休暇中にさてネットでもと思った時、携帯とPCのどちらをあなたは使うだろうか。もちろん自宅にいる時と外出先では状況は違うだろうが、そういった点も含めてofftimeにどちらを使っているだろうか?
僕の場合、休日家にいる場合はほぼ1日パソコンがつけっぱなしなわけだけれど、それでもケータイでネットをしている場合が多い。もちろん情報量や表現力などは圧倒的にパソコンの方が上なんだけれど、それを上回るだけの「手軽さ」、もう少し言うなら常に「READY」状態にあり、常に「個人」の「行動」とともにあるということが抜群に「手軽」なのである。
例えば、朝、目が覚める。何時だろうと思って枕元のケータイに手を伸ばす。9:10。そのままiチャンネルでニュースをチェックしネットへ接続…
あるいは寝がけにベッドに横になったままブログの記事を書いたっていいし、テレビを見ながら(目の前にはパソコンがあるのに)ケータイで検索してたっていい。パソコンがどこかで脳の情報収集・整理のための「ツール」なのに対し、ケータイはもっと身体的・感性的にヒトと結び付いたモノだからこそ、手軽さがあり、使うことに対する精神的な障壁が低いのだろう。
しかしこうした感覚も使ってみないことにはわからない。
僕の会社が所謂Windows95世代が中心ということもあって、PCのリテラシーは高いもののケータイは全く…という人間が多い(というか、どこかでケータイでインターネットすることをバカにしている)。
そういう体質が染み付いているからか、モバイルサービスを展開しているチームに来た新しい課長も、自分たちのサービスについては理解しようとするが、ケータイそのものがもたらす感覚器官の変容まで理解しようとしない。ケータイによって我々がどう変わろうとしているか、極論すれば社会がどう変化しようとしているか理解する機会を逃しているのだ。
マクルーハンが言ったように、メディアがヒトを変えるのであり、社会とはヒトの集積に他ならないのだから。
ちなみにニュース系サイトを除いて僕がケータイでよく利用するサイトというのが、
①wiki
②食べログ(食べ物系の口コミサイト)
③特定のブログ
という感じだろうか。
greeではPVの98.7%はモバイルらしいし、mixiでもモバイルからのアクセスが66%というから、一般的にはSNSが上位に来るのだろうが、僕がほとんど使わないのでこれは除外。
2ちゃんねるやニコ動、YouTubeなどはPCがほとんどなのでこちらも入っていないけれど、一般的にはよく使われるのだろうと思う。ただしこちらはあくまでもモバイルの特性が出にくいのではないかと思う。つまり「手軽な」デバイスとしてのケータイとして利用はされているけれど、PCで慣れている人間からすればあえてケータイを選ぶ理由がないというか、コンテンツの本質的な特性とケータイというツールの持つ特性の関連性が弱いのではないかと思う。
では何故、wikiが1番かといえば、まさしく「行動」をともにするツールだからである。ちょっとした関心・興味、疑問対してその場で解決できるのがケータイであり、wikiだからだ。居酒屋で並んだ焼酎の名前で「蕪矢」なんて書いてあったら気になりません?
ちなみに「蕪矢」は「かぶらや」と読み「鏑矢」のこと。これ以上の解説はwikiで調べてください。どんどん数珠繋ぎとなっていきます。
次の食べ物系口コミサイトは、こちらは「携帯性」+「集合知」。こちらも以前に書いたように、行動支援型メディアとしてケータイがその存在感を増していく以上、PC以上にリアルな世界との結び付きが強くなっていくだろう。その際の1つの可能性として(iコンシェルジェとは別のアプローチとして)、地域性や行動特性を活かした「集合知」を活かしたサービスは基盤となりえるのだろう。
特定のブログは単に可処分時間、もしくは暇潰しの選択の問題。
そういえばこのブログをケータイで見ると、誤字脱字ではなく、文字コードか禁則文字の関係で本文中の文字が消えていることが。
こうしたことも「書き手」ではなくPF側でうまく変換して欲しいところです。
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例えば、朝、目が覚める。何時だろうと思って枕元のケータイに手を伸ばす。9:10。そのままiチャンネルでニュースをチェックしネットへ接続…
あるいは寝がけにベッドに横になったままブログの記事を書いたっていいし、テレビを見ながら(目の前にはパソコンがあるのに)ケータイで検索してたっていい。パソコンがどこかで脳の情報収集・整理のための「ツール」なのに対し、ケータイはもっと身体的・感性的にヒトと結び付いたモノだからこそ、手軽さがあり、使うことに対する精神的な障壁が低いのだろう。
しかしこうした感覚も使ってみないことにはわからない。
僕の会社が所謂Windows95世代が中心ということもあって、PCのリテラシーは高いもののケータイは全く…という人間が多い(というか、どこかでケータイでインターネットすることをバカにしている)。
そういう体質が染み付いているからか、モバイルサービスを展開しているチームに来た新しい課長も、自分たちのサービスについては理解しようとするが、ケータイそのものがもたらす感覚器官の変容まで理解しようとしない。ケータイによって我々がどう変わろうとしているか、極論すれば社会がどう変化しようとしているか理解する機会を逃しているのだ。
マクルーハンが言ったように、メディアがヒトを変えるのであり、社会とはヒトの集積に他ならないのだから。
ちなみにニュース系サイトを除いて僕がケータイでよく利用するサイトというのが、
①wiki
②食べログ(食べ物系の口コミサイト)
③特定のブログ
という感じだろうか。
greeではPVの98.7%はモバイルらしいし、mixiでもモバイルからのアクセスが66%というから、一般的にはSNSが上位に来るのだろうが、僕がほとんど使わないのでこれは除外。
2ちゃんねるやニコ動、YouTubeなどはPCがほとんどなのでこちらも入っていないけれど、一般的にはよく使われるのだろうと思う。ただしこちらはあくまでもモバイルの特性が出にくいのではないかと思う。つまり「手軽な」デバイスとしてのケータイとして利用はされているけれど、PCで慣れている人間からすればあえてケータイを選ぶ理由がないというか、コンテンツの本質的な特性とケータイというツールの持つ特性の関連性が弱いのではないかと思う。
では何故、wikiが1番かといえば、まさしく「行動」をともにするツールだからである。ちょっとした関心・興味、疑問対してその場で解決できるのがケータイであり、wikiだからだ。居酒屋で並んだ焼酎の名前で「蕪矢」なんて書いてあったら気になりません?
ちなみに「蕪矢」は「かぶらや」と読み「鏑矢」のこと。これ以上の解説はwikiで調べてください。どんどん数珠繋ぎとなっていきます。
次の食べ物系口コミサイトは、こちらは「携帯性」+「集合知」。こちらも以前に書いたように、行動支援型メディアとしてケータイがその存在感を増していく以上、PC以上にリアルな世界との結び付きが強くなっていくだろう。その際の1つの可能性として(iコンシェルジェとは別のアプローチとして)、地域性や行動特性を活かした「集合知」を活かしたサービスは基盤となりえるのだろう。
特定のブログは単に可処分時間、もしくは暇潰しの選択の問題。
そういえばこのブログをケータイで見ると、誤字脱字ではなく、文字コードか禁則文字の関係で本文中の文字が消えていることが。
こうしたことも「書き手」ではなくPF側でうまく変換して欲しいところです。
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