主人公は、軽井沢の別荘に行ったとき、よく夢に見る女とそっくりの「梓」に出会い、ミセス・ジョーンズの「降霊会」に参加する。
そして、小学校3年生の時に転校してきた「キヨ」の霊から彼にまつわる事故の話を聞く。
キヨは、主人公(ゆうちゃん)の目の前で、車に飛び込み死んだのであった。それは彼の父から何度かやらされていた「当たり屋」を実行したのであった。
主人公は、なんとなくそういう境遇であること、そしてキヨが父を愛していたことを感じていた。
主人公の家族は主人公を気遣ってその事件をウヤムヤのまま彼の記憶から薄めていった。
しかし、主人公は、その事件について胸につかえるものがあった。だから降霊会でキヨを思い出した。
で、キヨ以外にも、若い警察官やキヨの父の霊も降りてきて、キヨについて語った。
その時点で私は次は、主人公の祖父がでてきて、何かを語るんだろうと思った。
ということを、2011年8月6日にブログで書いた。
しかし、その後物語りは大きく転換する。
主人公は、若いときにつきあった女:百合子との出会いと別れを思い出す。
そして、彼が夢に見る百合子の霊が降りてきたと思う。
しかし、降りてきたのは、百合子とつきあっていたときに、親友感覚でつきあっていた大学の同級生であった。
彼女は、主人公を愛していたが主人公は気づかない。そして彼女を愛していた主人公の同級生も降りてくる。
彼らが話すことは、主人公を驚かせる。
生きていれば、面と向かって主人公に話せなかっただろう事柄を、死んだから言える。
なんとなくアンフェアなような気もするのだが、主人公は老いてきたときに、その話をきいて、これからどう生きていくんだろう?
主人公のこれからのほうが心配になってきていたが・・・
誰だって「自分はある程度まっとうに生きてきた」と思っているだろう、それをよりによって反論できない「霊」によって、『あんたは知らなかっただろうが』という前置きつきで語られたらつらいだろうと思うのだが・・・
自分の過去を全自分は全て知っているが、その評価は自分の知らないところで行われている。
そういうことを作者は伝えたかったのか?
最初はそのように考えたのだが、なんとなくちがうような気がする。
それはもっと読み込まないと分からないだろう。
いずれにしても、週刊朝日12月2月号で最終回となった。
最終回は、アッと驚く展開のような気もするが、とってつけたような終わりかたともいえる。
本になった時読むだろうか?
その時の気分だろうが、つらい、ような気がする。
追伸
この物語と同時に連載が開始された「極北ラプソディ」<海堂尊>は2週前に完結した。
これが、面白かったのだが、読んだ時に面白かったのだけれど、物語全体を通しての流れがよく把握できていなかったので、感想を書くことができなかった。
ところで、海堂尊の小説には他の物語に登場した人物がいろいろなところで登場してきて『この人はどういうところに出てきてどういうことをした人だったけ?』と思い出すことがつらい。
そういうことがつらいというのが悲しい。
だれか登場人物の整理簿でも作ってくれないだろうか。
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そして、小学校3年生の時に転校してきた「キヨ」の霊から彼にまつわる事故の話を聞く。
キヨは、主人公(ゆうちゃん)の目の前で、車に飛び込み死んだのであった。それは彼の父から何度かやらされていた「当たり屋」を実行したのであった。
主人公は、なんとなくそういう境遇であること、そしてキヨが父を愛していたことを感じていた。
主人公の家族は主人公を気遣ってその事件をウヤムヤのまま彼の記憶から薄めていった。
しかし、主人公は、その事件について胸につかえるものがあった。だから降霊会でキヨを思い出した。
で、キヨ以外にも、若い警察官やキヨの父の霊も降りてきて、キヨについて語った。
その時点で私は次は、主人公の祖父がでてきて、何かを語るんだろうと思った。
ということを、2011年8月6日にブログで書いた。
しかし、その後物語りは大きく転換する。
主人公は、若いときにつきあった女:百合子との出会いと別れを思い出す。
そして、彼が夢に見る百合子の霊が降りてきたと思う。
しかし、降りてきたのは、百合子とつきあっていたときに、親友感覚でつきあっていた大学の同級生であった。
彼女は、主人公を愛していたが主人公は気づかない。そして彼女を愛していた主人公の同級生も降りてくる。
彼らが話すことは、主人公を驚かせる。
生きていれば、面と向かって主人公に話せなかっただろう事柄を、死んだから言える。
なんとなくアンフェアなような気もするのだが、主人公は老いてきたときに、その話をきいて、これからどう生きていくんだろう?
主人公のこれからのほうが心配になってきていたが・・・
誰だって「自分はある程度まっとうに生きてきた」と思っているだろう、それをよりによって反論できない「霊」によって、『あんたは知らなかっただろうが』という前置きつきで語られたらつらいだろうと思うのだが・・・
自分の過去を全自分は全て知っているが、その評価は自分の知らないところで行われている。
そういうことを作者は伝えたかったのか?
最初はそのように考えたのだが、なんとなくちがうような気がする。
それはもっと読み込まないと分からないだろう。
いずれにしても、週刊朝日12月2月号で最終回となった。
最終回は、アッと驚く展開のような気もするが、とってつけたような終わりかたともいえる。
本になった時読むだろうか?
その時の気分だろうが、つらい、ような気がする。
追伸
この物語と同時に連載が開始された「極北ラプソディ」<海堂尊>は2週前に完結した。
これが、面白かったのだが、読んだ時に面白かったのだけれど、物語全体を通しての流れがよく把握できていなかったので、感想を書くことができなかった。
ところで、海堂尊の小説には他の物語に登場した人物がいろいろなところで登場してきて『この人はどういうところに出てきてどういうことをした人だったけ?』と思い出すことがつらい。
そういうことがつらいというのが悲しい。
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