日本福音ルーテル二日市教会 筑紫野市湯町2-12-5 電話092-922-2491 主日礼拝 毎日曜日10時半から

ルーテル教会は、16世紀の宗教改革者マルチン・ルターの流れを汲むプロテスタントのキリスト教会です。

12月29日

2025-01-03 16:31:43 | 日記
サムエル記上2:18~20,26 コロサイ3:12~17  マタイ2:16~21
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月29日(日)
ある母からのXmasカード
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 マタイ福音書のクリスマス物語は「ヘロデ、子供を皆殺しにする」を含んでいるという意味では、決して明るく楽しい物語とはなりえていません。クリスマス物語は世界中の画家が手がけたテーマですが、この幼児大虐殺を絵にしたいと思った絵描きはいませんでした。マタイは暗闇の中に住む民(4章)への光こそがクリスマスだと言いますが、その暗闇は誰も見たくはない人間の現実なのかも知れません。
 ところで、兵庫県姫路市にある日ノ本幼稚園の保育士・縄晶子さんは、ある日の子ども礼拝で園児に質問をしました。その日は、神さまが創られた光を話題にしていたのですが、こんな質問をしたのでした。「神様が創られた光でも照らせない所はどこでしょうか」。
 さて、この質問に子どもたちが困ったかというと、そんなことはありませんでした。なぜならすぐ「それは心や」という答えが返ってきたからです。長い年月キリスト教保育にたずさわってきた彼女と、その園に毎日通う子供たちの間だからこそ成り立つユニークなやりとりでした。彼女はこう言っています。「自信がなく暗く不安定な心に、いくら光を照らしても、心は明るくなりません。暗い心を明るくしてくれるのもやはり人の心だと思うからです。

 ところで、同じ兵庫県の仁川教会付属保育園の保育士である大塚和子さんは『こどもの苦しみと喜び』という本を書きましたが、その中で「子どもは、いつも楽しそうで喜びにあふれていると思われがち」だが、それは違うと言っています。なぜなら大人のように彼らも苦しみ、悲しみ、不安を毎日体験しているというのです。
 さてある日、大塚さんの園に、三歳児のA子が入園してきました。彼女には、一つ違いの兄がいました。A子は、3歳にしては語彙が豊富で、表現力豊かな子でした。園生活を楽しんでいたのですが、家に帰る支度をする時間は違いました。なぜなら、ガラッと態度が変わって、大泣きを始めたからです。それも毎日で、なだめてもダメ。もっと激しく泣きます。どうしてかな? いくら考えてもわかりません。
そこでもっと様子を見ることにしました。彼女は遊びに夢中の時は母親を忘れていますが、帰宅の時間に母親が姿を見せると、いきなり泣き始めることが分かってきました。しかも、その時は、靴やカバンを投げ飛ばし、色々親を困らせ、ついには親なのにあれしろこれしろと命令さえするのでした。母親を自分の意のままに動かそうとしているA子を見ながら、大塚さんはあることに気がつきました。
というのも、A子の隣の部屋には兄がいたからでした。母親を隣に行かせまいとしている。何が何でも自分に引き留めておきたいA子。そのことに大塚さんは気づいたのでした。そこでまず、母親から話を聞くことにしました。すると母親は言いました。実は彼女は、先に兄を出産したあと体調を崩しました。ところが、すぐ続いてA子を妊娠したので、乳飲み子の息子を実家に預けました。そして、A子を無事出産したのですが、家に帰ってきた長男をみて愕然としました。なぜなら、彼の顔は能面のように無表情だったからです。

母親は思いました。「これは、私が急にいなくなったためだ!」。その変化に驚いた彼女は何とかしなければという気持ちが強くなり、急速に息子のほうに心が傾いてゆきました。ところが、母親がそうなった時は、娘が母親をいちばん必要とする時だったのでした。このため、娘は反抗的になり、二人の間の心の距離が縮まらないままに、A子は大塚さんの園に入園したのでした。しかし入園後も、母と娘の間のトラブルは解消することなく、二人の距離はますます離れていたのでした。
この話をしながら母親は言いました。「あの子が愛せません」。この悲痛な言葉を聞いて、大塚さんは思いました。「A子の反抗は、自分だけの母親でいてほしいという願望の表れだ」。そこで大塚さんは母親に次の提案をしたのでした。「しばらくは、A子ちゃんの気持ちをそっくり丸ごと受け止めるだけにしてみませんか」。
これを聞いて驚いた母親でしたが、すぐ次の日から実行を始めました。しかも、黙々とでした。すると、A子のあの暴君ぶりが次第に影をひそめ始めました。それに代わるように、大きな変化も訪れてきました。なぜなら、A子の鼻歌が聞こえるようになったからです。
さて、母の日も間もなくというある日、A子は絵を描いていました。それは、父親と母親がいて、その間に自分が立っているという絵で、その自分はしっかり笑っていたのでした。大塚さんは言います。「今までとは違った力強い線でした」。こうしてA子は、あらゆる手を使って自力で、母との関係を取り戻したのでした。
さて、後日母親は大塚さんにクリスマスカードを寄こしました。それにはこう書かれていました。「今はA子を本当にいとおしく思っています。我が子ですけど、とても素晴らしい子どもだと思っています」。これを読んで思いました。「子は母に戻り、母は子に戻っていったのだ」。

 さらに本にはこう書いていました。どんな子でも、泣くには必ず理由がある。泣けることはその子がしっかり感じ、考えている証拠である。つまり、自分を愛して欲しいと言っているのだ。大人はその眼差しをしっかり受け止めたいのである。
 またこうも書いていました。大人と子どもは、強者弱者の関係ではなく、互いに助け合い、共に生きる関係を作ることが大事である。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 2025年1月5日 降誕節第2主日
説教題:ブラームス考
説教者:白髭義 牧師

☆この1年 ルーテル二日市教会のブログを開いていただきありがとうございます。
 新しい年もよろしくお願いします。
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12月15日

2024-12-20 09:29:34 | 日記
ゼファニヤ3:14~20、 フィリピ4:4~7  ルカ2: 8~21
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月15日(日)
「馬槽(まぶね)」」の中に クリスマス物語 その③
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 先週に続いて、ルカ福音書2章のクリスマス物語を考えます。ところで、先週はこう考えました。幼子が生まれたのは冷たく孤独な馬小屋ではなかった。そうではなく、一軒の民家で生まれたのである。・・・けれども、そう言われてもピンとこない人が大多数かもしれません。なぜなら私たちは今までずっと、神の御子は絵にあるような(汚くて、臭い)馬小屋で生まれたと思ってきたからです。
 なお最近は馬小屋とは言わなくなりました。なぜなら、新約聖書には馬という動物が出てこないからで、出てくるのは、牛やろば、羊だけだからです。馬は、戦争用の動物なので、聖書の田舎町で見かけることはなかったからです。
けれども、マリアは動物だけの家畜小屋で出産したのでもなかった。人間が普通に生活する民家で生んだのだ。先週はそう考えたのですが、あまり聞かない話であるかも知れません。

ところが聖書をもう一度読み直せば、新しい風景が見えてくるかもしれません。なぜなら、妻と二人で訪れたベツレヘムはヨセフにとって特別な町だったからです。なぜなら聖書には、ベツレヘムはダビデの町と書かれていましたし、ヨセフのことをダビデの家に属する血筋だったと紹介していたからです。
どういうことかというと、ベツレヘムはあのダビデ王の出身地だったので、ダビデの一族という人たちが大勢住んでいたからです。そして、ダビデ一族に戸籍上属するヨセフがその町にお里帰りするのですから、大歓迎されるのは当然だからです。
ところで、ルカ2章のこの話で気になるのは、宿屋という言葉です。2章7節には「宿屋には彼らの泊まる場所がなかった」と書かれているからですが、実はこの「宿屋」は翻訳ミスなのです。なぜなら、ベツレヘムには宿屋はなかったからです。というのも古代社会における宿屋は、政治・軍事面と品物の流通、経済面での必要上で作られた幹線道路に沿った町だけに配置されていたからで、それ以下のクラスの道路に沿った町、たとえばベツレヘムには宿屋はありませんでした。だから、2章の7節は翻訳ミスなのですが、正しく訳すならこれは「客間」なのでした。
ところで、ダビデ家の血筋のヨセフが帰ってきたのですから、人々は彼ら二人を丁重に扱おうとしました。もちろんヨセフは最初から宿屋はあてにしませんでした。こういう町に宿屋があるわけがないと知っていたからです。つまり、自分たちが泊まれるとしたらそれは親族の家しかないと分かっていたのです。さて、彼の親族は誰もが二人を自分の家に泊めたいと思いました。しかしその時期だけは、泊めることが困難な事情があったのでした。

さてその事情が、2節にある住民登録でした。なぜなら、ローマ皇帝の命令で住民登録という国勢調査が実施され、そのため人々は各自が戸籍上の出生地に戻って登録することになり、ベツレヘムもその理由で戻ってきた人に住民は自宅の客間を提供したからです。ヨセフが町に着いたときは、もうどの客間も埋まっていたのでした。だから、「宿屋(客間)には泊まる場所がなかった」と書かれたのでした。
しかし、そのためヨセフたちはベツレヘムの町に泊まれなかったのではありませんでした。なぜなら「客間は無理なんだけど、俺たち家族が寝泊まりする部屋の片隅でかまわなかったら泊まってゆきなさい」と誘ってくれる人が何人もいたからで、その一軒の家にお世話になることになったからです。
そして、このあとに2章6節が続くのです。「(さて)彼らがベツレヘムにいるうちに、マリアは月が満ちて子を産み、布にくるんで飼い葉桶に寝かせた」。近所の主婦たちが手伝いに駆けつけてきました。男たちは家から追い出されました。こうして、無事に生まれた赤ちゃんは飼い葉桶に寝かされたのでした。

というのも、泊った家は、半分が家族のためのスペースで、残りの半分で家畜が飼われていたからです。つまり、人間と家畜が共有するスペースの、同じ屋根の下に飼い葉桶もありました。ところで、この家畜と人が同居する構造の家屋は、日本でも関東から東北にかけて見られました。「曲がり家」と呼ばれたその建物は、アルファベットのLの字の形をしていました。ベツレヘムとは若干の違いがあるとしても、曲がり家に暮らす人たちは、居ながら土間の家畜の様子を見ることができました。それだけでなく、真冬でも、家畜の体温が伝わってくるので、家族はあたたかい夜を過ごすことができました。
なお、ベツレヘムに住んでいたのは大半が農家でした。だから、家を建てるときは、家畜と同居できる構造に設計したのでした。だからヨセフたちも、暖房効果抜群の家屋に泊まることができ、従って、生まれた赤ちゃんも、全然寒い思いをしなくてすんだのでした。
なお、こういう家には、二つのスペースの境になる位置に飼い葉桶が置かれていました。つまり人間の場所と家畜が寝起きする土間とのあいだに飼い葉桶があったのでした。だからマリアは、ほんの少し動くだけで、藁を敷き詰めた飼い葉桶に赤ん坊を寝かせ、またそこから取り上げてお乳をあげたり出来たのでした。
以上のようにクリスマス物語を見るなら、今まで見るうえで邪魔だったバリアが取り除かれる経験が出来るのです。そして、動物たちと人間が共にする暖かい場所で、神の子が生まれたのであれば、天使や羊飼いの喜びの歌声も実感として伝わってくるのではないかと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 12月22日 主の降誕主日
説教題:クリスマス物語 その4
説教者:白髭義 牧師
 一緒に礼拝に集い、主の降誕を覚えましょう‼

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12月8日

2024-12-13 15:03:45 | 日記
ラキ3:1~4、 フィリピ1:3~11  マタイ1:18~25、2:13~18
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月8日(日)
クリスマス物語①どこに泊まったのか
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 キリスト教の幼稚園や保育園で今の時期に行われるクリスマス劇で、子どもたちはこんな内容の演技をします。ベツレヘムに着いたヨセフさんとマリアさんは、泊めてもらおうと思って宿屋をたずねます。けれども、どの宿屋も「満員です」と言って断るのでした。するとある人が気の毒に思って、馬小屋でよければ使っていいですよ と言ってくれました。そこで二人は馬小屋に泊まることにして、その夜赤ちゃんイエスさまが生まれたのでした。ところで、この話、私たち大人には引っかかるものがあります。なぜなら、そこは馬小屋ですから、冷たい風が吹き込んできます。たしかに赤ちゃんはワラを敷いた飼い葉桶に寝かされるのですが、幼子イエスは、なぜそんな劣悪な環境下で生まれなければならなかったのか。本当にそれは悪臭に満ちた家畜小屋での誕生だったのか、考えてみたいと思うのであります。

