昨日「長谷川等伯」展を見に、京都国立博物館まで行きました。しかし、待ち時間が長かったんで、出直すことにしました。その帰りに、博物館入り口の手前(西角)にある交番を見ると「大仏前交番」???「大仏」ってどこに?
たくさーんの仏様なら「三十三間堂」【前ぶろぐ】にあるけど、この辺りに大仏があったのかな?そういえば、「東福寺」にも昔は大仏があった(退耕庵などに一部があります)はず・・・などと考えながら歩いていると・・・前日ぶろぐでご紹介した「豊国神社」に隣接している「方広寺(ほうこうじ)」を見つけました。
方広寺は、天正14年(1586)に、豊臣秀吉が創建したお寺です。ご本尊は、木像盧舎那佛坐像(大仏)です。創建時のご本尊は、19mの高さの漆塗りの大きな仏像で82m×57m高さ50mの大仏殿の中に鎮座されていたそうです。19mだったら、奈良の大仏さん(前ぶろぐ:15m)より大きいですよね。(@Д@;)
創建時のご本尊は地震で崩壊焼失し、その後、徳川家の勧め(いやがらせ?)により、秀吉の追悼供養にと、秀頼によって同じ大きさの金銅大仏が再興されました。しかし、この大仏も地震により崩壊してしまいます。崩壊した大仏は徳川家により寛永通宝に改鋳され、その代わりに木像の大仏が再び作られます。しかし再び落雷により焼失、そしてまた再興・・・結局、昭和48年に火災により焼失してしまい、現在、大仏殿跡は公園になっています。いつの日か、また再興されるかも?ちなみに30億円位かかるそうです。(^^;)
現在は、本堂、大黒堂、大鐘楼が残っています。大黒堂・本堂の内部を拝観(300円)することができます。堂内には、最澄が刻んだものと伝わる大黒天が祀られています。秀吉はその大黒天を気に入り、その大黒天を模した小さなものを作らせ持仏としたそうです。大黒堂には2体とも祀られ、美しい天井絵が奉納されています。*写真は、本堂内に飾られている秀吉と秀頼の肖像画です。秀吉さん、男前すぎ?
本堂に、ご本尊として創建時の大仏の10分の1のサイズの木像の「盧舎那佛坐像」が祀られています。実際は、この大きさの10倍だったのですから、すごい大きさです。当時の大きさを体感できるように、地震で倒壊した金剛仏像(秀頼再興)の一部も展示されています。また、大仏殿に飾られていた左甚五郎作の「龍の欄間飾り」なども残されています。*写真撮影OKです。
大鐘楼の内部も拝観できます。(100円)写真内の人物と比べると、その大きさがわかると思います。鐘の高さは4.2m、外径2.8m、重さ82.7トンです。この鐘は重要文化財に指定されていて、東大寺、知恩院の鐘とともに日本三大名鐘とされています。
内部では、天井絵や当時の大仏殿の柱の金具や飾りを見ることができます。
この鐘、歴史的にもかなり有名です。徳川家康が鐘に刻まれた銘文「国家安康 君臣豊楽」を故意に曲解して、豊臣家討滅の口実に利用したといわれています。鐘楼は何度か再建や移築されていますが、鐘は当時のままのものです。
なお、この銘文を撰文した文英清韓は、東福寺の塔頭「天得院」の持住(和尚)だった人です。家康の怒りをかって天得院は一時取り壊されています。天得院は、桃山時代作庭の“桔梗の庭”が有名です。【前ぶろぐ】
この鐘の真下に立つと淀君の幽霊が・・・(@m@;)実際に、見・・・見ました。写真もOKとの事だったのですけど。おそろしやー。(^^;) そのほかにも、朝鮮出兵の際に持ち帰ったおびただしい数の死者の耳を治めたという「耳塚」、前田加賀守が奉納した石垣の巨石で、夜な夜な元の場所に戻りたいと泣く「泣石」など、大仏七不思議として、周辺にはいろんなものが残っています。*京都国立博物館、三十三間堂から歩いて5分ぐらいです。ぜひ訪ねてみてください!
方広寺 京都府京都市東山区大和大路通七条上ル茶屋町527-2