最近はかなりおさぼり読者だったので知らなかったのだけれど、「週刊!木村剛」のラジオってスタートしてたんですね。しかもポッドキャスティングでも聞けるとのこと(^^; 実は「週刊!木村剛」の中で、最初に木村剛DJ論、ブログとラジオの類似性について指摘したのは自分じゃないかと自負してたりもするんですが、それについては何の指摘もなく…まぁ、それはそれとして、最近、ネットと既存メディアを巡る状況が面白くなってきている。
木村剛は人気DJ?!
原因の1つは、もちろん「ほりえもん」のフジテレビ買収を巡る一連の騒動だったわけだけど、ほりえもんの言うようにネットとテレビの融合というのは、「キーワード」としては面白いけれど、現実問題として成功例がない。実際、「テレビ」とネットが融合した成功イメージを描ける人間は少ないだろう。むしろその裏側ではじまった「livedoor ねとらじ」の「ポッドキャスティング」配信と、「ラジオNIKKEI」の方がこの状況を面白くしているのではないだろうか。
ライブドア、ネットラジオサイトでポッドキャスティング提供へ
これまでもストリーミングを中心とした「ネットラジオ」というのはあったのだが、ここにきて「ポッドキャスティング」や「デジオ」が急速に注目を集め、それにあわせて自らがDJをやる、チャットなどと組み合わせて「生放送」をすると言う人も増えてきている。
Wired News - ネット音声をiPodで聴く『ポッドキャスティング』 - : Hotwired
デジオ
「ブログ」にしろ、「デジオ」「ポッドキャスティング」にしろ、これらは全くの独自性をもったメディアではない。基本的には「ブログ」は個人の「日記」であったり、「雑誌」や新聞の「コラム」の代替であり、「ネットラジオ」はまさしく「ラジオ」がネットへ移植されたものと考えるべきだろう。
ではこうした「移植されたメディア」は既存のメディアとは同じ特性をもちうるのか。
一連の既存メディアの「ネットへの移植」の動きというのは、ある意味、インターネット・ユートピア幻想が持っていた「市民による自己表現手段の獲得」「表現手段の市民への解放」の延長線上にあるのだろう。つまり「カラオケ」が歌手以外でも「歌い手」となるチャンス、あるいは(限られた範囲で)「スポットライト」を浴びるチャンスを市民に解放したように、ブログが「書き手」としての「表現者」になるチャンスを多くのインターネットユーザーに解放し、今回の「ネットラジオ」「デジオ」「ポッドキャスティング」といったものは「DJ」になるチャンスを解放した。
「欲望メディア」である「インターネット」はこれまで「リスナー」でしかなかった人に「主役」になれるチャンスを切り開いたのだ。
これらの「市民解放」運動は一体どこに行き着くのだろうか。
例えばこの(戦後民主主義が目指していたような)平等な世界においては「ヒーローが不在となる」だろう。いや、もう少し正確に言うならば、全員が等価である以上、僅かな「差」が圧倒的な「差」を生み、圧倒的な集客力のある「カリスマ」サイトと殆ど集客できない無数の「無名」サイトとの分化がはっきりとする。
例えば、現状、こうした状態が一番近いブログを例にすると、gooBLOGの5/13のアクセスランキングで1位~100位までのブログのアクセスip数を合計すると158,902ip(gooの場合、公式ブログは含まれていない)。うち上位10ブログで35.5%、上位20ブログで50%以上を占めている。
また1位のサイトと100位のサイトのip数の差が「8,419」ipなのに対し、101位と200位の差が「221」ip、901位と1000位との差にいたっては「9」ipしかない。
ではこれらの「カリスマ」サイトがずっと「カリスマ」でありつづけられるかといえば決してそんなことはない。これまでのメディアが「規制」という名目で常に「権威」付けされてきたのに対して、ネットの世界では誰もが参画でき「平等」な存在となる。初めから僅かな「差」でしかない以上、「カリスマ」から「平民」に落ちるのは(また「カリスマ」になるチャンスも)あっと言うまでしかない。
既存メディアであれば、ある程度「権威」付けられれば、その「権威」が「権威」を守ってくれたし、そのための装置も揃っていた。「長嶋」の活躍をみんなが見、話題にし、期待し、そのことがそらに「長嶋」を「長嶋」にさせつづけた。新聞やテレビもそうしたイメージを売り続けた。「スター」はなることが難しい分、誰もがそのスターを求めつづけたと言ってもいい。そのことは選手・監督を辞めた今でもそうだろう。
しかしネットの世界ではそうした構造はひどく脆い。
「週刊!木村剛」が「切込隊長」との争いで傷つき、その「切込隊長」も今や「二階堂.com」との争いで権威が揺らいでいるように、「風評」や「イメージ」が大きな影響力を持つのもこれらの「動き」と無縁ではないだろう。
誰もが「ヒーロー」になれる分、「ヒーロー」が「ヒーロー」としていつづけられる時代ではなくなったのだろう。
木村剛は人気DJ?!