 そこでまず注目してみたいのは、聖書の言う宿屋という言葉です。今の2章7節にありましたが、この「宿屋」こそ が問われなければならないと思うからです。ところで、この2章が言っていたのは、ヨセフ夫婦は泊まる場所がなかったということです。しかしこの「泊まれる場所がない」は、二通りの意味にとれるのです。そのひとつは、ベツレヘムの宿屋はどこも満員だったということです。そしてもう一つは、ベツレヘムには宿屋はなかったということなのです。
 そこで、「ベツレヘムには宿屋はなかった」から考えます。なお宿屋といっても大昔の話です。もちろん大昔でも宿屋は存在しましたが、東海道のような主要幹線沿いにしか宿屋はありませんでした。その道は政治・軍事そして商品流通の面で重要でしたから、街道沿いの都市や町には宿泊施設も整備されていました。
しかし、それ以外の町には、必要性がないので宿屋もありませんでした。その意味でベツレヘムも例外ではなく、従ってベツレヘムに宿屋はなかったのでした。しかしながら、7節には「宿屋には彼らの泊まる場所はなかった」と書かれているのです。聖書がそう言うから、ベツレヘムの宿屋を疑う人は一人もいませんでした。
しかし、この「宿屋」は翻訳ミスなのです。聖書の言葉はギリシア語ですが、「宿屋」と翻訳されたギリシア語は、ほんとうは「客間」と翻訳されなければならなかったのでした。それに、宿屋と訳した人がベツレヘムに宿屋は存在しなかったことを知っていたら、そのような翻訳ミスも避けられたのだと思われるのです。いずれにしても、これは宿屋ではなく客間なのでした。そして、それが分かれば、宿屋の問題も一挙に解決するのであります。

たしかに、ヨセフみたいなよそ者が「宿屋はない」と言われたらショックかも知れません。けれども、ヨセフたちは間違いなくベツレヘムに泊まったのでした。

ところで余談になりますが、あるキリスト教の幼稚園でクリスマス劇のリハーサルが行われました。舞台では、ヨセフとマリアがベツレヘムの町で、泊まれる宿屋をさがして歩くのですが、どの宿屋でも「満員です」と断られるのでした。するとその様子を観客席から見ていた一人の園児が「そんなに大変だったら、僕の家に行ってごらん、僕のお母さんならきっと泊めてくれるよ」と言ったのでした。
話を元に戻します。ヨセフとマリアは必ずベツレヘムに泊まれたはずだということが示唆されているのが2章4節です。こう書かれているからです。「ヨセフもダビデの家に属し、その血筋であったので、ガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町に上っていった」。ここで重要なことは、ヨセフがダビデ家、つまりダビデ族の一員だったことです。そして、ベツレヘムはダビデの町でした。ダビデの町とはダビデ族発祥の地という意味なので、そこに行けば、ヨセフと同じダビデ族の人間がたくさん住んでいるのでした。

さて、そうことですから、ヨセフがベツレヘムの町に入ってゆけば、同じダビデ家の人間として大歓迎を受けるのは日の目を見るよりもあきらかなことでした。そしてどの家からも、「わが家に泊まって行きなさい」と声がかかることもあきらかでした。ところが、それにもかかわらず聖書は「宿屋に彼らの泊まる場所がなかった」と言うのでした。もちろんそれは「客間には彼らの泊まる場所がなかった」と書き直す必要があるのですが、彼らは自分の家の客間に二人を泊めたかったのですが、その時期に限っては、どの家の客間もすでに先客が泊まっていたのでした。
これはどういうことかというと、2節に書かれているように、国家は国民に住民登録をするために自分の町に帰るよう命令を出していたからでした。つまり戸籍の上での町に帰る必要があったので、ヨセフもそれに従って帰ってきたのですが、同じ理由で帰省する人も少なくなく、そういう人たちのためにどこの家の客間が埋まっていたということなのでした。
けれども、そのためヨセフがピンチになったかというと、そうではありませんでした。なぜなら、親族たちは、客間は無理でも彼ら家族が住んでいる部屋でよければ遠慮なく泊まりなさいと言ってくれたからです。だから、そういう家の一軒に泊まったのがヨセフとマリアなのでした。だから彼女はその家で出産をした。
以上はクリスマス物語の、まだ最初の部分です。けれども、ここまでの話で言えることは、マリアは、冷たい風が吹き抜ける馬小屋でぶるぶるふるえながら出産したのでは決してないということなのであります。(日本福音ルーテル二日市教会)

