼風の顔面に飛んでくる)わぷっ!(クリームを取りながら)なかなかやってくれるじゃないの。もー怒ったわよ。そこでクスクス笑ってるインチキ偽つもり放送作家アドバイザーイドワイザーと得体の知れないスタッフXYZに、天誅を喰らえ天誅をーっ!!(叫び声と共に、2人の頭上の白粉がたっぷり入ったバケツがひっくり返る)ギャハハハーざまみろこのへたれどもーっ!……とこの番組はどーなってんでしょー。ねぇ、木田さん」

木田麻衣子「さあ、私にたずねられましても何とも…。あっ、ご無沙汰してます、モーニングオンの初代そして隠し玉DJの木田麻衣子です。皆さん、いかがお過ごしですか?」

涼風「おひさしーって感じねー。あーそうだ、ちょっと化粧直ししてくるからさ、今日の動きでも」

スタッフXYZ「お化粧直しなら、私達がお手伝いしますよ、涼風鈴子さん」

アドバイサーイドワイザー「そう。このウォーターガンでねぇっ!そーれ水責めだーっ喰らえこのインチキDJ!(涼風目掛けて水を浴びせる)」

涼風「うわっ何しやがんでーっ」

スタッフXYZ「それそれそれ、滅んでしまえこのインチキDJめーっ」

(その時、涼風、スタッフXYZ、アドバイサーイドワイザーの3人の頭上からたらいが落ちる)

木田「はい、一騒動が済みました所で、本日7月6日月曜日の動きと今週の動きに参ります…………」
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

急行特急TH発日曜深夜夜話その3 興味惹かれる言葉

2009年07月06日 02時48分42秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
この言葉は、ある時期に、予備校の宣伝看板にあった物である。
この記事の1つ前に、「努力」という言葉について触れたので関連する話として語ってみたい。
人はたやすく他者に対して、

「頑張れ」

「頑張る」

という言葉を口にしがちであるが、具体的な中身については、語られぬままである。もっとも語りたくても語れぬ物もあるのかも知れない。
人に対して、「頑張れ」という言葉をかけるのは、「励ます」場で使われるが、あくまでも「言葉」だけであって、それ以上は何もない。
「頑張れ」という言葉、はっきり言って、溢れすぎてもはや「意味が薄れている」と私は思う。単に使われるだけで、「そのやり方」について、「誰も享受しない、されない」。あんまり、「他者に依存するな」という意味が暗に込められているんだろうし、頑張れという本人もそのやり方については解らない面もあろう。
頑張れでもそのやり方は自分で考えろ、というのは、あまりに無責任な話に聞こえる。単に、自分の手から誰かを突き放したい、関わりを外したい、という念がそこに見え隠れしている様に私は思う。
やり方も知らずして、或は、解らずして、簡単に「頑張れ」という言葉は使うべきではない。また、具体的な策もないままに安易に、「頑張る」という言葉もまた使うべきではないだろう。
確かに、状況によって、何等からの第三者の「相手」が、自分でない相手から「頑張る」という言葉を聞きたがる場面や「頑張る」という言葉を口にしなければ、後がない、と「人を追い詰める」やり方をする場面があるから厄介なのだ。
一方で、売り言葉に買い言葉的に「頑張る」という言葉が使われる側面もあり、1つのコミュニケーションの手段として使われるのは必ずしも良い話ではない。
具体的な成果がなければ、「頑張った」とは言われないのが世の規則になっているが、辛いのは、「頑張る」という言葉を口にした後、「成果が出なかった時の他者からの攻め立て」である。人は、そういう所を攻めるのが好きな傾向にあるのも気になるが、殆どその事に気づかないのもまたおかしい話である。
努力は常に報われる訳で無い事は皆知っている話である。故に、「頑張る」と言って「成果が出なかった事を執拗に攻めるのは悪」と私は思う。そこから、私は、あまり安易に「頑張る」とか「頑張れ」という言葉を使いたくない。
その場凌ぎ、所謂、きれいごと、美辞麗句として「頑張れ」は、現代で使われている面がありそうだが、あちらこちらで多用され、すっかり意味を成さなくなってしまっているのは、問題がある上に、「頑張る」という「具体的な方法を示さない」のもまた問題がある。
具体的なやり方が示された時、出来そうに無いと判断したなら、思い切って「出来ない」という4文字を口にする事も大切であるし、「相手の気持ち」を考え、無下に「相手に出来ないと知っていて、‘‘頑張れ,,」という言葉を使うのはやめるべきである。せめて、
「やってみて」

という柔らかい表現をするべきだろう。「やれ」という命令系は厳禁である。

また、いかに「やり方を享受」されても、必ずしもいつも「出来るようになる訳ではない」という現実を受け止め、「出来なくとも必要以上に攻め立てる事」や「邪険に扱う」のを「安易にすべきではない」と私は思うが、こんな想いはいつも届かず終いであるのが、口惜しい所だが、「頑張るという‘‘やり方・具体的中身,,」を「相手を追い詰めたり、具体的な方法を示さないで口にするのは止める」べきである。無責任なだけであるし意味を最終的には成さないと私は思う。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