原因の1つは、もちろん「ほりえもん」のフジテレビ買収を巡る一連の騒動だったわけだけど、ほりえもんの言うようにネットとテレビの融合というのは、「キーワード」としては面白いけれど、現実問題として成功例がない。実際、「テレビ」とネットが融合した成功イメージを描ける人間は少ないだろう。むしろその裏側ではじまった「livedoor ねとらじ」の「ポッドキャスティング」配信と、「ラジオNIKKEI」の方がこの状況を面白くしているのではないだろうか。
ライブドア、ネットラジオサイトでポッドキャスティング提供へ
これまでもストリーミングを中心とした「ネットラジオ」というのはあったのだが、ここにきて「ポッドキャスティング」や「デジオ」が急速に注目を集め、それにあわせて自らがDJをやる、チャットなどと組み合わせて「生放送」をすると言う人も増えてきている。
Wired News - ネット音声をiPodで聴く『ポッドキャスティング』 - : Hotwired
デジオ
「ブログ」にしろ、「デジオ」「ポッドキャスティング」にしろ、これらは全くの独自性をもったメディアではない。基本的には「ブログ」は個人の「日記」であったり、「雑誌」や新聞の「コラム」の代替であり、「ネットラジオ」はまさしく「ラジオ」がネットへ移植されたものと考えるべきだろう。
ではこうした「移植されたメディア」は既存のメディアとは同じ特性をもちうるのか。
一連の既存メディアの「ネットへの移植」の動きというのは、ある意味、インターネット・ユートピア幻想が持っていた「市民による自己表現手段の獲得」「表現手段の市民への解放」の延長線上にあるのだろう。つまり「カラオケ」が歌手以外でも「歌い手」となるチャンス、あるいは(限られた範囲で)「スポットライト」を浴びるチャンスを市民に解放したように、ブログが「書き手」としての「表現者」になるチャンスを多くのインターネットユーザーに解放し、今回の「ネットラジオ」「デジオ」「ポッドキャスティング」といったものは「DJ」になるチャンスを解放した。
「欲望メディア」である「インターネット」はこれまで「リスナー」でしかなかった人に「主役」になれるチャンスを切り開いたのだ。
これらの「市民解放」運動は一体どこに行き着くのだろうか。
例えばこの(戦後民主主義が目指していたような)平等な世界においては「ヒーローが不在となる」だろう。いや、もう少し正確に言うならば、全員が等価である以上、僅かな「差」が圧倒的な「差」を生み、圧倒的な集客力のある「カリスマ」サイトと殆ど集客できない無数の「無名」サイトとの分化がはっきりとする。
例えば、現状、こうした状態が一番近いブログを例にすると、gooBLOGの5/13のアクセスランキングで1位~100位までのブログのアクセスip数を合計すると158,902ip(gooの場合、公式ブログは含まれていない)。うち上位10ブログで35.5%、上位20ブログで50%以上を占めている。
また1位のサイトと100位のサイトのip数の差が「8,419」ipなのに対し、101位と200位の差が「221」ip、901位と1000位との差にいたっては「9」ipしかない。
ではこれらの「カリスマ」サイトがずっと「カリスマ」でありつづけられるかといえば決してそんなことはない。これまでのメディアが「規制」という名目で常に「権威」付けされてきたのに対して、ネットの世界では誰もが参画でき「平等」な存在となる。初めから僅かな「差」でしかない以上、「カリスマ」から「平民」に落ちるのは(また「カリスマ」になるチャンスも)あっと言うまでしかない。
既存メディアであれば、ある程度「権威」付けられれば、その「権威」が「権威」を守ってくれたし、そのための装置も揃っていた。「長嶋」の活躍をみんなが見、話題にし、期待し、そのことがそらに「長嶋」を「長嶋」にさせつづけた。新聞やテレビもそうしたイメージを売り続けた。「スター」はなることが難しい分、誰もがそのスターを求めつづけたと言ってもいい。そのことは選手・監督を辞めた今でもそうだろう。
しかしネットの世界ではそうした構造はひどく脆い。
「週刊!木村剛」が「切込隊長」との争いで傷つき、その「切込隊長」も今や「二階堂.com」との争いで権威が揺らいでいるように、「風評」や「イメージ」が大きな影響力を持つのもこれらの「動き」と無縁ではないだろう。
誰もが「ヒーロー」になれる分、「ヒーロー」が「ヒーロー」としていつづけられる時代ではなくなったのだろう。
ちっぽけなラジオ局ではありますが、コンテンツを作ってるからにはできるだけ多くの方にリーチしたいと思い、いろいろ試している最中です。また、忌憚無きご意見を頂戴できましたら幸いです。