工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

潜水艦コマンダンテ・カペリーニの数奇な生涯

2024年05月04日 | 船だって好き
 昨日ご紹介した潜水艦コマンダンテですが、ここに登場するコマンダンテ・カペリーニのその後の話を書いておりませんでした。本ブログの読者なら「そんなこと知っているよ」でしょうが、少しお付き合いください。
 コマンダンテ・カペリーニはその後も主に大西洋で活動します。映画の主人公、トーダロ艦長の指揮下で大きな戦果を挙げたことで、ドイツのUボートを指揮していたデーニッツ提督も満足していたといいます。当初はイタリア・ドイツが共同で通商破壊を行っていたものの、作戦方法の違い、連絡方法等で双方に不協和音が生まれ、やがて別々の行動を余儀なくされ、イタリアは会敵機会の少ない海域に追いやられる格好となりました。トーダロ艦長も船を降り、別の部隊に移っています。なお、1942年には「ラコニア号事件」(知らない人はググってね)で沈没したラコニア号の乗員・乗客の救護活動も行っています。
 開戦当初とは異なり、レーダー、ソナーが進化するとイタリア海軍の潜水艦は旧式化してしまいます。ドイツ海軍はこれを機に自国のUボートよりは大きいイタリア艦を使い、極東(日本)との輸送・連絡任務に利用しようと思いつきます。こうして1943年にイタリアが降伏する少し前にカペリーニはドイツ海軍に編入されました。ドイツ海軍の指揮下とは言いつつも実際にはイタリア人乗組員により管理されていたと聞きます。イタリアにはその代わりにドイツのUボートが提供されたようです。
 9隻が極東に向かったものの多くは沈められ、シンガポールにはコマンダンテ・カペリーニ(ドイツの指揮下ではアキーラⅢと呼ばれていました)ほか3隻がたどりついただけでした。ほどなくしてイタリアは降伏します。
 イタリアは降伏したとは言いつつも、イタリア王国とは別に北部のサロに「イタリア社会共和国」と呼ばれる親独政権もあり、さらに右から左までさまざまな政治的背景を持つパルチザンも入り込み、言わば内戦状態に入ります。その本国の混乱とは無縁だった乗組員ですが、多くが親独側についたため、コマンダンテ・カペリーニも引き続きドイツの指揮下にありました。ペナンにドイツ海軍極東艦隊(モンスーン戦隊というなんとも洒落た別名があったようです)があり、そこの所属としてドイツ海軍のUボートともに活動します。名前もUIT-24というUボートのような呼称になりました。燃料補給艦の撃沈などで欧州に戻ることも難しくなり、行動範囲も制限される中で、やがて艦の修理が必要となり、もう一隻のトレッリとともに日本まで回航されます。神戸で修理、改修中の1945年5月にドイツも降伏すると、イタリア人たちも船を降り、今度は日本海軍の伊-503号潜水艦として呉に配属されます。そこで終戦を迎え、1946年4月に米軍の手で海没処分させられたそうです。
 輸送任務に適している、と書きましたが、カペリーニと同じマルチェロ級は大西洋での行動を念頭に置いた「大型艦」でした。しかし、全長70mあまり、排水量1000tあまりですから、日本の伊号潜水艦に比べれば小さな潜水艦です。マルチェロ級の潜水艦は11隻あり、いずれも人名がつけられました(イタリア海軍は人名をよくつける方ですが)。カペリーニは19世紀のリッサ海戦で戦死した提督の名前ですが、それ以外のバルバリーゴ、モチェニーゴ、モロシーニ、ヴェニエロ、エーモといった名前はヴェネツィア貴族(その多くが海軍の提督など)のオンパレードで、少々名前負けしている感もあります。
 コマンダンテ・カペリーニについてはこれまでもいくつかの作品で映像化されていますが(2年前にフジテレビで日本回航以降の話がドラマ化されていますが、史実とはだいぶ違うようです)、今回製作された映画がは大西洋での作戦の一部を切り取ったとはいえ、史実に沿って書かれているように感じます。


参考文献 イタリア軍入門 1939~1945 山野治夫 吉川和薦 イカロス出版

 

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする