工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

映画が恋した音楽家

2023年02月08日 | ときどき映画
 公開中の「モリコーネ 映画が恋した音楽家」を先日観てきました。エンニオ・モリコーネについては亡くなったときにブログでご紹介していますが、晩年の彼をジュゼッペ・トルナトーレ監督が密着しており、本人のインタビュー映像と関係者の証言でつづったのがこの作品です。
 既に「エンニオ・モリコーネ 自身を語る」という本で、本人の半生や思いなどを知ることができましたが、映画ではより時系列的に彼の人生を見つめることができます。トランペット奏者の父の指示によって音楽院に進み、やがて作曲を学んだ後、ポップスの編曲で糊口をしのぎ、やがて映画音楽を仕事の中心としていった様子が本人の口から、そして周囲のインタビューから明かされていきます。同じ音楽の道を歩むことになった父との葛藤、音楽院での「正統な」音楽教育を受けた人間が、B級とも言うべきマカロニ・ウェスタンの音楽で評価されたことに対する周囲と本人の複雑な思い、特に音楽院の恩師との関係などは、一つのドラマを見ているように感じました。もともとマカロニ・ウェスタンの仕事では偽名を使っていたくらいなので、本人にもある種の負い目のようなものがあったのかもしれません。
 また、若き日に実験的な音楽(楽器だけでなく、様々な道具なども含めて)にトライしたことが、後の作曲に役立てられたことも知りました。マカロニ・ウェスタンの楽曲では口笛あり、金床ありという感じで効果音のような形で音が入っていますが、若き日の経験が本人の引き出しを作っていたように感じました。
 映画音楽で評価されつつも、本人は時が来たら止めたいとずっと思っていたようです。トルナトーレ監督と初めて組んだ「ニュー・シネマ・パラダイス」についても最初はオファーに対して乗り気ではなかったものの、脚本を読んで作曲を決めたそうです。映画音楽については監督のイメージを具現化する立場ですから、さまざまな性格の監督と話し合いながら作品を作り上げていく苦労もあったかと思います。
 だいぶ経ってから自身で作りたい交響楽と映画音楽が収斂していった、と述懐していますが、きっとそれはある種の境地に本人が達したということなのでしょう。また、ノミネートされながらもオスカーからは遠い日々が続いていましたが、2006年にそれまでの功績をたたえてアカデミー名誉賞を受賞しています。さらにタランティーノ作品で2015年に作曲賞を受賞しており、生涯現役を貫いたことを示すエピソードでもあります。オスカー像を一番の理解者であり、批評家であった夫人に対して掲げる映像は「やっと獲ったぞ」と心の中で叫んでいるようにも見えました。
 本人のインタビューだけでなく、関係者の証言も大変興味深いものがありました。イタリア映画の監督、関係者、ジョン・ウィリアムズやハンス・ジマーといったハリウッドの映画音楽の巨匠、イーストウッドら俳優、そしてブルース・スプリングスティーンといったロック・ポップス界の人たちまで、それぞれが作品への経緯と本人への愛情をこめて、たっぷり語っています。
 そしてこの映画、とにかくモリコーネ自身の言葉に含蓄があり、ノートに書き留めておきたくなるくらい心に響きました。ものを作る、何かを表現するといったことを生業に、そうでなくても生涯の楽しみとしている人にも、ぜひ観ていただきたい映画です。トルナトーレ監督らしく、2時間半という長い作品ではありますが、きっと得られるものはあると思います。


左が映画パンフ、右がインタビューによる自叙伝である「エンニオ・モリコーネ、自身を語る」

 

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あの映画の続編が公開されたのであの映画まで話題になって・・・

