何なんだか、忙しくもないのにぼんやり過ごしていたら、もうあと28日しかない!!
今年!!
10月17日は何十年も会っていなかった幼馴染と再会。その後苫小牧の従妹の家でフェリーの時間まで過ごし11時58分の八戸行に乗船。
翌朝7時無事八戸へ到着。
10月18日。晴天。
三陸リアス式海岸を走って大船渡へ。
ところが宮古市へ入ったら道路わきに災害ゴミと思しき家財道具がいっぱい出されていた。
どうやら台風19号とその後の大雨で浸水に見舞われたみたいで。
その後三陸自動車道に入るとあちこちが通行止め、中にはトンネル崩壊とかもあって、迂回、迂回ばかり。完全開通していないので、料金はタダだったけれど。
道の駅たろう。台風の大雨で川が流木でせき止められ道の駅冠水。従業員総出で椅子を洗ったり、掃除をしていた。それでも来る人の為に、仮設のトイレを用意していてくれた。
営業再開まで2週間くらい掛かりそうだと。
又せっかく開通した三陸鉄道も、至る所で寸断されてしまったとのこと。
途中、父の従妹の家に軽く挨拶をし、地震の後にはこんな巨大な堤防が築かれていて、もう海が見えませんとおばあさんが言っていた。
あまちゃんで有名だった此処も、”じぇじぇじぇ”が流行語大賞になりましたとの石碑が建っていたけれど、季節外れもあるのでしょうが、漁師さんだけでした。
此処もジオパークです。
陸前高田の道の駅、そのままの状態であった。メモリアルとして保存してあった。
隣には立派な道の駅が。
そして、今回どうしても行かなければならないと思ったところへ、そこは大船渡。
住所録を頼りに大船渡市内をウロウロ、やっと見つけたときにはすでに薄暗くなっており、その日は大船渡市内に宿泊しました。
ホテルの近くの陸前高田で8年前に被災したと言うお店で夕食頂きました。
10月19日、外は土砂降りの雨。又あの道を通っていかなければならない。
大船渡駅前はは、地震の時壊滅してしまったので、今はきれいに地盤整理がされていて、なんだか違和感さえ覚えてしまいました。
8年前にも来ていたので、よくわかる。
今年!!
10月17日は何十年も会っていなかった幼馴染と再会。その後苫小牧の従妹の家でフェリーの時間まで過ごし11時58分の八戸行に乗船。
翌朝7時無事八戸へ到着。
10月18日。晴天。
三陸リアス式海岸を走って大船渡へ。
ところが宮古市へ入ったら道路わきに災害ゴミと思しき家財道具がいっぱい出されていた。
どうやら台風19号とその後の大雨で浸水に見舞われたみたいで。
その後三陸自動車道に入るとあちこちが通行止め、中にはトンネル崩壊とかもあって、迂回、迂回ばかり。完全開通していないので、料金はタダだったけれど。
道の駅たろう。台風の大雨で川が流木でせき止められ道の駅冠水。従業員総出で椅子を洗ったり、掃除をしていた。それでも来る人の為に、仮設のトイレを用意していてくれた。
営業再開まで2週間くらい掛かりそうだと。
又せっかく開通した三陸鉄道も、至る所で寸断されてしまったとのこと。
途中、父の従妹の家に軽く挨拶をし、地震の後にはこんな巨大な堤防が築かれていて、もう海が見えませんとおばあさんが言っていた。
あまちゃんで有名だった此処も、”じぇじぇじぇ”が流行語大賞になりましたとの石碑が建っていたけれど、季節外れもあるのでしょうが、漁師さんだけでした。
此処もジオパークです。
陸前高田の道の駅、そのままの状態であった。メモリアルとして保存してあった。
隣には立派な道の駅が。
そして、今回どうしても行かなければならないと思ったところへ、そこは大船渡。
住所録を頼りに大船渡市内をウロウロ、やっと見つけたときにはすでに薄暗くなっており、その日は大船渡市内に宿泊しました。
ホテルの近くの陸前高田で8年前に被災したと言うお店で夕食頂きました。
10月19日、外は土砂降りの雨。又あの道を通っていかなければならない。
大船渡駅前はは、地震の時壊滅してしまったので、今はきれいに地盤整理がされていて、なんだか違和感さえ覚えてしまいました。
8年前にも来ていたので、よくわかる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます