昨年10月、JR九州が保有し、門司港の九州鉄道記念館で展示されているキハ07 41が国の重要文化財に指定されました。重文指定された鉄道車輛というのはこれまでもありましたし、昭和生まれの車輌についても東京地下鉄道(現・東京メトロ)1001号のような事例がありますが、内燃車輛の指定は初めてで、意義のあるものです。プレスアイゼンバーンの「レイル」122号では「国重要文化財キハ42000・キハ07形」という特集を組み、キハ07の前身のキハ42000からその歴史を紐解き、また、門司港のキハ07 41が重要文化財に指定されるまでの経緯などについても触れられています。
本ブログの読者の方、特に鉄道好きの方ならば触れるまでもありませんが、キハ42000は昭和10年にデビューした大型のガソリンカーでした。この時代の内燃車輛はガソリンエンジン車が一般的でした。車体は前頭部が半円型をしていて、それがこの形式の特徴ではあるのですが、これも鉄道省が東京帝大の航空研究所に依頼した風洞試験を経て生まれたものです。内燃車輛については特に軽量、高速をある程度意識して空力(というほど大げさではありませんが)を考慮して設計されており、流線形気動車のキハ43000形などもその流れを汲んでいます。
ディーゼルエンジン化したキハ42500形もほどなく登場しましたが、戦中、戦後の燃料不足は内燃車輛にとっては厳しい時期であり、中には天然ガスによる代用燃料車も作られました。戦後、ガソリンエンジンの車輌もディーゼルエンジンに換装することになりました。もともとガソリンカーは引火すると燃えやすく、本形式も昭和15年西成線における転覆火災事故という大惨事も経験しています。昭和32年以降、形式呼称の改正によってキハ07形となりましたが、変速装置もシフトレバーによる機械式(歯車式)で総括制御も難しく、戦後生まれの気動車たちが配置されるようになるとその場を追われ、昭和40年代には国鉄から姿を消しました。地方私鉄に払い下げられた車輌が平成まで働き続けていたので、乗車された方もいらっしゃるでしょう。
さて、門司港のキハ07に戻りますが、同誌では小野田滋氏が「国重要文化財としてのキハ07 41号の意義」の中で、この車輛の文化財としての価値を車体や内装に新造時の原型の姿をとどめていること、機械式による駆動機構が残っていること、などとして挙げています。重文、国宝といったものは長い歴史の中で修復を繰り返した後、後世までその姿を残しているわけですが、作られた当時のかたちを大きく変えないことも大切です。仏像や埴輪などで、修復の過程で勝手に体のパーツを取り換えたりすれば、文化財としての価値も減じてしまいますし、考古遺物などは出土地や出土状況、来歴を確認する必要もあります。その点鉄道車輛は途中で改造を受け、原型を保っていなかったりするものもありますが、ガソリンエンジンからディーゼルエンジンへの換装のように、改造が技術の進歩や安全の為であれば評価されるでしょうし、記録もしっかりと残されています。門司港は長らく訪れていませんが、いつか再訪を果たし、キハ07を見てみたいものです。
模型でもキハ07はいくつか持っております。もともと内燃車輛は好きな上に個人的に好きな車輌ですので、購入の優先順位も高かったように思います。
最初にやってきたのは16番の製品でした。奄美屋のキット組み立て品で、まだ住友の三角ビルに入っていた頃の天賞堂新宿店で買ったもので、かれこれ25年は経っています。

動力は天賞堂のパワートラックで、お店でのテスト走行の際「うち(天賞堂)のパワトラだから走りはこんな感じです」と言われたのを覚えています。内装も入っていませんでしたので、市販品の椅子のパーツなどをあれこれ買って、カトーの人形やプライザーの未塗装の人形に色を塗って、乗客や乗務員になっていただきました。


少々オーバーなウェザリングですね。
椅子は実物の方が軽量化のため背もたれの高さを低くしており、模型の方は正確ではありません。レタリングは製品付属でしたが、キハ42503は後に片上鉄道→水島臨海鉄道へと渡った車輌です。
Nゲージではワールド工芸から発売された完成品があります。

製品にはアーノルドカプラーが付属していましたが、取り付けるとお辞儀してしまうのと、もともと製品が小さなモーターで非力なこと、また客貨車をけん引することもなさそうなので、カトーカプラーを接着剤で固定しています。また、車番も自分で調達しています。MODEMOのスハ32系用の数字が使いやすく、今回もインレタをクリアーデカールに貼り、それを切り出して貼っています。キハ07はヘッドライトの位置等が生産時期等によって異なり、それが外観上の特徴であるほか、ドアも後年プレスドアに換装されたりしています。
マイクロエースはこちらを発売。

こちらは樽見線4連仕様ということで、液体式変速機に改造され、総括制御に対応できるようになったキハ07-200番台となっています。総括制御ができなかった頃は、内燃車輛は先頭車の乗務員がブザーで二両目の乗務員に知らせて変速していました。もともと車体幅が狭いため、動力車は床下側がはみ出んばかりです。