2022年06月19日 | ときどき映画
 このタイトルでは何のことだよ、とお𠮟りを受けてしまいますね。トップガンの続編「トップガン マーヴェリック」が公開され、ヒットしていると聞きました。前作はF-14が「主役」でもあったわけですが、現代の米海軍の空母にはF-18Eスーパーホーネットが昔風の言い方をすれば艦上戦闘機だけでなく、艦攻、艦爆の仕事までしており、F-14だけでなく、A-6イントルーダーやF/A-18Cあたりの海軍機を生で観ている私にとっては時代が変わったのだなあと思わせます。
 トップガンの公開で、かつて日本でも同じような映画が作られた、という話がネットに出ていました。その映画は「ベストガイ」(村川透監督)と言い、平成2(1990)年公開の東映映画でした。織田裕二扮する若いイーグルドライバーが、千歳基地の第201飛行隊を舞台に最高の戦闘機乗りの称号「ベストガイ」を目指す、というものでした。
 ネットやウィキペディアでの書かれ方ですとマイナス評価ばかりで、織田裕二の「黒歴史」とまで書かれていたものもありました。私はこの作品、映画館で観ていますし、テレビでも観ました。F-15Jが好きということもありますが、実機を使ったシーンも含めて、なかなか良くできていたと思います。織田裕二と長森雅人(無名塾出身の俳優さんで、この作品が邦画デビュー作だったようです)の二人がライバルとして描かれますが、特に織田裕二演じる梶谷二等空尉は確かに戦闘機パイロットを演じるには少し若いかな、という感はありました。湾岸署の青島刑事どころか、東京ラブストーリー「以前」ですから当然です。ただ、パンフレットを読みますと織田裕二はもともと軍事、航空等に興味があって、この作品も喜んで引き受けた、とあり、インタビューでも自衛隊に体験入隊して、F-15Jの離陸滑走も体験(空に上がることまではしていないようですが)して興奮したと語っています。
 また、隊長役の黒沢年男、主人公の上官役の古尾谷雅人の二人が「航空自衛隊のパイロットで本当にああいう感じの人っているよね」と思わせ、当時のオレンジ色のフライトスーツが良く似合っていました。黒沢年男はインタビューで「隊員の生活臭のようなものを見せたい」と言っていますし、古尾谷雅人演じる主人公の上官が民間航空からの誘いを受けて悩むという航空自衛隊のパイロットらしいシーンも出てきます。さらに、特撮ものではおなじみの小林昭二が飛行機を愛するベテラン整備員として出演しており、パイロット役に比較的若い俳優陣が多い中、これらの中堅・ベテラン組が画面を引き締めていました。
 そんなこの映画ですが、自衛隊=ダサいという印象があったのか、興行成績も芳しくなかったようです。オレンジのフライトスーツの上に着るジャンパーも映画オリジナルのオリーブドラブ色にして、何とかかっこよく見せようとしていました。当時はまだ紺色のジャンパーが幅を利かせていたころですからね(私は紺色も大好き)。東西冷戦終結の頃に作られた映画ということもあり、なかなかこういう軍事ものの作品は難しかったのでしょう。ただ、この時代は邦画にとっても厳しい状況が続いており「ベストガイ」だけが悪かったとは言えないように思います。
 そしてこの時代、まだ女性自衛官には就ける職種が限られていたこともあり、女優陣もロック歌手のビデオクリップのために基地を取材に訪れているヒロイン役の財前直見など限られています。2008年の映画「救いの翼 Rescue Wings」では女性のヘリパイロットが主人公となっていますし、現在では戦闘機パイロットにも女性が進出していることを思うと、隔世の感がございます。
 この作品ではCGを使った特撮シーンもありました。現在では否定的な評価になっているようですが、公開当初はミニチュアをいつまでもピアノ線で吊る時代でもないでしょ、ということで肯定的な評価だったと思います。ソ連の機体を追尾するシーンでCGが使われていますが、現代のように作りこまれているわけではなく、いくばくかの違和感もあったのは事実です。それでもこれからはああいうシーンももっとリアルになるんだろうな、と思って観ていました。
 そんなわけで公開から30年経ちますが、続編を作るとしたらどうなるでしょうか。年を重ねてもなおイーグルを駆り、若いパイロットにとって「壁」として立ちはだかり、米軍のF-22や空自のF-35を返り討ちにしたり、中・ロの爆撃機が日本近海に現れるとそれをひたすら追尾し、燃料がなくなる寸前まで追い続け、中ロ双方から「あいつ頭おかしい」と言わしめたり、中国版Su-27の後ろに回り込んでヒヤリとさせ、年をとっても相変わらずのやんちゃっぷりを見せるというのはどうでしょう。もちろん基地の管制官はオリジナルと同様竹中直人といきたいところです。
 F-14はいろいろな作品で「主役」級の働きをしていますが、F-15はなかなか傑作と言う作品は無いように思います。その上でまだご覧になっていない方にお勧めしたいと思います。また、私がこの映画を好きな理由、大事な場面で私の好きな救難ヘリのバートルが出てくるから、というのもあります。どこで登場するかは観てのお楽しみ、ということにいたしましょう。

(映画のパンフレット)

(同じくパンフレットから。左のページにベテラン俳優陣の姿が見えます)

(モデルアート・1990年12月号のF-15特集でも採り上げられました。ハセガワも公開に合わせて1/48、1/72の二種をリリースしていました。1/72の方は凸モールドのキットです。)






 
 

