電車の中で、よく外国人を見かける。先日も、4人席に2人の外国人女性が座り、日本人女性と英語で話をしていた。友達というわけじゃなく、たまたま英語が通じたので話しかけていたようだ。大きな荷物を持ち、地図を広げて、いかにも大阪に着たばかりという感じだった。
日本人が電車を降り、その席が空いたので私はそこに座った。「ポルトガル語」の本を広げて、勉強するつもりだった。けど、隣でしゃべってる外国人たちの言語が気になり、集中できない。さっきは英語だったのに、こんどは違うのだ。
スペイン語に似てるけど、違う。
ポルトガル語にも似てるけど、違う。
顔立ちをみて、たぶんイタリア語だろうな~、と思う。
イタリア語で、「イタリア人ですか?」は何というのか知らないが、
ためしに隣の色白の女性に「ソン・イタリアーナス?」と話しかけてみる。
「そうよ!あなたイタリア語話すの?」と、飛びつくような反応。
「いえ、私はスペイン語を話します」
「英語は?」
「ノー」
彼女はこんどはクルっとスペイン語に切り替えて、
「私はスペイン語を学校で習っていたのよ」と言う。
それから、旅の日程や、大阪の見所、京都に行くにはどうしたらいいか?…など、ありがちな観光客との会話を少し。
彼女は「ありがとう」と言って、再び向かいの同行者と話し始めた。
腑に落ちないのは、彼女たちがこんどは英語でしゃべりはじめたことである。
そして悲しいのは、耳に入ってくる英語が「わかったようなわかんないような」感じで、まったく習ったことのないイタリア語の「わかったようなわかんないような」レベルとそう変わらないという現実だった。
ちょっと勉強し始めたポルトガル語も「わかったようなわかんないような」感じである。まあスペイン語だって、「わかったようなわかんないような」ことはしばしばあるし、母国語である日本語でも「わかんない」ことはたまにあるので、言語のみでのコミュニケーションに、完璧っていうことはないのかな、などとと思ってしまう。
日本人が電車を降り、その席が空いたので私はそこに座った。「ポルトガル語」の本を広げて、勉強するつもりだった。けど、隣でしゃべってる外国人たちの言語が気になり、集中できない。さっきは英語だったのに、こんどは違うのだ。
スペイン語に似てるけど、違う。
ポルトガル語にも似てるけど、違う。
顔立ちをみて、たぶんイタリア語だろうな~、と思う。
イタリア語で、「イタリア人ですか?」は何というのか知らないが、
ためしに隣の色白の女性に「ソン・イタリアーナス?」と話しかけてみる。
「そうよ!あなたイタリア語話すの?」と、飛びつくような反応。
「いえ、私はスペイン語を話します」
「英語は?」
「ノー」
彼女はこんどはクルっとスペイン語に切り替えて、
「私はスペイン語を学校で習っていたのよ」と言う。
それから、旅の日程や、大阪の見所、京都に行くにはどうしたらいいか?…など、ありがちな観光客との会話を少し。
彼女は「ありがとう」と言って、再び向かいの同行者と話し始めた。
腑に落ちないのは、彼女たちがこんどは英語でしゃべりはじめたことである。
そして悲しいのは、耳に入ってくる英語が「わかったようなわかんないような」感じで、まったく習ったことのないイタリア語の「わかったようなわかんないような」レベルとそう変わらないという現実だった。
ちょっと勉強し始めたポルトガル語も「わかったようなわかんないような」感じである。まあスペイン語だって、「わかったようなわかんないような」ことはしばしばあるし、母国語である日本語でも「わかんない」ことはたまにあるので、言語のみでのコミュニケーションに、完璧っていうことはないのかな、などとと思ってしまう。