前回の「ワーゲン占い」、早速本ブログの読者(昭和41年生まれ・男性)から「赤いワーゲンは恋愛運だけど消防なら火難の相かも」といったメールをいただきました。子供の日にしばし童心に還った元・男の子たちもいらっしゃったようですね。
今回はこのコロナの時代を生きている子供が出てくる本の話です。
昨年の暮れ、三栄から「ピット・イン」(いしいしんじ著、いしいひとひ絵)というエッセイ集が出版されました。雑誌「AUTOSPORTS」に連載されているエッセイをまとめたもので、著者のいしいしんじ氏の文章に小学生の息子の「ひとひ君」のイラストが載せられており、私も雑誌掲載時に読んだことがあったので、ちょっと関心があり、今年に入ってからですが買ってみました。
毎回、著者と息子の間で交わされる会話を軸に、直近のレースのこと、レースと同じくらい好きな馬のこと、日常のことなどがつづられています。「ひとひ君」は乗り物好き、とりわけ自動車と自動車レースが好きな男の子で、これは洋の東西を問わないでしょう。ただ、CS放送でF1をながら見している私と違って、F1も、WRC(世界ラリー選手権)も、日本のスーパーフォーミュラもスーパーGTも同じくらいの愛情と熱量を持って見ている様子が伝わってきます。彼はこう言います「レースは、いいとか、わるいとか、ないねん。レースは、ぜんぶ、すばらしいん」と。子供時代に自分の周囲が自分の好きなもので満たされていて、それを中心に日々が回っていくということは、その「もの」の多寡や質の高低と関係なく経験された方もいらっしゃるのではないかと思います。いずれ、社会とか、理不尽な仕事とか、ローンだとか、年金だとか難しい大人の世界を経験するわけで、それと関係なく生きられる時間というのは幸せなことであります。
「ひとひ君」は熱量と愛情を持って見ているから、レースへの観察眼は大人顔負けです。子供らしい願望や感想を漏らすこともあるし、「フェルスタッペンくん」を応援しつつも「現在」の無敵ドライバー、ルイス・ハミルトンに対しては「かなん(かなわん)なあ、かなん、かなんで!」と感嘆し、セナの古い映像(黒いロータス・ルノー時代)を観れば「やっぱり最初からすごいんやなあ、こんなんでマクラーレン行ってホンダのエンジンやったらみんなかなんなあ」、「みんながクラッシュしたときはやっぱしプロストが行くんやなあ」と感想を言うあたり、本当によくわかっています。
だから大人たちも彼を子供扱いせず、レースと車が好きな者同士として対しています。「日本一速い男」星野一義監督が「ひとひ君」にかけた激励の言葉、これは本書を読んでいただいてのお楽しみですが、いかにもこの人らしいなと思いました。
将来は「ニューウェイさん」(多くのチャンピオンマシンを生み出したデザイナー、エイドリアン・ニューウェイ)のようになりたい、という「ひとひ君」ですが、その夢がかなうのか、それとも他の道を進むのかは分かりません。成長していけばほかに興味を持つ対象も出てくるかもしれません。でも、レースや自動車が人一倍好きな、日本や世界にたくさんいる「ひとひ君」たちは、大きくなってもサーキットに足を運び続けたり、一度遠のいても戻ってくるのではないかと思います。もちろん、自動車だけでなく、鉄道だったり、飛行機だったり、これは他の対象とて同じで、子供の頃に誰より深く愛情を注いだものというのはなかなか忘れないものです。もし子供時代に好きだったことを仕事に選ぶとしたら、それが直接的でなく、間接的に関係する仕事であっても当人にとっては幸せなことだ、仕事で知り合ったあるキャリアカウンセラーさんから聞いたことがあります。もちろん、職業として選ばなくても、自分の楽しみとしてずっとつき合い続けることもできましょう。でなければ40年以上も鉄道模型とつきあいつづけ、深夜のリビングで買ってきたC62を走らせたり、何編成目かの583系をお店に予約したりしないでしょう?