次週 12月15日 待降節第3主日
説教題:クリスマス物語 その③
説教者:白髭義 牧師
 ※12月22日(日)18時半~
 愛と平和のクリスマスコンサート
女声合唱団:クールクール  ぜひお出かけください。
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12月1日

2024-12-06 15:36:50 | 日記
エレミヤ33:14~16、 テサロニケⅠ 3:9~13  マタイ1:1~6、16
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二日市教会主日礼拝説教 2024年12月1日(日)
ファミリーヒストリー≪五つのダイヤモンド≫
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私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 クリスマスが間近になりました本日の福音書はマタイ福音書1章です。なお、マタイ福音書のクリスマス物語はこの1章と2章です。
 ところで、マタイのクリスマス物語の特色は、背景が全て夜だということです。なぜなら、天使がヨセフにマリアを受け入れよと命じたのはヨセフが眠っていた時の夢の中でした。また、三人の博士つまり占星術の学者たちが行動したのも夜中。なぜなら、星の導きなしには馬小屋にはたどりつけなかったからです。なお、そのあとの「エジプトに避難する」では、ヨセフの家族に危険が迫ったことを天使が知らせたのもやはり夢の中でしたし、だからヨセフはただちに家族を連れて「夜のうちに」エジプトに向かえたのだと2章に書かれているからです。

 このように、マタイのクリスマスは終始一貫夜なのですが、そのことと今読んだイエス・キリストの系図は関係しあっています。なぜなら、この系図には五つの≪ダイヤモンド≫が真夜中の星のように光り輝いているからです。その五つは五人の女性のことです。なぜならこの系図にある名前はほとんどが男性なのに、五人だけ違うからです。その五人は今から見ますが、最初に言っておきたいのは、五番目の≪ダイヤモンド≫はマリアだということです。
それでは4人の名前をまず明らかにします。最初の女性はタマルです。1章の3節に出てきます。次がラハブで、5節に出てきます。三番目の女性はルツで、同じ5節にあります。最後の女性は6節ですが、ウリヤの妻として出てきます。
ところで、キリストの系図は、マリアのファミリーヒストリーになっています。その観点で一人一人を見てゆきますが、最初は創世記28章のタマルです。タマルはエルという男に嫁ぎましたが、彼は子を残さず死にました。その場合は夫の兄弟と結婚し、必ず跡継ぎを残すというのが、当時の律法の定めでした。しかしその再婚相手も子を残さず死にます。このため舅は、この女は疫病神であると思い、まだ男兄弟が他にいるのに、彼女を実家に強制的に帰してしまいます。しかし後日、彼女は商売女に変装し、路上で舅に近づき誘惑し、のちに妊娠します。その行為があった時、遊女への支払金はあとで人に持たせると男が言うのに対して、その約束の証拠を今ここに置いて行くよう要求し、男は印章(今の印鑑)を渡したが、彼女はそれを受け取ると姿を消しました。さて彼女がその時の子どもを産むにおよんで、それは不義の子、姦通の末の子なので女は律法の定めどおり死刑にすると怒る舅の前にあの印章を示し、律法違反は再婚の道を強制的に断ち切ったあなたのほうだと反論したという話です。

 さて二番目はヨシュア記2章のラハブです。彼女は異邦人で売春婦でした。自分の国に潜入したイスラエル人を匿いつつ自分たちの神よりも敵の神のほうが強いと判断し宗教上の寝返りを約束してスパイを脱出させました。のちに国がイスラエルによって全滅した時も彼女とその家族だけは生き残りが許されたという話です。
 さて三番目は、ルツ記のルツです。旧約にルツ記によれば、彼女も異邦人でモアブという地の女性でしたが、イスラエルから移住した女性ナオミの息子と結婚しました。しかし彼が早くして死んだ時、自分は生涯 姑とは離れないと決心し、ルツもナオミの故郷に共に帰りました。そして、その土地にいたナオミの親族の男性ボアズと結婚するのですが、ルツ記は結婚前のいきさつを詳しく記します。それによると、ルツは夜中にボアズがまだ入ってこない寝床の中に忍び込み彼を待ち受けていた。これには、ボアズも理解してくれた立派な理由があったのに、部外者たちからはしたない、慎みのない女だとも思われていたという話なのです。
 さて、四番目の女性はサムエル記下11章のいわゆる「ウリヤの妻」です。この女性はウリヤという名前の軍人の妻でしたが、その美貌のためある時ダビデ王の目に留まり宮中に呼ばれ妊娠させられます。そのあとダビデは卑劣な手段でウリヤを死に追いやり、彼女を正規の妻として王宮に迎えます。これは、非は明らかにダビデにある話ですが、彼女はいつまでもなよなよしていたどころか、のちにソロモン王の母となり自分の地位をしっかり築いたという話になっています。

 以上が、イエスの母マリアのファミリーストーリーですが、それにしても4人の先祖が、清く正しい生き方の手本にならないことには驚かされるかもしれません。しかし、マタイ福音書の著者は、だからこそマリアもダイヤモンドだと考えていました。なぜならこの4人はいざとなれば規格外の行動に及び、男性や権力者の前でもたじろぐことがなかったからで、その意味ではマリアも同じだったからです。
 話は変わりますが、アメリカの女性の神学者シャーリー・ガスリーという人はこう言っています。「クリスマスは、人間が一年中ずっと住み続けている現実世界に神が入ってきたというお話である。つまりそこは、政治的な不安や不正があり、貧困、憎しみ、ねたみがあり、自分と異質なものに対する恐れがある世界に神が決定的に入ってきたという物語である。クリスマスになると教会では、「光は暗闇の中で輝いている(ヨハネ1:5)」という言葉が読まれるが、マタイは、そこに光が輝き出たという暗闇がどんな暗闇であったのかを告げようとしているのである。実はそれは、わたしたちが生きている場所にあるのと同じ暗闇なのである。」 その暗闇の中をマリアも生き、そのため後世に≪ダイヤモンド≫と讃えられたというのがクリスマス物語なのです。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)

次週 12月8日 待降節(アドベント)第2主日
説教題:クリスマス物語 その2
説教者:白髭義 牧師

12月22日(日) クリスマス主日礼拝 10時半からです。
12月22日(日) 愛と平和のChristmasコンサート 18時半から

🎄おいでください。
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11月24日

2024-11-27 14:24:32 | 日記
ダニエル12:1~3、 ヘブライ10:11~14、19~25  ルカ15:25~32
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二日市教会主日礼拝説教 2024年11月24日(日)
「放蕩息子のたとえ その3.レンブラントの場合」☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧☧
私たちの父なる神と主イエス・キリストから、恵みと平安が皆さま一人ひとりの上にありますように。アーメン。
Ж
 イエスのたとえ話「放蕩息子」の三回目です。ある父親に二人の息子がいて、弟のほうから頼んで遺産相続をしてもらい、それを金にして遠い国に行き、そこで使い果たしついに豚飼いになったのだが、極度の空腹に襲われ、それが引き金で、パンが山ほどある父親の家の帰る決意をします。帰宅するにあたり彼は、父に会った際に言うセリフを準備しました。ところが、帰るなりいきなり父親が走って来て彼を抱きしめたため、彼は言う言葉を失います。父親は無条件に弟息子を受け入れたのでした。