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男たちの熱き戦い

2020年02月12日 | ときどき映画
 こんにちは。
 ブログを少々ご無沙汰しておりました。公私ともに忙しいのと、工作台の方も忙しくなっており、いずれこのブログでご紹介する作例も含めて作っている模型がありまして、今月初の記事となりました。
 先日、映画「フォードvsフェラーリ」を観に行ってきました。「パラサイト」の作品賞等受賞で話題になった今年のアカデミー賞ですが、本作も2部門で受賞しました。私が観に行ったのは1月下旬でしたが、平日の夜の回でかなり混みあっておりました。モータースポーツの映画ですと、何年か前に「RUSH プライドと友情」があり、あちらは観客の年齢層が比較的高めという印象でしたが、こちらは若い方も随分見かけました。
 この「フォードvsフェラーリ」ですが、1960年代にル・マン24時間レースでフォードとフェラーリが熾烈な争いを繰り広げた出来事をベースにしております。もちろん、実話に基づくフィクションですので史実と多少違うところはありますし、ネタバレになる話を書くのも野暮ですのでここでは触れませんが、フォードがフェラーリの買収交渉(これは実際にあった話です)を進めるものの、ご破算に終わった上にフェラーリのトップ、エンツォ・フェラーリから屈辱的な言葉まで浴びせられ「負けるもんか、絶対にル・マンで絶対王者となっているフェラーリを破って見せる」とばかりにマシンを開発し、レースに挑んで・・・というストーリーが展開していきます。史実とは違う、と書きましたが、それでも冒頭にボンデュラント、ランス=リベントロウ、ギンサーといった懐かしいドライバーの名前も出てきて、私などは一気に引き込まれました。
 本作ではフォード(マーケティング戦略を担当するリー・アイアコッカ)の命を受けてマシン開発とレース活動を行ったキャロル・シェルビー(マット・デイモン)と、シェルビーの下でマシンをテストし、作り上げていくイギリス人ドライバー、ケン・マイルズ(クリスチャン・ベイル)の二人を軸に物語が展開します。キャロル・シェルビーはモータースポーツやスポーツカーに興味のある方にとっては有名ですが、ケン・マイルズはよほどレースの歴史に興味のある人でないと分からないかと思います。そしてこのマイルズという人物、映画ではとても真っ直ぐで、純粋で、歯に衣着せぬところもあり、でも自分の仕事には人一倍誇りを持っている魅力ある男として描かれています。粗にして野だが卑ではない、というキャラクターですが、それゆえにフォード本社にとっては少々面倒くさい存在であるわけで、当然彼を嫌う人物もいるわけです。大きな組織にとってはこういう人は「面倒くさいベテラン」なわけで、私も本業の仕事に関しては多少そういう性格なものですから、こういう人は嫌われるよな、と思いながら観ておりました。「RUSH」はドライバー二人のライバル関係と友情を主に描いていましたが、こちらは人間対人間というより、人間対組織、組織対組織の側面が描かれています。
 こうして、フォードはル・マンに向けて「フォードGT40」というマシンを開発するもののフェラーリに跳ね返され、ついに1966年のル・マンにGT40、さらにはその発展型のGTⅡを持ち込み・・・ということでここから先は映画館でのお楽しみ、といたしましょう。GT40はいかにもアメリカ車らしい格好いいスタイルですし、フェラーリのP330は流麗なスタイルの実に美しいマシンです。この二つの車もまた、本作のもう一つの主役という感があります。なお、フォードGT40については、映画では「イギリスからマシンが届いた」のセリフで片付けられていましたが、実際にはイギリスのローラ社がシェルビーと協力して車体を作っています。
 私もフォードのル・マン挑戦に関してはものの本で「フォードは物量作戦を展開して・・・」ということしか知りませんでしたので、知っている話も、知らない話も含めて楽しめました。登場人物はケン・マイルズ夫人を除けばほとんど男という、実に男臭い映画ではありますが、もちろん女性が観てもドラマとして面白いと思います。サーキットでレースを観た後の満足感や心地よい疲労感と同じ気分を味わいながら映画館を後にすることができました。
 
 映画の中では、エンツォ・フェラーリがファクトリーの中でテーブルを出して食事をしているシーンが出てきます。「RUSH」でもテストコースでマシンが走り抜ける傍で新聞を読む場面がありました。神秘に満ちたエンツォの姿を描いているということなのでしょうが、エンツォ・フェラーリ本人が観たら「俺、あんなことしないよ。落ち着いてご飯食べたいし、新聞も静かなところで読みたい」と言うかもしれません。これがホンダなら白い作業服の本田宗一郎がスパナで殴ったり、工場の床にチョークで図面を描き始めたりするのでしょうか!?

