先日(20日)、 まいまい京都さんの「学校歴史博士と学校めぐり、開智・豊国・成徳へ~元小学校から視るまちづくりと学区の個性~ 」に、まじくんと参加しました。まいまい京都とは、京都の店主、主婦、学生、占い師、職人さん・・・などバラエティに富んだガイドさんといっしょに、京都をまいまい(京都弁:うろうろ)する「京都のまち歩き」ツアーです。
午後14:00、阪急河原町駅に集合、本日のガイドは和崎光太郎さんです。教育史研究者として多数の論文を執筆する一方、京都市学校歴史博物館に勤務してからは異彩を放つ企画展を開催しておられ、最近は、京都の「学区」の魅力にとりつかれており、その話になると止まらなくなるそうです。(^^;)
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まずは、駅から地上に上がり、高島屋の裏(南)にある「京都市総合教育センター」へ。ここは、元「永松小学校」でした。明治2年(1869年)、全国に先駆けて、番組小学校とよばれる学区制の小学校が64校が作られました。この永松小学校はその一つです。この場所は、先月、まじくんが入選した「児童硬筆書写作品展」を見に来たところです。【前ぶろぐ】
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センターから再びまいまいして、ガイドの和崎さんが勤める「京都市学校歴史博物館」へ。ここは、元「開智小学校」だった場所・・・あれ?さっきの永松小学校が開智に統合されたはず?結局その後、洛央小学校に・・・。街中の小学校はどこもこんな感じで、消えていくのですね。(TmT)京都の学校跡地には石碑がありますので、見かけたら立ち止まって当時を偲びましょう。
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↑この門と石塀は、登録有形文化財に指定されています。門をくぐると、グランドがあります。玄関は、元成徳小学校の玄関の一部で、明治8年築の京都市最古の小学校建築物だそうです。
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博物館には、番組小学校に関する資料をはじめ、京都市の学校に遺された教科書や教材・教具などの教育資料、卒業生などが学校に寄贈した数々の美術工芸品を収集・保存して展示してあります。(入館料:大人200円、小人100円)
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博物館から再びまいまいして・・・洛央小学校へ。元「豊園小学校」の跡地に建っています。最初に見た永松小が開智小へ統合、その開智小と豊園小、その他近隣、計5校が平成4年に統合して新しくできたのが洛央小です。なお、この小学校の敷地内には消防分団も入っています。京都では、だいたい小学校のそばには必ず消防分団があります。小学校のある場所は役所、消防、警察など自治会所機能がある、町(学区)の中心地だったのです。
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豊園小学校は、明治2(1869)年、下京第十番組小学校として開校し、同8年に豊園小学校と称しました。この地は豊臣秀吉の別荘竜臥城の跡地で、秀吉が茶の湯に使ったと伝えられる邸内の井戸豊園水に因んで命名されたそうです。明治になって、掘ってみたら、本当に水がわき出たそうです。今は澄んだ水に金魚が泳いでいます。*ここは、今年の春の桜舞う季節、まいまい京都の「着物でゆるあるき」した仏光寺そばです。【前ぶろぐ】
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この後、再びまいまいして元「成徳小学校」へ。ここも明治2年開校の番組小学校の一つでした。第2次世界大戦後の教育改革によって成徳中学校になりましたが、平成19年に閉校しました。以前は、京都第二高等小学校の校地だった場所で、大正8年に、日本で初めて軟式野球ボールを使用した球技大会が行われた軟式野球発祥の地です。
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また、全国に先駆けて昭和11年に「栄養給食」が開始された地でもあり、その栄養指導や調理にあたった職員が植樹した「なつ蔦」が、校舎を覆っています。(現在は安全面のため伐採したとか、手違いにより枯れたとか・・・諸説)
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学校が建つ場所は、その昔は百貨店が立ち並ぶ繁華街で、いわゆる「お金持ち」が多い町でした。学校内部は大理石などが使われ豪華で重厚な造りです。当時、ここに通う子供たちは時代の最先端の制服を着こなし、カタログのモデルにもなっていたとか!今でいう読者モデル???セレブっ子?
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階段を上って、この学校が現役だった頃、学生たちも立ち入り禁止だった禁断の場所へ・・・。
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階段の先には、小さな手洗い発見。そして、その先は、子供たちがあふれるほど増えた時代に仮校舎が作られていた屋上でした。今は仮校舎は取り壊されています。
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ところで、この禁断の扉の裏に、謎の暗号が(@Д@)?なんでしょ。
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つたのからま~る♪窓も、校舎内から見ると、こんな感じ~。きれいです。(^^)
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立派な作法室もありました。壁には日本画や書が飾られていたそうです。現在は前述の学校歴史博物館などに収蔵、一部が展示されています。作法室の障子にも蔦が・・・。(^^)
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そして、再びまいまいして・・・途中、平安時代以前の創建、五条の道祖神として知られる「松原道祖神社」の前を通り、元「修徳小学校」へ。ここも明治2年開校の番組小学校の一つでした。平成4年に閉校し、洛央小学校へ統合となりました。
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修徳小学校には、伊藤博文が揮毫した「脩厥徳」の扁額が遺されていました。この扁額は学校のシンボルともいうべき存在で記念碑にも刻まれています。意味は(>m<)うーん???
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修徳の名は、公園の跡地の「修徳公園」として残っています。国に先駆けて京都の町衆がつくりあげた「学区」・・・時代が新しくなり、地名が新しくなっても「学区」の名は、石碑や公園、何かの形で残っているのですね~。
ちなみに、私が通っていた実家のある富山県の山奥の小学校は、閉校になっています。今あれば130年ぐらいかな?校舎も取り壊され、桜の木と国旗掲揚等だけが残るグランドは、ゲートボール場となり、1年に1度、校区の住民運動会が開かれているようです。数年前、まじくんを連れて参加しましたが、今は子供が少ない地域なので、まじくんはモテモテ、大活躍でした。田舎なので「大寅小寅」という日本酒一升瓶早飲みリレーなんかも今だに行われていて、ほのぼの、楽しかったです。学校がなくなっても地域住民の団結は残っています。でも、もしかして、学校がなかったら団結はなかったのかも?
ところで、まじくんの通う小学校は、今年開校140年を迎えました。明治5年、学制の発令による開校だそうです。廃藩置県の翌年です。なお、京都の町衆が小学校を創設したのは明治2年・・・鳥羽伏見の戦いの翌年、大政奉還の2年後・・・なんか、すごい!仕事が早い!
まいまい京都 http://www.maimai-kyoto.jp/
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