実物の話に戻りますが、キハ07はさまざまな改造のタネ車としても知られています。ガスタービンエンジンを積んだキハ07-901は有名ですし、電気検測試験車のキヤ92もありました。この系列の乗車歴は鹿島鉄道で使われていたキハ602だけです。半円形の運転室を切妻化しておりますので、往時の面影をとどめておりませんでしたが、ロングシートの車内が長く感じられたものです。
さて、キハ07についてはRMライブラリーの比較的初期に「キハ07ものがたり」という号が発行され、最近一冊にまとめて復刻を行っています。こちらもこの形式が俯瞰できる好著です。模型でも書籍でも楽しめる形式なので、皆様にもお勧めする次第です。
本ブログの読者の方、特に鉄道好きの方ならば触れるまでもありませんが、キハ42000は昭和10年にデビューした大型のガソリンカーでした。この時代の内燃車輛はガソリンエンジン車が一般的でした。車体は前頭部が半円型をしていて、それがこの形式の特徴ではあるのですが、これも鉄道省が東京帝大の航空研究所に依頼した風洞試験を経て生まれたものです。内燃車輛については特に軽量、高速をある程度意識して空力(というほど大げさではありませんが)を考慮して設計されており、流線形気動車のキハ43000形などもその流れを汲んでいます。
ディーゼルエンジン化したキハ42500形もほどなく登場しましたが、戦中、戦後の燃料不足は内燃車輛にとっては厳しい時期であり、中には天然ガスによる代用燃料車も作られました。戦後、ガソリンエンジンの車輌もディーゼルエンジンに換装することになりました。もともとガソリンカーは引火すると燃えやすく、本形式も昭和15年西成線における転覆火災事故という大惨事も経験しています。昭和32年以降、形式呼称の改正によってキハ07形となりましたが、変速装置もシフトレバーによる機械式(歯車式)で総括制御も難しく、戦後生まれの気動車たちが配置されるようになるとその場を追われ、昭和40年代には国鉄から姿を消しました。地方私鉄に払い下げられた車輌が平成まで働き続けていたので、乗車された方もいらっしゃるでしょう。
さて、門司港のキハ07に戻りますが、同誌では小野田滋氏が「国重要文化財としてのキハ07 41号の意義」の中で、この車輛の文化財としての価値を車体や内装に新造時の原型の姿をとどめていること、機械式による駆動機構が残っていること、などとして挙げています。重文、国宝といったものは長い歴史の中で修復を繰り返した後、後世までその姿を残しているわけですが、作られた当時のかたちを大きく変えないことも大切です。仏像や埴輪などで、修復の過程で勝手に体のパーツを取り換えたりすれば、文化財としての価値も減じてしまいますし、考古遺物などは出土地や出土状況、来歴を確認する必要もあります。その点鉄道車輛は途中で改造を受け、原型を保っていなかったりするものもありますが、ガソリンエンジンからディーゼルエンジンへの換装のように、改造が技術の進歩や安全の為であれば評価されるでしょうし、記録もしっかりと残されています。門司港は長らく訪れていませんが、いつか再訪を果たし、キハ07を見てみたいものです。
模型でもキハ07はいくつか持っております。もともと内燃車輛は好きな上に個人的に好きな車輌ですので、購入の優先順位も高かったように思います。
最初にやってきたのは16番の製品でした。奄美屋のキット組み立て品で、まだ住友の三角ビルに入っていた頃の天賞堂新宿店で買ったもので、かれこれ25年は経っています。

動力は天賞堂のパワートラックで、お店でのテスト走行の際「うち(天賞堂)のパワトラだから走りはこんな感じです」と言われたのを覚えています。内装も入っていませんでしたので、市販品の椅子のパーツなどをあれこれ買って、カトーの人形やプライザーの未塗装の人形に色を塗って、乗客や乗務員になっていただきました。


少々オーバーなウェザリングですね。
椅子は実物の方が軽量化のため背もたれの高さを低くしており、模型の方は正確ではありません。レタリングは製品付属でしたが、キハ42503は後に片上鉄道→水島臨海鉄道へと渡った車輌です。
Nゲージではワールド工芸から発売された完成品があります。

製品にはアーノルドカプラーが付属していましたが、取り付けるとお辞儀してしまうのと、もともと製品が小さなモーターで非力なこと、また客貨車をけん引することもなさそうなので、カトーカプラーを接着剤で固定しています。また、車番も自分で調達しています。MODEMOのスハ32系用の数字が使いやすく、今回もインレタをクリアーデカールに貼り、それを切り出して貼っています。キハ07はヘッドライトの位置等が生産時期等によって異なり、それが外観上の特徴であるほか、ドアも後年プレスドアに換装されたりしています。
マイクロエースはこちらを発売。

こちらは樽見線4連仕様ということで、液体式変速機に改造され、総括制御に対応できるようになったキハ07-200番台となっています。総括制御ができなかった頃は、内燃車輛は先頭車の乗務員がブザーで二両目の乗務員に知らせて変速していました。もともと車体幅が狭いため、動力車は床下側がはみ出んばかりです。

実物の話に戻りますが、キハ07はさまざまな改造のタネ車としても知られています。ガスタービンエンジンを積んだキハ07-901は有名ですし、電気検測試験車のキヤ92もありました。この系列の乗車歴は鹿島鉄道で使われていたキハ602だけです。半円形の運転室を切妻化しておりますので、往時の面影をとどめておりませんでしたが、ロングシートの車内が長く感じられたものです。
さて、キハ07についてはRMライブラリーの比較的初期に「キハ07ものがたり」という号が発行され、最近一冊にまとめて復刻を行っています。こちらもこの形式が俯瞰できる好著です。模型でも書籍でも楽しめる形式なので、皆様にもお勧めする次第です。