工作台の休日

模型のこと、乗り物のこと、ときどきほかのことも。

赤鬼ならぬ赤い悪魔と節分と

2021年02月02日 | 飛行機・飛行機の模型
 今年は2月2日が節分ということで、124年ぶりに2日が節分になったとか。豆まきをしたり、恵方巻を召し上がった方もいらっしゃることでしょう。「鬼は外」というわけで赤い鬼のお面を一番見かける季節でありますが、赤鬼ならぬ赤い悪魔の名前を持つアクロバット飛行チームのお話です。

 ベルギー空軍にディアブル・ルージュ(赤い悪魔)というアクロチームがあります。ベルギーはサッカーの代表が赤い悪魔と呼ばれるなど、赤を使うことが多いようですね(自動車レースのナショナルカラーがあったころは黄色でしたが)。フランス製のフーガ・マジステール、イギリス製のホーカー・ハンターなどを使用しており、しばらくの中断期間を経て、2011年からレシプロ機のチームとして復活しているようです。
 5年ほど前にエレール1/72のマジステールのキットを使って作ったのが上の写真です。翼章や機番はエアフィックスのキットから流用し、胴体前部のチームの紋章はネットからダウンロードして作った自作デカールです。この機番の機体は実際にはディアブル・ルージュに籍を置いていなかったようです、失礼。
 このキット、かなり歴史のあるもので細部などはさすがにつらいですが、その分安価なので気軽に楽しめます。赤色はMr.カラーのモンザレッドにしましたが、ここまでオレンジがかってはおらず、Mr.カラー3番の赤や327番(サンダーパーズの赤色)でもいいように思いました。翼の下面はベルギー国旗と同じ三色に塗り分けられています。

 写真がボケていてすみません。機体の後ろにはビール瓶が見えますが。こちらはベルギーの「サタン」という銘柄で悪魔のイラストが描かれています。このサタンの風貌ですが、角のようなものもあって赤鬼に見えますね(以前節分の時期に合わせてキャンペーンをしているお店がありましたが)。
 ベルギービールは他にも「悪魔」の名を持つDuvelという銘柄もあります。

彼の地のビールらしくアルコール度数高目でパンチの効いた味です。
 飛行機やビールのそばにいるのはプレイモービルのサッカーシリーズ・ベルギー代表です。サッカーシリーズはワールドカップや欧州選手権などに合わせてリリースされているのですが、ベルギーもラインナップに入っております(残念ながら日本代表はありません)。
 このディアブル・ルージュですが、10代のころに梶田達二氏の画集「世界のアクロバットチーム」(文林堂)を見て、作ってみたいなあという気持ちはあったのですが、ベルギーの翼章にはじまり当時は手に入れるのが難しいものもあって、叶わぬままでした。そこから数十年経って分からなかった細部の塗装などもネットで確認できるようになったこともあり、エレールのキットが再版されたタイミングで購入し、完成となりました。
 節分からだいぶ脱線してしまいましたが、今日はここまでです。さあ、邪気を払って立春を迎えることにいたしましょう。


 
 

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最高の人々、最高の日々

2021年02月01日 | ときどき音楽
 昨日の記事の続きを書く前に、節分ならではの話を書いて、などと思っていた折に驚くような知らせが入りました。
 T-SQUAREのリーダー、安藤まさひろさんが今年のアルバムとツアーを以てバンドからの「引退」を発表、その知らせがお昼にファン向けのメールやオフィシャルサイト等でアナウンスされました。
 ご本人のコメントを借りれば、年齢を重ねるごとに一年が短く感じられるようになり、一年に一作アルバムを作り、新曲を携えてツアーを行うことの重圧が大きくなった、ということで、ただただ残念であるのと、今までお疲れさまでした、本当にありがとうございます、という感謝の言葉しか浮かんできません。
 毎年アルバムを作り、ツアーを続ける重圧というのは計り知れないものがあるわけですが、やはりフュージョンバンドの雄、カシオペアのリーダー・野呂一生さんも2000年代の活動休止の前に毎年アルバムを作るのはきつい、とベースの鳴瀬さんに打ち明けていたことを思い出しました。
 リーダーがいなくなったらバンドはどうなるの、ということになりますが、今後は伊東たけしさん、坂東慧さんのユニット「T-SQUREalpha」として存続します。
 以前のブログにも書きましたが、安藤さんを中心にデビューしたスクエアはメンバーを変えながら40年以上続いてまいりました。ご本人はアルバム一枚を出したら次は無いと思っていたそうで、大学4年当時には背広を着て就職活動をしていたという当時のメンバーの証言もあるので、偽らざる気持ちだったのでしょう。それが40年以上続くバンドとなり、一生の仕事となったわけですから、ご本人の才能と努力、さまざまな人との出会いがあって、ここまで続けてこられたのだと思います。
 私がスクエアの音楽と出会ったのは、以前も書きましたが1984年のアルバム「ADVENTURES」にあった「ALL ABOUT YOU」がきっかけだったわけですが、この曲も安藤さんの作曲によるものでした。ライブでのメンバー紹介でも「スクエアのリーダーでありメインコンポーザー(作曲者)」と呼ばれることもあったくらい、数多くの曲を作っています。ひとつひとつ挙げるときりがありませんが、バンドを代表する「TRUTH」をはじめ、最近では曲の提供は少なくなったものの、それでもアルバムの中で印象的な曲が安藤さんの手によるものだったりと、作曲者としての存在感は今も変わりません。伊東さん復帰直前の2000年は、実はバンド解散の危機もあったのですが、それを乗り越えその後の20年でもいい曲をたくさん作られています。
 また、安藤さん曰くスクエアを作った張本人であり、運営上のリーダーでもある、長年マネジメントをされている青木幹夫さんがいて、このバンドがずっと続いてきたというところもあります。安藤さんは決して強烈なほどのリーダーシップという感じはしませんし、それがここまで続いた秘訣なのかもしれませんが、表には出てこない青木さんの存在というのもまた、このバンドが長く続けられる原動力になっていたのではと思います。
 スクエアと安藤さんの曲を聴くことで、孤独や悲しみが癒されたり、勇気を手に入れたり、誰かと一緒に楽しい時間を過ごしたり、気持ちを落ち着けたり、さわやかな気持ちになったり、もちろんライブで盛り上がったりと、「歌の無いポップス」が私の人生の多くの時間を共に過ごしてきました。このバンドに出会わなかったら、私の人生、生活はもっとつまらないものになっていたかもしれません。もちろん、バンドはこれからも続きますし、CDを買い、ライブに出向くことになりましょうが、この一区切りに改めて感謝の気持ちを表したいと思います。
 安藤さん以後のスクエアがどうなるのか、ファンとしてはちょっと不安なところもあります。スクエアは個々のメンバーのスキルの高さもあるわけですが、5人のメンバーがバランスよく主張し、お互いを支えていることがここまで来た秘訣なのではないかと思います。一つの角が突出した図形ではなく、きれいな五角形を描いているような感じであり、安藤さんがそれを上手にまとめられていたのではと思いますが、それがこれからも続くことを祈っています。安藤さんは音楽活動そのものは続け、機会があればスクエアのステージに立つことも・・・と話されていますのでそれを期待したいのと、作曲者としてこれからもスクエアのアルバムに参加いただけたら嬉しいなと思います。
 今日の帰りの電車では、ずっとウォークマンで安藤さんが作曲したナンバーを聴きながら家路につきました。スクエアと出会ってから35年、ライブに出向くようになってから25年以上になりますが、いろいろなことを思い起こしておりました。私を幸せにしてくださった最高の人々、最高の日々に乾杯。
 

 
 

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