感性の豊かさって、ピアノをはじめとする芸術的な行為をするときだけじゃなく必要なんだな。。と思います。
芸能人じゃない、普通に生活している人が映し出される番組を見ることが、よくあるんですが、いい仕事してるな。。。素晴らしい生きざまだな。。等々、感動することが良くあります。
しばらく前に、アフリカ人の・・・国がたくさんあって、国名は忘れてしまいましたが・・・テレビスタッフやクルーの人たちが、日本を紹介する番組を作る。。という事を、密着取材していたのを見たのですが、なかなか興味深かったです。
遠い異国、まったく文化も違う人たちが、日本の何に興味を持ち、何が面白くて、何が変わってると思うか、美しいと思うか。。
銭湯や築地の魚の鮮度を保つ技術に興味を持ったり、浴衣を着てみたり、、、この番組を通じて、アフリカの人たちが、行ったことも聞いたこともない日本の人や文化を知る。。
その中で、下町で昔ながらの金太郎飴を作っているところを取材していた時、それが日本の昔話を題材にしていること、その細工がいかに熟練の技で出来ているか、飴の顔にはまつ毛まで施されているという繊細さ、、、そういうことに気付くことのできる感性の豊かさ、細やかさ。。。
アフリカ人のスタッフ・・特にチーフの女性ディレクターの感性の素晴らしさには、見ているこちらの方が、感動してしまいました。
何かに対する気付き・・・そういうことを、よく言っていますが、音楽する感受性と何ら変わらず、細やかで豊かなものでした。
そうして、独自の文化を大切にしつつ新しい文化を融合させてゆく道を模索してゆく、という事に考えが及んでいたようです。
85歳になる代々続く老舗の鰻職人の方もカッコいいな~と思いました。
「仕事が作業になってはいけない」と。。
なんか~おなじだ~
練習が作業になっちゃダメだ~
って、よく言ってるもんね~
今やっていることが、たとえ何千回という繰り返しだろうと、心が込もっているか、小さな違いに気付きがあるか、、そういう事ではないでしょうか?
よくこういう方たちは、
「研ぎ澄ませ」
とも言いますね。
私が大好きな言葉です。
先日、女優の藤山直美(天才喜劇役者藤山寛美の娘)さんが、己を知るという事。。と言っていました。。そして彼女は人を楽しませるためには、お客さんが主役だと。。己が己が(我が我が)ではない人なんですね。。
素晴らしいなぁ。。
謙虚な姿勢で己を知り、己に打ち勝つ・・・プロゴルファーも言ってたっけ。。
Eテレの趣味の時間の講師として出ていらっしゃる、書道家の先生。。
空間を描く。。
と言ってたけど、ドラムの村上ポンタ秀一さんが、「あいつのドラムは、休符が歌ってんだよな~」って人のドラムをたたえる時、言ってたのとおんなじだなぁ・・って、ものすごくうなずいていたり。。
ジャンルは違えど、何かに気付く人は、ほとんど全く同じことを言っています。
書道もいろいろな意味で、ピアノに通じるなと、凄く思うんですよ。。
ぁ・・・
いつもの蛇足ですが、私、小1から高校生・・最後の頃はとびとびになっていたので、高1ぐらいかな。。書道をずっとやっていたんです。
字ヘタですが、小学生の頃は7段だったんですよ。。
子供の頃友達が沢山習っていたこともありバレエもいいなと思ったのですが、なぜか書道になっちゃって。。
バレエも、もちろんやりたかったけど、書道も結果的には良かったなと思います。
定期的に筆を持っているとよいのですが、しばらく離れると、筆を持つ手の軸がぶれるんですよね。
今なんか、本当にダメダメで全く書けなくなってしまいましたが、これもピアノを弾く手や体と、通じているのです。
音を表現する時の、手や腕の重さを指先に伝え、時には体を使い、圧を加えたり、指先の繊細なわずかなコントロールで、音と同じように線が現れ、命が宿る。
書は人也・・・音も人也・・・なのかな?
字体にも時代があり、楷書(かいしょ)、行書(ぎょうしょ)、草書(そうしょ)、隷書(れいしょ)、篆書(てんしょ)と、5つの書体があると言います。
私が触れるところまで至らなかった、書道の奥深い世界。
そこにも、時代と人があり、呼吸とリズムが躍動していると思います。
子供たちにも時々言うんですが、何が書いてあるかわからないような現代アート的な「書」・・・今とても注目されていますよね・・・これも優れたものは、たとえ漢字など知らない外国の人が見ても、炎が燃えるような字体だったり、さわやかな風だったり、同じ風でも激しく吹き荒れる様だったり、こういうことが表現できているものは、言葉を超えますよね。
音楽と同じなのだと強く感じます。
これが、銀行員や医者や看護師や教師や…他の職業で関係ないか。。。いや!ある!。。と言いたいです。
もちろん漁業や農業も。。
そしてスポーツも、精神的にも技術的にも、相通じるところがあって、とても共感します。
感性を磨き、全体を見渡す大きな視点と、細やかな気付きのある、小さな視点。。
たとえ大社長だろうと。。むしろそういう人こそ、必要じゃないかな。。
お医者さんや看護師さんだって、感性がなければ、ちょっとした患者さんの体や心の変化に気付けませんもんね。。
もちろん音楽も、大きなマクロ(曲の全体像や構成など)の視点と、小さなミクロ(一つずつの音の質など)の視点がなければ、弾きこなすことはできませんよね。
あぁ・・・そういうオマエはどうなんだと、言われそうですね。。
そうありたいとは願っていますが。。。
レッスンで、すごくズケズケ言っているようですが、心を揺さぶり、反応が返ってくるのを待ってるんですよ。
顔に書いてあることも、たいがいのことは分かります。
若いころに比べればね。。
もちろん多声部で演奏されているフーガも、意識なく弾いている音は殆ど分かります。
あ。。そこは意識してなかったです。。
って、高校生の子が素直に認めてますもんね。。
誰でもよく聴けば、分かるっちゃぁわかるんですよ。
。。。
でも、まだまだ修行しなきゃね。。
慌てず騒がず自然体で、いろんなことが聴こえたり見えたり。。。そんな風になれたらいいなと考えてるんですが。。
そうすると、無駄なものが削がれてきて、感性が研ぎ澄まされてくるんじゃないかと。。。って、オマエはまだまだじゃん。。
そうです
まだまだですね~~