今回は、私がやや成長した後の歌が多く、「青春」に疑問符がつくのだが、まあまあということで・・・
1.恋/松山千春 1980年1月発表
好きな歌なのである。しかし、オンタイムで覚えたのではないので、どこかちょっと違うふうに覚えていたりする。
それで、カラオケで歌ったら「違う」といわれ、恥ずかしかった。
松山千春のこういう歌を聞くと非常にナイーブな人柄を思い浮かべてしまう。あまりにも繊細なるがゆえに、逆に振舞ってしまうのかなあ、と考えたりする。
どううたっても松山千春にはかなわない、というのが「恋」の印象です。
(では他の歌ではかなうのか、他の歌手ではかなうのか、というツッコミは勘弁して下れ)
2.ダンスはうまく踊れない/高樹澪 1982年7月発表
これは、やっぱり「石川セリ」(1977年)のほうが印象的である。
初めて高樹澪で聴いたとき、あれ?と思ったものである。
なんだか今度はかわいい娘が歌っているではないの、ケナゲにねえ。
という印象。石川セリのほうはどっかけだるい感じがして、それはそれでよかったのだが、こちらもそれはそれなりによかった。
3.待つわ/あみん 1982年7月発表
♬わたし まーつわ いつまでも まーつわ♬
という部分が非常に印象的であります。
と同時に、ちょっとコワサみたいなのを感じましたですねえ。
まあ1回ぐらい言われてみたい、というのはありますが、こう繰り返して「待つわ」といわれますと・・・
それと出だしの「かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと」という部分が引っかかっていまして、そういう女の子だったの?と変なツッコミ入れていたんです、心の中で。
どちらかというと岡村さんより加藤さんがお気に入りでしたね。
4.いまのキミはピカピカに光って/斉藤哲夫 1980年6月発表
斉藤哲夫という人は、吉田拓郎がうたった「されど私の人生」を作った人、という印象が強くて、この歌を歌っている人が斉藤哲夫だと知ったとき、ショックでした。
あなたもコマーシャリズムに身を売ったのか?!
と強くは思わなかったにしろ、若干軽蔑したりしたのです。
このころから、フォークソングやニューミュージックだからテレビに出ないとか、コマーシャルおことわりなんてことがなくなってきたのではないか、と思う。
宮崎美子は屈託なくジーパンを脱ぐし、斉藤哲夫はこんな歌を歌う。
私の中では、何かが変わっているということを実感した歌でもあります。
なお、斉藤哲夫さんとはその後自分自身の中で和解をしております。(笑)
♬サンマ焼けたか、粋な親父の声がする♬
なんて最高ですね。
5.探偵物語/薬師丸ひろ子 1983年5月発表
薬師丸ひろ子の歌は透明感があって好きだった。
レンタルレコード(ふるいねえ)を借りてテープに録ったような気がする。
探偵物語はあまりにも「大人」を意識しすぎていて、好みではなかったなあ。
どちらかといえば「メインテーマ」が好きでしたねえ。
♬笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね♬
という部分が等身大でよかった。
この探偵物語は
♬好きよ・・・ でもね・・・
たぶん・・・ きっと・・・♬
という部分がいいのだろうけど、ちょっと「小ざかしい」感じがしてます。
6.ルビーの指環/寺尾聰 1981年2月発表
ベスト10という番組で、いつまで続くのか1位。あきれるほど売れましたね。
で、飽きない歌なんですよね。
何がいいのか、よくわからないのですが、なんとなくいいんですよ。
♪くもり硝子の向こうは 見えないよ♪
なんてうたったりもしましたが・・・
この頃から流行の歌をギターで弾くこともなくなったので、曲の構成とか、コード進行がわからなくなり、歌は歌うものではなく聴くものになっていったような気がする。
1.恋/松山千春 1980年1月発表
好きな歌なのである。しかし、オンタイムで覚えたのではないので、どこかちょっと違うふうに覚えていたりする。
それで、カラオケで歌ったら「違う」といわれ、恥ずかしかった。
松山千春のこういう歌を聞くと非常にナイーブな人柄を思い浮かべてしまう。あまりにも繊細なるがゆえに、逆に振舞ってしまうのかなあ、と考えたりする。
どううたっても松山千春にはかなわない、というのが「恋」の印象です。
(では他の歌ではかなうのか、他の歌手ではかなうのか、というツッコミは勘弁して下れ)
2.ダンスはうまく踊れない/高樹澪 1982年7月発表
これは、やっぱり「石川セリ」(1977年)のほうが印象的である。
初めて高樹澪で聴いたとき、あれ?と思ったものである。
なんだか今度はかわいい娘が歌っているではないの、ケナゲにねえ。
という印象。石川セリのほうはどっかけだるい感じがして、それはそれでよかったのだが、こちらもそれはそれなりによかった。
3.待つわ/あみん 1982年7月発表
♬わたし まーつわ いつまでも まーつわ♬
という部分が非常に印象的であります。
と同時に、ちょっとコワサみたいなのを感じましたですねえ。
まあ1回ぐらい言われてみたい、というのはありますが、こう繰り返して「待つわ」といわれますと・・・
それと出だしの「かわいいふりしてあの子 わりとやるもんだねと」という部分が引っかかっていまして、そういう女の子だったの?と変なツッコミ入れていたんです、心の中で。
どちらかというと岡村さんより加藤さんがお気に入りでしたね。
4.いまのキミはピカピカに光って/斉藤哲夫 1980年6月発表
斉藤哲夫という人は、吉田拓郎がうたった「されど私の人生」を作った人、という印象が強くて、この歌を歌っている人が斉藤哲夫だと知ったとき、ショックでした。
あなたもコマーシャリズムに身を売ったのか?!
と強くは思わなかったにしろ、若干軽蔑したりしたのです。
このころから、フォークソングやニューミュージックだからテレビに出ないとか、コマーシャルおことわりなんてことがなくなってきたのではないか、と思う。
宮崎美子は屈託なくジーパンを脱ぐし、斉藤哲夫はこんな歌を歌う。
私の中では、何かが変わっているということを実感した歌でもあります。
なお、斉藤哲夫さんとはその後自分自身の中で和解をしております。(笑)
♬サンマ焼けたか、粋な親父の声がする♬
なんて最高ですね。
5.探偵物語/薬師丸ひろ子 1983年5月発表
薬師丸ひろ子の歌は透明感があって好きだった。
レンタルレコード(ふるいねえ)を借りてテープに録ったような気がする。
探偵物語はあまりにも「大人」を意識しすぎていて、好みではなかったなあ。
どちらかといえば「メインテーマ」が好きでしたねえ。
♬笑っちゃう 涙の止め方も知らない 20年も生きてきたのにね♬
という部分が等身大でよかった。
この探偵物語は
♬好きよ・・・ でもね・・・
たぶん・・・ きっと・・・♬
という部分がいいのだろうけど、ちょっと「小ざかしい」感じがしてます。
6.ルビーの指環/寺尾聰 1981年2月発表
ベスト10という番組で、いつまで続くのか1位。あきれるほど売れましたね。
で、飽きない歌なんですよね。
何がいいのか、よくわからないのですが、なんとなくいいんですよ。
♪くもり硝子の向こうは 見えないよ♪
なんてうたったりもしましたが・・・
この頃から流行の歌をギターで弾くこともなくなったので、曲の構成とか、コード進行がわからなくなり、歌は歌うものではなく聴くものになっていったような気がする。