国際鉄道模型コンベンションなどのイベントで、迷子の案内放送で「ドクターイエローのTシャツを着た男の子が・・・」というのを聞くたびに「今日はドクターイエローのTシャツの男の子はたくさんいるからなあ」とつい思ってしまうくらい「しんかんせん」は小さなお友達には人気のキャラクターですね。
marcoさんは新幹線は好きではないのですか?このブログも在来線の話が多いですね、と思う方もいるでしょう。速く移動できる手段としての新幹線は魅力ですし、決して嫌い、ということはありません。私の子供の頃は0系しかいませんでしたので、趣味の対象にはなりえなかったというのはありますが、いくつかの形式は模型でも持っています。その中でもJR西日本の500系だけは、特別な形式です。
車体構造、デザインも含め「速く走るためだけに生まれてきた」というところが好きで、白とブルーだった東海道・山陽新幹線のそれまでの配色とも違うグレーを基調とした塗装も魅力でした。JR西日本はそれまでも高速化に関しては研究を重ねていましたので、それが500系で結実したと言えるでしょう。車体デザインは先頭車のノーズが長く、円形断面ということでそれまでの日本の車輛にはないものでしたが、ドイツのデザイナーの手によるものということで、確かにヨーロッパの高速列車とも張り合えるスタイルをしています。イタリアに住んでいる私の友人(イタリア人)に500系の写真が入ったカードを贈ったところ、その後も気に入って現地を再訪した際にも飾っていましたので、海外の方にも受け入れられるデザインなのでしょうか。
車体断面が丸いことで窓側の居住性が悪いといった評価もありましたが、私はそれほど不便は感じておりませんでした。東京から新大阪くらいだったら問題はありませんでしたし、一度だけ東京から博多まで乗ったことがありましたが、その時も快適な旅行でした。もっとも、このときは営業列車で当時世界最速と謳われた時速300㎞をマークする山陽新幹線の区間に乗りたかった、という目的もあったのですが・・・。いずれにしても飛行機などは席幅もシートピッチも狭く、窮屈な旅を強いられることがありますからね。
ということで、鈴鹿にF1を見に行く際も、岐阜に路面電車の写真を撮りに行った時も、奈良の唐招提寺で鑑真和上像の特別公開を見に行った時も、途中までは500系の「のぞみ号」をあえて選んで乗っておりました。この列車に乗りたい、この車輛に乗りたい、というのはファン心理の最たるものであり、当然のことながら模型も持っており、新発売と同時に当時行きつけだった西荻窪の模型店に買いに走ったものです。
その500系ですが、JR東海の700系とは定員、扉の位置などの差異が原因で運用面では共通化が図れなかったこと、コスト面などもあって増備が進まなかったことから主流にはなりえず、現在では「のぞみ」の運用からは外れ、西日本管内で「こだま」の運用に就いていることは皆様もご存知でしょう。キャラクターのラッピングがされた編成もあって、東京に乗り入れていた頃とはだいぶ趣も異なっています。
500系の数奇な運命を見ていると、理由は違えど東海道のスターでありながら全盛期は短かったC53をなぜか思い出してしまいます(もちろん、私はC53の現役時代は知りませんが)。C53は高速・優等列車を牽引するために生まれたような機関車でしたが、国産機としては唯一の3シリンダ機だったことによる保守の難しさや、軸重の重さゆえに入線できる線区が限られていたことなどが活躍の期間が短かった一因とも言われています。日本の機関車から少し離れたスタイルをしているところも含めて特別な形式ではあるのですが、特別な存在、だからこそファンは惹かれるのでしょうね。
小さなお友達ならぬ大きなお友達は、新幹線のTシャツというわけにはいきませんが、500系やC53のタイクリップをつけて、仕事に出かけております。
本稿は2月14日に一部加筆いたしました。
marcoさんは新幹線は好きではないのですか?このブログも在来線の話が多いですね、と思う方もいるでしょう。速く移動できる手段としての新幹線は魅力ですし、決して嫌い、ということはありません。私の子供の頃は0系しかいませんでしたので、趣味の対象にはなりえなかったというのはありますが、いくつかの形式は模型でも持っています。その中でもJR西日本の500系だけは、特別な形式です。
車体構造、デザインも含め「速く走るためだけに生まれてきた」というところが好きで、白とブルーだった東海道・山陽新幹線のそれまでの配色とも違うグレーを基調とした塗装も魅力でした。JR西日本はそれまでも高速化に関しては研究を重ねていましたので、それが500系で結実したと言えるでしょう。車体デザインは先頭車のノーズが長く、円形断面ということでそれまでの日本の車輛にはないものでしたが、ドイツのデザイナーの手によるものということで、確かにヨーロッパの高速列車とも張り合えるスタイルをしています。イタリアに住んでいる私の友人(イタリア人)に500系の写真が入ったカードを贈ったところ、その後も気に入って現地を再訪した際にも飾っていましたので、海外の方にも受け入れられるデザインなのでしょうか。
車体断面が丸いことで窓側の居住性が悪いといった評価もありましたが、私はそれほど不便は感じておりませんでした。東京から新大阪くらいだったら問題はありませんでしたし、一度だけ東京から博多まで乗ったことがありましたが、その時も快適な旅行でした。もっとも、このときは営業列車で当時世界最速と謳われた時速300㎞をマークする山陽新幹線の区間に乗りたかった、という目的もあったのですが・・・。いずれにしても飛行機などは席幅もシートピッチも狭く、窮屈な旅を強いられることがありますからね。
ということで、鈴鹿にF1を見に行く際も、岐阜に路面電車の写真を撮りに行った時も、奈良の唐招提寺で鑑真和上像の特別公開を見に行った時も、途中までは500系の「のぞみ号」をあえて選んで乗っておりました。この列車に乗りたい、この車輛に乗りたい、というのはファン心理の最たるものであり、当然のことながら模型も持っており、新発売と同時に当時行きつけだった西荻窪の模型店に買いに走ったものです。
その500系ですが、JR東海の700系とは定員、扉の位置などの差異が原因で運用面では共通化が図れなかったこと、コスト面などもあって増備が進まなかったことから主流にはなりえず、現在では「のぞみ」の運用からは外れ、西日本管内で「こだま」の運用に就いていることは皆様もご存知でしょう。キャラクターのラッピングがされた編成もあって、東京に乗り入れていた頃とはだいぶ趣も異なっています。
500系の数奇な運命を見ていると、理由は違えど東海道のスターでありながら全盛期は短かったC53をなぜか思い出してしまいます(もちろん、私はC53の現役時代は知りませんが)。C53は高速・優等列車を牽引するために生まれたような機関車でしたが、国産機としては唯一の3シリンダ機だったことによる保守の難しさや、軸重の重さゆえに入線できる線区が限られていたことなどが活躍の期間が短かった一因とも言われています。日本の機関車から少し離れたスタイルをしているところも含めて特別な形式ではあるのですが、特別な存在、だからこそファンは惹かれるのでしょうね。
小さなお友達ならぬ大きなお友達は、新幹線のTシャツというわけにはいきませんが、500系やC53のタイクリップをつけて、仕事に出かけております。
本稿は2月14日に一部加筆いたしました。