 余談ですがこの映画のパンフレットにはキャストやスタッフが「初めて自分でハンドルを握った車」を聞かれて答えており、これがなかなか面白かったです。マット・デイモンは兄から買った1986年型のホンダ・アコードで大好きだったと言っています。80年代以降、日本車は(嫌われるくらい)世界を席巻していたわけですが、アメリカ勢も黙っていませんでした。例えばクライスラーは企業努力の甲斐もあって80年代に業績を回復させています。そのクライスラーを率いたのが、フォードを追われたリー・アイアコッカだったことは、ある一定の世代以上の方ならご存知でしょう。

 この映画を観た前後で、1966年のル・マンやら、登場人物たちのことを調べておりました。ここでは書ききれなかったので、稿をあらためて、1966年のル・マンとその周辺に関する話も(映画のネタバレにならない程度に)したいと思います。
 


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イタリア映画祭2019

2019年04月28日 | ときどき映画
 10連休が始まりましたが、皆様はいかがお過ごしでしょうか。
 毎年この時期には、有楽町の朝日ホールでイタリア映画がまとめて上映される「イタリア映画祭」というイベントがあり、この10年ほどは何本かイタリア映画を観るのが恒例となっています。
 私自身、もともとイタリアの歴史、文化に興味を持ち、イタリアを何度か訪れるうちに、イタリア社会に対しても興味を持つようになりました。一時期はイタリア語の学校にも通っていたのですが、映画は語学の学習にもうってつけで、社会背景なども知ることができるので、今も楽しみなイベントとなっています。
 やや難しいテーマや重いテーマのものから、理屈なしで楽しめるコメディまで、イタリア本国で話題になった作品が上映されており、反響の高さから後に劇場公開されるものもあります。
 今日、私が観たのは「帰ってきたムッソリーニ」という作品でした。これは以前日本でも公開された「帰ってきたヒトラー」のイタリア版リメイクという位置づけです。「帰ってきたヒトラー」について、私は原作の日本語訳を読んだだけですが、現代に蘇ったムッソリーニがネットの動画を経由してテレビの人気者になり・・・というあらすじも「ヒトラー」と同じです。
 ちょうど今日、4月28日というのは1945年にムッソリーニがミラノで処刑された日でもあり、それを選んで本日の上映となったのでしょう。余談になりますが、終戦直後日本の映画館で最初に上映されたニュース映画のうちの一本が、このムッソリーニの処刑の場面だった、と亡父が話していました。
 この作品はコメディータッチではありますが、途中途中で一般市民へのインタビュー映像も挿入され、半分ドキュメンタリーのような形で進んでいきます。映画祭に合わせて来日した、この作品のルカ・ミニエーロ監督が上映後に観衆の質問に答える形でこの作品について語っていたところでは、イタリア人のファシズムに対する評価がドイツのナチズムに対する否定の仕方とは違う(イタリアの方がやや寛容という意味で)、といった趣旨の発言もありました。車に乗って行進するムッソリーニ(もちろん実際には役者さんが演じている訳ですが)に対して、ファシズム式の敬礼をした一般市民もいたということで、ドイツと同様、本来禁止されている行為ですので、イタリア本国での公開時にはショックを受けた人もいたそうです。今日のイタリアでは、移民や難民の問題、少子化や貧困層の存在、経済の低迷など、重い問題をいくつも抱えています。そういった社会に「救世主」として映りかねない人物を主人公として映画化したわけですが、ちょうど彼の地の総選挙に合わせて公開されたこともあり、大変な反響だったそうです。ムッソリーニの演説や大真面目なセリフが時には笑いを誘うわけですが、ここで笑われているのはむしろ我々観衆なのでは、と思わされる場面もありました。
 テーマがテーマなので連休早々、少々重い話になってしまいました。この作品は映画祭での上映は今日一回限りでしたが、秋にはロードショー公開されます。もし、秋になったら見に行きたい、という方は、彼の伝記なり、あの時代のことが分かる書籍なりを読んでから見ると、一層理解が深まるかと思います。

 5月4日まで映画祭は開催されます。最近の作品が中心ですが、過去に評価の高かった作品も上映されるということで、私もあと何回か足を運ぶことになりそうです。作品によってはイタリア社会のことをある程度知らないと入っていけないものや、結末がきちんと示されず、観衆に答えを任せるものもあるかもしれませんが、ハリウッドや日本映画とも違うテイストの映画を味わいたい方にはお勧めします。イタリアってこれまで知らなかったけど、いい役者さんが本当に多いです。
 



 
 
 

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