サムエル記上2:18~20,26 コロサイ3:12~17 マタイ2:16~21
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月29日(日)
ある母からのXmasカード
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
マタイ福音書のクリスマス物語は「ヘロデ、子供を皆殺しにする」を含んでいるという意味では、決して明るく楽しい物語とはなりえていません。クリスマス物語は世界中の画家が手がけたテーマですが、この幼児大虐殺を絵にしたいと思った絵描きはいませんでした。マタイは暗闇の中に住む民(4章)への光こそがクリスマスだと言いますが、その暗闇は誰も見たくはない人間の現実なのかも知れません。
ところで、兵庫県姫路市にある日ノ本幼稚園の保育士・縄晶子さんは、ある日の子ども礼拝で園児に質問をしました。その日は、神さまが創られた光を話題にしていたのですが、こんな質問をしたのでした。「神様が創られた光でも照らせない所はどこでしょうか」。
さて、この質問に子どもたちが困ったかというと、そんなことはありませんでした。なぜならすぐ「それは心や」という答えが返ってきたからです。長い年月キリスト教保育にたずさわってきた彼女と、その園に毎日通う子供たちの間だからこそ成り立つユニークなやりとりでした。彼女はこう言っています。「自信がなく暗く不安定な心に、いくら光を照らしても、心は明るくなりません。暗い心を明るくしてくれるのもやはり人の心だと思うからです。
ところで、同じ兵庫県の仁川教会付属保育園の保育士である大塚和子さんは『こどもの苦しみと喜び』という本を書きましたが、その中で「子どもは、いつも楽しそうで喜びにあふれていると思われがち」だが、それは違うと言っています。なぜなら大人のように彼らも苦しみ、悲しみ、不安を毎日体験しているというのです。
さてある日、大塚さんの園に、三歳児のA子が入園してきました。彼女には、一つ違いの兄がいました。A子は、3歳にしては語彙が豊富で、表現力豊かな子でした。園生活を楽しんでいたのですが、家に帰る支度をする時間は違いました。なぜなら、ガラッと態度が変わって、大泣きを始めたからです。それも毎日で、なだめてもダメ。もっと激しく泣きます。どうしてかな? いくら考えてもわかりません。
そこでもっと様子を見ることにしました。彼女は遊びに夢中の時は母親を忘れていますが、帰宅の時間に母親が姿を見せると、いきなり泣き始めることが分かってきました。しかも、その時は、靴やカバンを投げ飛ばし、色々親を困らせ、ついには親なのにあれしろこれしろと命令さえするのでした。母親を自分の意のままに動かそうとしているA子を見ながら、大塚さんはあることに気がつきました。
というのも、A子の隣の部屋には兄がいたからでした。母親を隣に行かせまいとしている。何が何でも自分に引き留めておきたいA子。そのことに大塚さんは気づいたのでした。そこでまず、母親から話を聞くことにしました。すると母親は言いました。実は彼女は、先に兄を出産したあと体調を崩しました。ところが、すぐ続いてA子を妊娠したので、乳飲み子の息子を実家に預けました。そして、A子を無事出産したのですが、家に帰ってきた長男をみて愕然としました。なぜなら、彼の顔は能面のように無表情だったからです。
母親は思いました。「これは、私が急にいなくなったためだ!」。その変化に驚いた彼女は何とかしなければという気持ちが強くなり、急速に息子のほうに心が傾いてゆきました。ところが、母親がそうなった時は、娘が母親をいちばん必要とする時だったのでした。このため、娘は反抗的になり、二人の間の心の距離が縮まらないままに、A子は大塚さんの園に入園したのでした。しかし入園後も、母と娘の間のトラブルは解消することなく、二人の距離はますます離れていたのでした。
この話をしながら母親は言いました。「あの子が愛せません」。この悲痛な言葉を聞いて、大塚さんは思いました。「A子の反抗は、自分だけの母親でいてほしいという願望の表れだ」。そこで大塚さんは母親に次の提案をしたのでした。「しばらくは、A子ちゃんの気持ちをそっくり丸ごと受け止めるだけにしてみませんか」。
これを聞いて驚いた母親でしたが、すぐ次の日から実行を始めました。しかも、黙々とでした。すると、A子のあの暴君ぶりが次第に影をひそめ始めました。それに代わるように、大きな変化も訪れてきました。なぜなら、A子の鼻歌が聞こえるようになったからです。
さて、母の日も間もなくというある日、A子は絵を描いていました。それは、父親と母親がいて、その間に自分が立っているという絵で、その自分はしっかり笑っていたのでした。大塚さんは言います。「今までとは違った力強い線でした」。こうしてA子は、あらゆる手を使って自力で、母との関係を取り戻したのでした。
さて、後日母親は大塚さんにクリスマスカードを寄こしました。それにはこう書かれていました。「今はA子を本当にいとおしく思っています。我が子ですけど、とても素晴らしい子どもだと思っています」。これを読んで思いました。「子は母に戻り、母は子に戻っていったのだ」。
さらに本にはこう書いていました。どんな子でも、泣くには必ず理由がある。泣けることはその子がしっかり感じ、考えている証拠である。つまり、自分を愛して欲しいと言っているのだ。大人はその眼差しをしっかり受け止めたいのである。
またこうも書いていました。大人と子どもは、強者弱者の関係ではなく、互いに助け合い、共に生きる関係を作ることが大事である。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 2025年1月5日 降誕節第2主日
説教題:ブラームス考
説教者:白髭義 牧師
☆この1年 ルーテル二日市教会のブログを開いていただきありがとうございます。
新しい年もよろしくお願いします。