本書に戻りますが、著者のいしいしんじ氏自身の観察眼やレースへの感想は非常に深く、それも本書の魅力であります。ニキ・ラウダが健在だったころのメルセデスのピットガレージの様子を指し、代表のトト・ヴォルフとラウダがいるピットはSF映画の宇宙船の指令室のよう、と形容するくだりには私も強く同感しましたし、中嶋悟、一貴父子の走りに共通するものを「ずっと観ていたくなる走り」、「勝ち負けより、なにか起こりそうなドラマティックなドライビング」と述べているあたりは、私(もしかしたらF1やモータースポーツに無縁だった多くの日本人が)がなぜ中嶋悟に感情移入したのか、腑に落ちた感がありました。
巻末に書き下ろしの短編小説「ブルドッグのアイルトン」も収められています。セナの命日のこの季節に改めて読み返しておりますが、こちらもお勧めです。
今回はこのコロナの時代を生きている子供が出てくる本の話です。
昨年の暮れ、三栄から「ピット・イン」(いしいしんじ著、いしいひとひ絵)というエッセイ集が出版されました。雑誌「AUTOSPORTS」に連載されているエッセイをまとめたもので、著者のいしいしんじ氏の文章に小学生の息子の「ひとひ君」のイラストが載せられており、私も雑誌掲載時に読んだことがあったので、ちょっと関心があり、今年に入ってからですが買ってみました。
毎回、著者と息子の間で交わされる会話を軸に、直近のレースのこと、レースと同じくらい好きな馬のこと、日常のことなどがつづられています。「ひとひ君」は乗り物好き、とりわけ自動車と自動車レースが好きな男の子で、これは洋の東西を問わないでしょう。ただ、CS放送でF1をながら見している私と違って、F1も、WRC(世界ラリー選手権)も、日本のスーパーフォーミュラもスーパーGTも同じくらいの愛情と熱量を持って見ている様子が伝わってきます。彼はこう言います「レースは、いいとか、わるいとか、ないねん。レースは、ぜんぶ、すばらしいん」と。子供時代に自分の周囲が自分の好きなもので満たされていて、それを中心に日々が回っていくということは、その「もの」の多寡や質の高低と関係なく経験された方もいらっしゃるのではないかと思います。いずれ、社会とか、理不尽な仕事とか、ローンだとか、年金だとか難しい大人の世界を経験するわけで、それと関係なく生きられる時間というのは幸せなことであります。
「ひとひ君」は熱量と愛情を持って見ているから、レースへの観察眼は大人顔負けです。子供らしい願望や感想を漏らすこともあるし、「フェルスタッペンくん」を応援しつつも「現在」の無敵ドライバー、ルイス・ハミルトンに対しては「かなん(かなわん)なあ、かなん、かなんで!」と感嘆し、セナの古い映像(黒いロータス・ルノー時代)を観れば「やっぱり最初からすごいんやなあ、こんなんでマクラーレン行ってホンダのエンジンやったらみんなかなんなあ」、「みんながクラッシュしたときはやっぱしプロストが行くんやなあ」と感想を言うあたり、本当によくわかっています。
だから大人たちも彼を子供扱いせず、レースと車が好きな者同士として対しています。「日本一速い男」星野一義監督が「ひとひ君」にかけた激励の言葉、これは本書を読んでいただいてのお楽しみですが、いかにもこの人らしいなと思いました。
将来は「ニューウェイさん」(多くのチャンピオンマシンを生み出したデザイナー、エイドリアン・ニューウェイ)のようになりたい、という「ひとひ君」ですが、その夢がかなうのか、それとも他の道を進むのかは分かりません。成長していけばほかに興味を持つ対象も出てくるかもしれません。でも、レースや自動車が人一倍好きな、日本や世界にたくさんいる「ひとひ君」たちは、大きくなってもサーキットに足を運び続けたり、一度遠のいても戻ってくるのではないかと思います。もちろん、自動車だけでなく、鉄道だったり、飛行機だったり、これは他の対象とて同じで、子供の頃に誰より深く愛情を注いだものというのはなかなか忘れないものです。もし子供時代に好きだったことを仕事に選ぶとしたら、それが直接的でなく、間接的に関係する仕事であっても当人にとっては幸せなことだ、仕事で知り合ったあるキャリアカウンセラーさんから聞いたことがあります。もちろん、職業として選ばなくても、自分の楽しみとしてずっとつき合い続けることもできましょう。でなければ40年以上も鉄道模型とつきあいつづけ、深夜のリビングで買ってきたC62を走らせたり、何編成目かの583系をお店に予約したりしないでしょう?
本書に戻りますが、著者のいしいしんじ氏自身の観察眼やレースへの感想は非常に深く、それも本書の魅力であります。ニキ・ラウダが健在だったころのメルセデスのピットガレージの様子を指し、代表のトト・ヴォルフとラウダがいるピットはSF映画の宇宙船の指令室のよう、と形容するくだりには私も強く同感しましたし、中嶋悟、一貴父子の走りに共通するものを「ずっと観ていたくなる走り」、「勝ち負けより、なにか起こりそうなドラマティックなドライビング」と述べているあたりは、私(もしかしたらF1やモータースポーツに無縁だった多くの日本人が)がなぜ中嶋悟に感情移入したのか、腑に落ちた感がありました。
巻末に書き下ろしの短編小説「ブルドッグのアイルトン」も収められています。セナの命日のこの季節に改めて読み返しておりますが、こちらもお勧めです。