先日(13日)、街かど古典カフェ春季講座へ参加しました。街かど古典カフェは、講師の方を囲み、京町家やカフェなどくつろいだ雰囲気の中で、古典に親しみ、学び、こころ豊かな時間を過ごすというものです。
私は、廬山寺で行われる京都学園大学教授山本淳子先生の講座に参加させていただきました。テーマは「源氏物語と紫式部」です。1回目は、紫式部が「源氏物語を書くようになった背景」、2回目は「光源氏と紫式部の闇―その身」について学びました。詳細は【前ぶろぐ】【前ぶろぐ】にて。
2回目でとりあげた闇は、母の身分が低いゆえに臣下に下った光源氏、女ゆえに能力を生かせない紫式部の話でしたが・・・3回目は「光源氏と紫式部の闇―その心」についてです。
紫式部は、もの心がつく前に母を亡くし、母の代わりに姉を慕い、姉が亡くなると、妹を亡くした友を姉のように慕いますが結局死別します。さらに、若くして夫にも先立たれます。愛するものや伴侶を失う喪失感に苛まれます。
光源氏も、同じように物心つく前に母を亡くし、亡き母の面影を重ねた藤壺を愛し、藤壺の面影を重ねた紫の上を手元に置きます。やがて、紫の上が病気になり、出家を願っても光源氏は別れに耐えることができず、出家もさせないまま先立たれます。当時の慣習では出家もせずに亡くなると救われないという考えがあったにも関わらず、最後まで執着します。紫の上に先立たれた後の光源氏の喪失感は大きく・・・ようやく身代わりで愛した紫の上こそがかけがえのない存在だったと気づきます。
個人的には、散々好きなことをしてきたプレイボーイにもっとすごい天罰を与えるのもありかな?などと思いますが同じように身代わりの愛、伴侶との別れを味わった紫式部は、最後には光源氏に出家させ心穏やかなまま亡くなった・・・と締めくくります。
しかし、本当に出家で救われるのでしょうか?時代背景を考えると仕方のない終わり方なのですけど、紫式部が現代で小説を書いたなら、ちがう終わり方でしょうね。(^m^)
さて、古典カフェのもうひとつのお楽しみ・・・今回のお菓子はとらやさんの弥栄(やさか)です。小倉餡の入った、菊花をかたどった最中です。香ばしくておいしい皮と餡がおいしかったです。
ちょうど「皇室の弥栄(いやさか)を考えるとき、一部の皇室の方々に京都に住んでいただきたい・・・」と、京都府知事さんらの記者会見が行われたすぐ後だったので、なんだかタイムリーなお菓子と思ってしまいました。
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