仕事であちこち移動しているのでいろいろな場面と遭遇するのですが、時々
それは道徳としてどうなんでしょう?と驚く時も多いです。
昔はしてはいけないことと言われてきたとこが今は結構平気でされている方が多くて、せっかくの徳積みが消えちゃうのに、という思いになるときがあります。
出かけたとき知人からもらったおにぎりをもらい、
「お昼の休憩にでも食べてください」と言われ、ありがたくいただいてある場所で座って食べていました。
そばで女性が二人で仕事の事を話しているのですが・・両方とも自分が一番お仕事が出来る、という思いでお話をされているご様子でした。
そこまではいいのかもしれませんが、その後は周りの人達の云々(省略させていただきます)。
自分は仕事ができるかもしれませんが、自分ができるからと言って回りの人のことをあまり言うと・・
○○運が無くなるのです。(凄い遠回しな言い方でごめんなさい)
自分の心の中にその“自分はできる”という気持ちは無いか確認しなきゃ、と思いまして。
ちょっとでも自分ができる、なんて思ったら慢心ですし、その慢心が徳を消してしまうので。
素晴らしいお仕事や芸事など長年されている方達の言葉には
「100パーセント満足したことは一度も無い」
「一番良いものだと思った事はない」など自分に必ず満足をしていない人が多いです。
そして
「みんなのお陰で自分は仕事ができる」というお話を必ずされています。
最近、よく似たような場面を見ることが多いので、その理由をチャネリングしてみました。
すると・・・
「喫茶店に入りなさい」。
少し歩いてカフェに入り、座る場所を確保して・・そしてコーヒーを自分で運んできて座りました。
ふと見ると隣の女性が本を読んでいます。
気になったのでその本の題名を見ると・・
「ともにこれ凡夫のみ」と書いてあります。
あ、もしかして・・と思い、ネットで調べると・・
そうなのですね。
そして続けて
「見ている自分に必ず置き換えよ」と聞こえてきました
ああ、気をつけよう。
心に浮かぶことさえも気をつけよう。
毎日、こつこつ気をつけよう・・と何度も心に言うのでした。