第6巻は「永遠の出発(たびだち)」ということからもわかるように、完結篇である。
1月から毎月1回出版され半年を経て読み終えたのである。
その間、父が亡くなる、ということがあり、なんとなく余計に心にしみたのであった。
ブッダ(お釈迦様)の一生を描いた漫画であるが、手塚治虫自身があとがきで述べているが「正確な仏典の漫画化」ではなく「お釈迦様の伝記をかりた、まったくのフィクション」なのだそうである。
したがって、手塚治虫の精神というか哲学が反映されているといえるし、発表誌が少年雑誌「希望の友」ということから子供たちへ向けたメッセージともいえる。
つまり、この漫画を読んで、仏教の教えから外れているとか、本当のお釈迦様ではない、といった批判や感想、あるいは大人が大人の考え方で今読んだ感想を述べるのも的外れ、のように思える。
これは連載されたものであるし少年向きであることを考えれば、すばらしい、といえる。12年間も続いた、ということは読者の支持が続いていたといえる。
そして、途中で読み始めた読者にもわかるような設定がされている、というか、その号だけを読んでもおもしろかったのではないだろうか。
とはいえ、私にとってはいい時期に読むことができ、ブッダの思想(手塚治虫の思想?)も、平易に示されているが実は深いものであるということを感じとれ、少年向きとはいえ大人の鑑賞にも充分堪えうるものでと思った。
ブッダの時代、というかつい最近まで、人間の周りには「死」が日常的に存在していた。常に「死」というものを感じながら生きていた。
近年「死」は非日常化し、さらに忌み嫌われるものとなり、それに比例して「生きる」ということが安易なものになってきたように思われる。
「生きる」ということを追い求め、それは「死」を受け容れることなのではないか、死を受け容れたときこそ幸せとは何なのであるかを実感できる。
そんなことを手塚ブッダは教えているように思え、それは今生きている自分にとってこれからどう生きるべきかを問うているように思えたのであった。
1月から毎月1回出版され半年を経て読み終えたのである。
その間、父が亡くなる、ということがあり、なんとなく余計に心にしみたのであった。
ブッダ(お釈迦様)の一生を描いた漫画であるが、手塚治虫自身があとがきで述べているが「正確な仏典の漫画化」ではなく「お釈迦様の伝記をかりた、まったくのフィクション」なのだそうである。
したがって、手塚治虫の精神というか哲学が反映されているといえるし、発表誌が少年雑誌「希望の友」ということから子供たちへ向けたメッセージともいえる。
つまり、この漫画を読んで、仏教の教えから外れているとか、本当のお釈迦様ではない、といった批判や感想、あるいは大人が大人の考え方で今読んだ感想を述べるのも的外れ、のように思える。
これは連載されたものであるし少年向きであることを考えれば、すばらしい、といえる。12年間も続いた、ということは読者の支持が続いていたといえる。
そして、途中で読み始めた読者にもわかるような設定がされている、というか、その号だけを読んでもおもしろかったのではないだろうか。
とはいえ、私にとってはいい時期に読むことができ、ブッダの思想(手塚治虫の思想?)も、平易に示されているが実は深いものであるということを感じとれ、少年向きとはいえ大人の鑑賞にも充分堪えうるものでと思った。
ブッダの時代、というかつい最近まで、人間の周りには「死」が日常的に存在していた。常に「死」というものを感じながら生きていた。
近年「死」は非日常化し、さらに忌み嫌われるものとなり、それに比例して「生きる」ということが安易なものになってきたように思われる。
「生きる」ということを追い求め、それは「死」を受け容れることなのではないか、死を受け容れたときこそ幸せとは何なのであるかを実感できる。
そんなことを手塚ブッダは教えているように思え、それは今生きている自分にとってこれからどう生きるべきかを問うているように思えたのであった。