 ここまでが前回の話でした。本日はそのあとの15章の25節からで、兄息子の登場で始まります。さて、畑にいた兄は帰ってくると、家の外で音楽や踊りのざわめきを耳にしました。腑に落ちないので、近くにいた家の僕にわけを聞くと僕は、あなたの弟さまが無事な姿で帰ってこられたので、御父上がお祝いの宴会を始められたのでございますと、事務的に返事をしたのでした。
 僕の口の利き方で火に油を注がれた兄は烈火のごとく怒り始めました。こう書かれています。「兄は怒って家に入ろうとしなかった」。その宴会は父が弟息子の帰還の喜びの絶頂で始められたのですが、兄はそれに対して距離を置こうとしたのでした。なぜなら、弟は彼の前で土下座し謝罪をするわけではなかったからです。自分のプライドを踏みにじられ、事前に兄息子の考えを聞こうともしなかった父親が一方的に弟を赦したことになじまない兄は父に抗議しました。
 「私は何年もお父さんに仕えています。言いつけに背いたことは一度もありません。それなのに、私が友達と宴会をするために、子山羊一匹すらくれなかったではありませんか」。兄は、自分の目に映る父親のあまりの不公平さに我慢がならないのでした。父に対して不従順だった弟に較べてもそれ以下の扱いを受けてきたというのでした。
 そして彼は叫びました。「ところがあなたのあの息子が、娼婦どもと一緒にあなたの身上を食いつぶして帰ってくると、肥えた子牛を屠っておやりになる」。兄は長い年月厳しい労働に耐えながら頑張ってきたのに、弟は快楽を楽しむような生活を送ってきた。この世の享楽を堪能し、ダメになると過去をチャラにしてもらおうという魂胆で帰ってきたのだ。兄のクレームははてしなく続いてゆきます。

 ところで、17世紀のヨーロッパの画家レンブラントは、放蕩息子の絵をたくさん描いています。彼は1606年に生まれて1669年に亡くなっていますが、その63年間の人生を放蕩息子そのものだととらえていたようです。そして、その最晩年に描いた絵は『放蕩息子の帰宅』という題でエルミタージュ美術館に所蔵されていますが、登場人物が等身大で描かれた大作です。
放蕩息子ですから、その絵には必ず父親も登場するのですが、どの絵も慈愛と憐みに満ちていますが、『放蕩息子の帰宅』の父親も例外ではありません。また、その前にひざまづいている弟息子はぼろをまとい、それまでの日々がいかに悲惨なだったかをリアルに思わせてくれます。
 ところで、この晩年の作品には、どうやら兄らしい人物の姿も見えています。その人物は沈黙を守り続け、背をまっすぐ伸ばし、手を固く腕組みしていて、いかにも傍観者という感じで、冷たい心の持ち主の印象を与えてしまいます。ルカ福音書15章25節以下に出てくる兄息子を、レンブラントはそのように絵にしたのでした。

 ところでこの聖書(ルカ福音書15章)は、兄息子がこのあと父親の呼びかけに応じて宴会場に入ったのかどうなのかについては書いていません。つまり、読む者が想像する以外にないのです。その意味でレンブラントも想像をめぐらし、その結果画家としての結論を絵にしたのでした。
どういうことかというと、この絵での兄息子は赤い色の外套を肩にかけているのですが、父親の肩にも赤い色の外套がかけられているからです。つまりレンブラントは、親子二人に同じ色の外套を着せることによって、二人の間にある深いつながりを暗示していたと思われるからです。
そして、この絵が彼の最晩年の作品であることは、長い人生を振り返っての感慨が絵になっていると言えるのかも知れません。なお、父と息子の外套の色が赤であることは、その色が愛、すなわち神の愛を示唆したのかも知れません。しかし、にもかかわらずこの兄は、自分の着ているものが父のと同じ色であることに気がついていないと解釈するのも絵の鑑賞の仕方として成り立つかもしれないのであります。
レンブラントが、自分自身を弟息子に重ねていたのか、それとも兄息子にか。それはともかく、誰もが神の愛に受け入れられているのだという画家の確信が、この絵から読み取れるのではないかと思うのであります。(日本福音ルーテル二日市教会牧師:白髭義)


次週 12月1日 待降節(アドベント)第1主日
説教題:クリスマス物語 その①
説教者:白髭義牧師

クリスマス主日礼拝は12月22日10時半からです。
午後6時半より 女声合唱団クールクールによる『愛の平和のChristmasコンサートがあります。どなたもおいでください。
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