急行特急TH発日曜深夜夜話その2見つけた言葉

2009年07月06日 01時50分15秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
ある所で見つけた言葉。
朝に「希望」という2文字は持てない。絶望とまでは行かないが、「またか」とか「もうか」という言葉しか出ない。決して、前進的な言葉は出ない。
“Morning on”に涼風鈴子を出して、必死になって反前進的な心情を形にしないようにしている訳ではなく、単純に出し続けて来たのでズルズルと出し続けているだけである。馬鹿も良いところだが、同じの事の繰り返しが良い訳は無い。
昼は努力。一体、自分はどこまで出来ているのかは知れない。出来ていないんじゃないかとさえ思う事もある。努力は言葉としての実態はあるにしても、その中身は漠然としている様な気がする。
目に見えて見えない努力という2文字、しかもどうみても努めるというよりかは「自然」という2文字からすんなりと突き進んだ姿を観てというか解り、自分自身の不甲斐成さなや不進化の姿、あるいは、裸の王様と化していた自分自身を突き付けられ、愕然したのは先おとといの事だった。
そんなままに迎える朝に、希望という2文字なんて私ははっきり言って描けない。あるのは絶望なんじゃないか、とさえ思ってしまうのは、悲劇のヒロインを演じたいのではなく、事実を言ったまでである。今はあまり気にしていないが、あと数時間もすれば…という感じである。
少し物事に完璧を求め過ぎたり、頭を難くして考えてい過ぎな面があるのかも知れないが、私は「適当」という2文字についてその中身がどうなっているのか、世間レベルでは、何処までが許される「適当」なのか解らない。ひどく「曖昧・漠然」とした物の様にそれは思うのだが、どうであろうか?
話がまたしてもそれてしまったが、話を脱線させるの癖が私にはどうもあるらしく2年前の秋の中頃にそれをさらりと指摘された事があったが、1つの話の中には、場合場合によっては複数の要素が加わるので、本論から外れた事も関連するものとしてついつい入れてしまうが、完全に語り手の自己満足である事を認識しつつも止めやれないでいる私は単なる愚か者でしかない。
さて、夜は感謝に眠るとこうあるが、今は夜。しかし感謝に今は眠れず、記事更新をカタカタしている真っ只中。確かに1日無事に終えられた事は、感謝の2つがかっちりと嵌まるが、その1日の無事の影に、沢山の犠牲が私の場合は孕んでいる様なのだ。自分では実感出来ぬ所の「我が儘勘定」がそこにあるみたいだが、無自覚というか自覚のし難い話である。考えてみれば、かくいうお前だってそうなんじゃないか、まるで逆ギレだが、そう思えてしまう。
世を生き抜くのは非常にシビアな物で、言葉時として、実体に作用しない面があるのは言うまでもないが、所謂、「キレイゴト」とさえ取れる「前進的な言葉(解りやすく言えば、私の嫌いな言葉‘‘ポジティウ゛,,)」を口する事こそ正しいとされるのもどうかしている気がする。何回も言っているが、「言葉のインフレ」により、重要な言葉すら意味を成さなくなっていることは言うまでもない。
夜中に力入れて語ってどーするよと言うと言われそうだが、この画像を観ながら思ったことを書いてみた。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )

急行特急TH発、日曜深夜夜話その1ある日のトレインハートネット

2009年07月06日 01時10分56秒 | 急行特急TH発2007年→2019年5月1日AM11:59
いつだったかは忘れてしまったが、ふと壁を観ると、クロネコトレインハートネットに見つめられていた。
クロネコ自体との相性は悪いが、クロネコがもたらすと言われる「不幸」に「不運」と私の相性はバッチリで、磁石の様に吸い付き、幸運は離れて行くのが常である。
ある時、もう終ってしまったがNHKのテレビ番組『コメディお江戸でござる』で、「貧乏神」の話が出て来た時、
「貧乏神をぞんざいに扱うと更に不幸になる」
という様な話があったと記憶しているが、貧乏神と言えば、不幸の象徴の意味も踏まえている様な気がするが、どうやって扱えば良いやら或はどうやって不幸と向き合えば良いやら解らない。
しかし、不幸・不運は面白い位に連続してやって来るのに、「幸福」は楽しいくらい、連続しない。本によれば、幸福も連続する様に出来ているらしいが、実感はまるで無い。
貧乏神の反対は、幸福の神であると言うが、解らない。あまり、幸せやら開運やらに縋り付くのは良くないかなぁと思いつつも、やはり求めてしまう。具体的なイメージもないままにである。
話が有らぬ方向にいってしまったが、何故にクロネコが側でつきまとうのか解らない。周囲に3匹はいて、1日1匹会うパターンが多い。
クロネコに、“Train Heartnet”と勝手に名付けているが、この中に“Train”、つまり「列車」という意味も含む言葉があり、私の電車好きがそこに共鳴しているのかも知れない。
goo | コメント ( 0 ) | トラックバック ( 0 )