先日、街かど古典カフェ夏季講座の第4回目へ行ってきました。街かど古典カフェは、講師の方を囲み、京町家やカフェなどくつろいだ雰囲気の中で、古典に親しみ、学び、こころ豊かな時間を過ごすというものです。
京まちや平安宮で行われる、同志社女子大学名誉教授の朧谷壽(おぼろや ひさし)先生の講座に参加させていただいております。テーマは「平安京と祭礼」です。前回までは、祇園祭と平安京についてのお話ですが、今回は「賀茂祭」についてです。賀茂祭?とは「葵祭」の事です。現在は5月15日に行われています。
賀茂祭の起源は、欽明天皇の567年、激しい風雨のため五穀が実らなかったので、当時の賀茂の大神の崇敬者であった、伊吉の若日子に占わせたところ、賀茂の神々の祟りであると占いました。そこで、若日子は勅命をおおせつかって、4月の吉日に祭礼を行ったところ風雨はおさまり、五穀は豊かに実って国民も安泰になったということから始まります。 平安時代の貴族の中では、祭といえばこの賀茂祭の事を指し、源氏物語や枕草子などの王朝文学の中にもたくさんでてきます。
賀茂祭が葵祭と呼ばれるようになったのは、江戸時代に祭が再興されてのち、当日の内裏宸殿の御簾をはじめ、牛車(御所車)、勅使、供奉者の衣冠、牛馬にいたるまで、すべて葵の葉で飾るようになってからとされています。葵といえば、二葉葵は賀茂神社の紋、三葉葵は徳川家の紋ですよね。(賀茂神社の辺りが徳川家の荘園だったことに由来しています)葵は、賀茂神社の特別拝観の時に、ご紹介しています。【前ぶろぐ】
賀茂祭(葵祭)は、毎年、斎王代は誰に?というのが毎年話題になります。斎王とは、天皇即位後、天照大神の伊勢神宮や賀茂社に奉仕する未婚の内親王や女王のことで、伊勢神宮に使えるのは斎宮、賀茂社につかえるのが斎院です。後鳥羽天皇(平安時代末)以後、この制度は廃絶されています。葵祭では、この斎王を復活させ「斎王代」として行列に加えています。祭の目的は、勅使が御所から賀茂社へ向かう事なんですが、ついつい、勅使より、美しい衣装をまとった斎王代に目が行ってしまいます。以前、御所で葵祭を見学した時も、勅使の写真は撮ってないですね・・・。(^^;)【前ぶろぐ】歴史を知ったからには、来年は、ちゃんと撮ってきます。
毎回楽しみなお菓子は、塩芳軒さんの「まつり灯」 です。オリジナルで作っていただいたそうです。水ようかんの中の白小豆が祭の提灯の様に見えます。(笹を開いたばかりの写真を撮ろうと思ってたんですが気がついたら半分食べてました・・・すいません。ジューシーで、おいしかったです。)
これで、私が受講する計4回の「古典カフェの夏季講座」は終了しました。今回は、講義とともに、クーラーのない夏の町家を体感しようと着物で参加しました。残念ながら4回目は雨のため着物を着ることができませんでしたが、よい経験となりました。