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月29日(日)
ある母からのXmasカード
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
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マタイ福音書のクリスマス物語は「ヘロデ、子供を皆殺しにする」を含んでいるという意味では、決して明るく楽しい物語とはなりえていません。クリスマス物語は世界中の画家が手がけたテーマですが、この幼児大虐殺を絵にしたいと思った絵描きはいませんでした。マタイは暗闇の中に住む民(4章)への光こそがクリスマスだと言いますが、その暗闇は誰も見たくはない人間の現実なのかも知れません。
ところで、兵庫県姫路市にある日ノ本幼稚園の保育士・縄晶子さんは、ある日の子ども礼拝で園児に質問をしました。その日は、神さまが創られた光を話題にしていたのですが、こんな質問をしたのでした。「神様が創られた光でも照らせない所はどこでしょうか」。
さて、この質問に子どもたちが困ったかというと、そんなことはありませんでした。なぜならすぐ「それは心や」という答えが返ってきたからです。長い年月キリスト教保育にたずさわってきた彼女と、その園に毎日通う子供たちの間だからこそ成り立つユニークなやりとりでした。彼女はこう言っています。「自信がなく暗く不安定な心に、いくら光を照らしても、心は明るくなりません。暗い心を明るくしてくれるのもやはり人の心だと思うからです。
ところで、同じ兵庫県の仁川教会付属保育園の保育士である大塚和子さんは『こどもの苦しみと喜び』という本を書きましたが、その中で「子どもは、いつも楽しそうで喜びにあふれていると思われがち」だが、それは違うと言っています。なぜなら大人のように彼らも苦しみ、悲しみ、不安を毎日体験しているというのです。
さてある日、大塚さんの園に、三歳児のA子が入園してきました。彼女には、一つ違いの兄がいました。A子は、3歳にしては語彙が豊富で、表現力豊かな子でした。園生活を楽しんでいたのですが、家に帰る支度をする時間は違いました。なぜなら、ガラッと態度が変わって、大泣きを始めたからです。それも毎日で、なだめてもダメ。もっと激しく泣きます。どうしてかな? いくら考えてもわかりません。
そこでもっと様子を見ることにしました。彼女は遊びに夢中の時は母親を忘れていますが、帰宅の時間に母親が姿を見せると、いきなり泣き始めることが分かってきました。しかも、その時は、靴やカバンを投げ飛ばし、色々親を困らせ、ついには親なのにあれしろこれしろと命令さえするのでした。母親を自分の意のままに動かそうとしているA子を見ながら、大塚さんはあることに気がつきました。
というのも、A子の隣の部屋には兄がいたからでした。母親を隣に行かせまいとしている。何が何でも自分に引き留めておきたいA子。そのことに大塚さんは気づいたのでした。そこでまず、母親から話を聞くことにしました。すると母親は言いました。実は彼女は、先に兄を出産したあと体調を崩しました。ところが、すぐ続いてA子を妊娠したので、乳飲み子の息子を実家に預けました。そして、A子を無事出産したのですが、家に帰ってきた長男をみて愕然としました。なぜなら、彼の顔は能面のように無表情だったからです。
母親は思いました。「これは、私が急にいなくなったためだ!」。その変化に驚いた彼女は何とかしなければという気持ちが強くなり、急速に息子のほうに心が傾いてゆきました。ところが、母親がそうなった時は、娘が母親をいちばん必要とする時だったのでした。このため、娘は反抗的になり、二人の間の心の距離が縮まらないままに、A子は大塚さんの園に入園したのでした。しかし入園後も、母と娘の間のトラブルは解消することなく、二人の距離はますます離れていたのでした。
この話をしながら母親は言いました。「あの子が愛せません」。この悲痛な言葉を聞いて、大塚さんは思いました。「A子の反抗は、自分だけの母親でいてほしいという願望の表れだ」。そこで大塚さんは母親に次の提案をしたのでした。「しばらくは、A子ちゃんの気持ちをそっくり丸ごと受け止めるだけにしてみませんか」。
これを聞いて驚いた母親でしたが、すぐ次の日から実行を始めました。しかも、黙々とでした。すると、A子のあの暴君ぶりが次第に影をひそめ始めました。それに代わるように、大きな変化も訪れてきました。なぜなら、A子の鼻歌が聞こえるようになったからです。
さて、母の日も間もなくというある日、A子は絵を描いていました。それは、父親と母親がいて、その間に自分が立っているという絵で、その自分はしっかり笑っていたのでした。大塚さんは言います。「今までとは違った力強い線でした」。こうしてA子は、あらゆる手を使って自力で、母との関係を取り戻したのでした。
さて、後日母親は大塚さんにクリスマスカードを寄こしました。それにはこう書かれていました。「今はA子を本当にいとおしく思っています。我が子ですけど、とても素晴らしい子どもだと思っています」。これを読んで思いました。「子は母に戻り、母は子に戻っていったのだ」。
さらに本にはこう書いていました。どんな子でも、泣くには必ず理由がある。泣けることはその子がしっかり感じ、考えている証拠である。つまり、自分を愛して欲しいと言っているのだ。大人はその眼差しをしっかり受け止めたいのである。
またこうも書いていました。大人と子どもは、強者弱者の関係ではなく、互いに助け合い、共に生きる関係を作ることが大事である。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)
次週 2025年1月5日 降誕節第2主日
説教題:ブラームス考
説教者:白髭義 牧師
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