先日も書いた、ドイツの児童文学者ミヒャエル・エンデ
ドイツ語は、言語として思考することに向いているようで、哲学者が多いみたいですね。
ベートーヴェンとも親しかったゲーテを初めとし、多くの歴史的哲学者を輩出しています。
児童文学者・・と簡単に言いますが、ミルクにお砂糖を混ぜたようなあまーい言葉が並んでいるわけではありません。
短い言葉の中に、真理がある・・・これが優れた絵本や児童文学のすごいところですね。
やはりすぐれた作品には「力」があります。
ドイツの児童文学者の中には、ケストナーなど、ほかにも素晴らしい作家がいるのですが、この話はまたの機会に・・・
で、、ミヒャエル・エンデ
この方も、そうとうに「哲学者」でしたね。
エンデ作品の中に、「はてしない物語」という本があります。
この本の文字の書き方が、非常に面白いんです。
読みやすいように少しトーンは抑えてありますが、赤い文字と緑の文字が、それぞれの世界を表しています。
「あちら」の世界と「こちら」の世界。
「あちら」と「こちら」・・・あちらとは異界、彼岸とも言えますが、「空想の世界」と「現実の世界」としておきましょう。
母親を亡くしたばかりの少年が、ふとしたことから、「あちら」の世界に行くことができるようになる。
少しずつ「あちら」と「こちら」のバランスが、「あちら」にシフトしてゆく。。
ついに「あちら」だけの住人になり、見せかけの「英雄」になったかと思ったが、ギリギリのところで「こちら」に戻り、父親との和解を果たす。
そして現実を見つめながら、地に足の着いた、「普通の少年」として、歩いてゆく。
簡単すぎる言い方ですが・・・。
素晴らしい作品なので、是非このファンタジー、手に取ってお読みください。
「あちら(空想やファンタジー)の世界とこちら(現実)の世界、このどちらにも自由に行き来できる人の精神こそが、健全なのです。」と。。
ピアノを弾く時も、肉体をどう駆使してどのような音を出すか、、や、楽譜をどう読み解くか、、という現実問題と、作曲家の人生や心に思いをはせ、時にはファンタジーの中で遊ぶ。。。この両方がなされているわけです。
とても素晴らしいことをしているんだなと、つくづく感じます。
フランスの画家、ポール・ゴーギャン
われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか、仏: D'o�・ venons-nous ? Que sommes-nous ? O�・ allons-nous ?, 英: Where Do We Come From? What Are We? Where Are We Going?)は、フランスの画家
楽園を求め、家族も仕事も捨て、南の島タヒチに移り住み、絵を描き続けました。
しかし、彼が病の床に伏し、病床の枕元に残されたのは、故郷の雪景色の絵だった・・と・・・
彼が人生をかけて、問い続けたのは・・?
私たちも、日常的・現実的な世界に引き寄せて、あれこれ考えてみるのも良いかも知れませんね。